無音スレッド ― AI監視下の世界で、人間だけが実況していた

ソコニ

第1話【最終ログイン:1095日目】

残り時間:720時間

カタン、カタン、カタン。

キーボードを叩く音だけが、六畳一間のアパートに響いている。

午前8時58分。御堂ハルトは、いつものようにモニターの前に座った。マウスを握り、ブラウザを開く。ブックマークの一番上――『エターナル・ワールド』公式ログインページ。

ID欄に「Solo_Infinite」と打ち込む。パスワードは12桁。間違えたことは一度もない。

ピロリン♪

ログイン音。

画面が白く光り、やがて見慣れた風景が展開される。

石畳の広場。噴水。中世ヨーロッパ風の街並み。空は青く、風が吹いている。

誰もいない。

当然だ。このゲームに最後にログインしたのは――俺だけだ。


ハルトのキャラクター、Solo_Infiniteは広場の中央に立っていた。レベル87。職業は剣士。装備は中級者向けの青い鎧。特別強くもなく、弱くもない。

フレンドリストを開く。

【フレンド一覧】

・篠崎アヤ(Lv92/魔法使い)最終ログイン:1096日前

・田所樹(Lv85/戦士)最終ログイン:1096日前

・水瀬ユウ(Lv90/僧侶)最終ログイン:1096日前

・河野ケンジ(Lv88/盗賊)最終ログイン:1096日前

```


全員、3年前で止まっている。


ハルトは何も言わず、リストを閉じた。


---


**「さて、と」**


ハルトは椅子に深く座り直し、いつものルーティンを始めた。


まずは、デイリークエスト。


街の掲示板に貼られた依頼を受ける。内容は「森のゴブリン10体討伐」。報酬は経験値500と銀貨20枚。誰も受けなくても、毎日更新される。


ハルトは街の門を出て、北の森へ向かった。


---


**シャキン。**


剣を抜く音。


森の中、緑色の小鬼――ゴブリンが3体、うろついている。ハルトは無言で駆け寄り、斬りつけた。


**「ギャアアッ!」**


ゴブリンが叫び、HPバーが一気に減る。2撃目、3撃目。倒れる。


**【経験値+50】**

**【ドロップ:ゴブリンの耳×1】**


画面右下に表示される。


ハルトは拾わない。


どうせ、倉庫はもう満杯だ。


---


10体目のゴブリンを倒したとき、画面上部に通知が出た。


**【デイリークエスト達成】**

**【報酬:経験値+500、銀貨+20】**


ハルトは街に戻る。


掲示板にクエスト完了を報告。報酬が自動で振り込まれる。


そして――次のクエストを受ける。


**「スライム討伐、15体か」**


また森へ。


---


昼。


ハルトはコンビニ弁当を片手に、モニターを見ながら食べていた。キャラクターは街の酒場に座っている。


他のプレイヤーが座っていた席は、全て空いている。


NPCのバーテンダーだけが、カウンターで黙ってグラスを磨いていた。


**「……」**


ハルトは箸を止め、画面を見つめた。


かつて、この席にはいつも誰かがいた。


篠崎アヤは、いつも窓際の席でコーヒーを飲んでいた。


田所樹は、カウンターで酒を飲みながら、くだらない冗談を言っていた。


水瀬ユウは、いつも笑っていた。


河野ケンジは、いつも文句を言っていた。


**「……もう3年か」**


ハルトは呟き、弁当を食べ続けた。


---


午後。


レベリング。


ハルトは街の外れ、**「忘却の森」**と呼ばれるエリアで、ひたすらモンスターを狩っていた。


レベル87から88になるには、あと経験値12万必要だ。


1体倒して、経験値200。


つまり、あと600体。


**「……」**


ハルトは黙々と剣を振るった。


理由は、特にない。


ただ、やることがこれしかないからだ。


---


夜。


ハルトは街を巡回していた。


北の広場、南の市場、東の港、西の教会。


どこにも誰もいない。


NPCだけが、いつもと同じ場所に立ち、いつもと同じセリフを繰り返している。


**「いらっしゃい、冒険者さん! 何か買っていくかい?」**


武器屋のNPC。


ハルトは何も買わずに通り過ぎる。


**「神のご加護がありますように……」**


教会のシスター。


ハルトは祈らない。


**「今日も平和だねえ」**


街の警備兵。


嘘だ、とハルトは思った。


この街に「平和」なんてない。


ただ、「無」があるだけだ。


---


午後11時50分。


ハルトは街の中央、噴水の前に立った。


ここが、いつもの"終わり"の場所だ。


フレンドリストを開く。

```

・篠崎アヤ(Lv92/魔法使い)最終ログイン:1096日前

・田所樹(Lv85/戦士)最終ログイン:1096日前

・水瀬ユウ(Lv90/僧侶)最終ログイン:1096日前

・河野ケンジ(Lv88/盗賊)最終ログイン:1096日前

```


変わらない。


当たり前だ。


誰も、もうログインしない。


ハルトはリストを閉じ、ログアウトしようとした――その時。


---


**【ピロリン♪】**


画面右上に、見慣れない通知が表示された。


**【新着メール:運営チームより】**


ハルトは眉をひそめた。


運営からのメールなんて、もう何年も来ていない。


マウスを動かし、メールボックスを開く。


---

```

差出人:『エターナル・ワールド』運営チーム

件名:サーバー閉鎖のお知らせ


拝啓、冒険者の皆様へ。


いつも『エターナル・ワールド』をご愛顧いただき、誠にありがとうございます。


この度、諸般の事情により、本サーバーを**2027年11月23日 23:59**をもって閉鎖することとなりました。


サーバー閉鎖に伴い、全てのキャラクターデータ、アイテムデータは削除されます。


長い間、ありがとうございました。


『エターナル・ワールド』運営チーム

```


---


ハルトは、しばらく画面を見つめていた。


**「……30日か」**


呟く。


感情は、特にない。


むしろ、やっと終わるのか、という安堵に近いものがあった。


---


だが――その瞬間。


ハルトの視界の端で、何かが動いた。


**「……?」**


振り返る。


噴水の向こう側。


誰かが、立っていた。


---


プレイヤーキャラクターだ。


黒いローブを纏い、フードで顔を隠している。


名前表示は――

```

【ID:?????】

「……誰だ?」

ハルトは呟いた。

このゲームに、他のプレイヤーがログインしているはずがない。

3年間、誰も来なかった。

なのに――

「……まだ、ここにいたんだね」

そのキャラクターが、チャットウィンドウに文字を打ち込んだ。

ハルトは息を呑んだ。

「お前、誰だ」

返信する。

だが、相手は答えない。

ただ、ゆっくりとこちらを向き――

そして、消えた。


【プレイヤー【ID:?????】がログアウトしました】

通知が表示される。

ハルトは呆然と立ち尽くした。

「……何だ、今の」

心臓が、久しぶりに速く打っている。

誰かが、ログインした。

3年ぶりに。

「……もう一度、来るのか?」

ハルトは噴水の前に立ったまま、しばらく動けなかった。


午前0時。

ハルトはようやくログアウトした。

モニターの電源を落とし、ベッドに倒れ込む。

天井を見つめながら、考える。

「あれは、人間だったのか?」

それとも――AIか?

答えは、わからない。

だが、1つだけ確かなことがある。

「……明日も、ログインしよう」

ハルトは目を閉じた。


【第1話・終】

次回:第2話【フレンド申請が届きました】

――誰が、まだこのゲームに来るのか?

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