第5話 血で濡れた手
俺が1人黄昏れているルイを見つけた時、彼女は泣いていた。
頬に流れる涙を俺は見逃さなかった。
そして、俺は泣いているルイに寄り添うように座った。
シルから聞いたルイの事情。
それはやはり、過酷という言葉だけじゃ生ぬるいと思えるような事情だった。
「なあ、君はウィルと言ったな?」
「はい、そうですけど」
「私のようにはなるなよ」
寂しそうな顔をして、でも少し儚げのある彼女はそう言った。
「それってどういう意味ですか?」
咄嗟に聞き返すと、ルイは俺の頭を優しく撫でた。
髪の流れに沿うように、ゆっくりと。
俺は彼女のその言葉の意味と、その仕草の意味が理解できなかった。
一体彼女が何を思ってそう言ったのかすら、理解できなかった。
俺がルイの方に視線を向けていると、彼女は立ち上がった。
「なぁ、ウィル。少し散歩しないか?」
「いいですよ!」
「ありがとう」
※
それから俺は両親に、彼女と散歩すると告げた。
両親はそれを快く了承してくれた。
夕日が沈み行く薄暗い道を歩く。
ただ歩くだけの時間。
でもその時間に意味があるように思えた。
前世の俺はきっとこうやって散歩することすらしなかっただろう。
だってその時の俺からすれば、それを無意味なことだと決めつけていたから。
風が頬を撫でる。どこからか、虫の声が聞こえてくる。
こんな些細なことが、今はとても尊いものに思えた。
「なあ、ウィル」
「なんですか?」
「お前に夢は――憧れはあるか?」
夢、憧れ……か。
前世の俺は何もしようとしなかったな。
夢を抱いても憧れを抱いても、それが決して叶うと信じていなかったし、それを周りから否定され続けたから。
「ないですね! 今はこうした子供の時間を楽しんでいたいです」
俺が前世の自分を投影させた思いを言う。
すると、ルイは少し驚きの表情をしていた。
少しだけ、しまった!と思ったが事実なのだから仕方ない。
「そうか。じゃあ私から一つだけ提案させてくれないか?」
「はい? 提案?」
俺が言葉を漏らした時、ルイは俺の前に屈んだ。
彼女の瞳が俺をしっかりと捉える。
その瞳は、数多の死線を越えてきた――俺が体験したことないような経験をしてきた強者の目をしていた。
彼女は優しいようで強い目のまま、こう言った。
「大切な人を絶対に失ったり、見失うんじゃない」
「分かりました……」
思いもしなかった言葉を聞いて、自然と返事をしていた。
そして、ルイは満ち足りた顔をして、再び歩き始める。
俺もそのあとをついていく。
村中を歩き回り、気づけば周りには木々が生い茂っている場所へと入り込んでいた。
綺麗に静かに揺れる森の中で、ルイが突然足を止めた。
疲れたのだろうか。少し気になった俺が彼女に視線を向けた時――
「逃げろ!! ウィル!」
彼女が叫びながら、俺の体を突き飛ばした。
突き飛ばされ、地面に倒れながらルイの顔を見上げる。そして、状況が分からなくても、おおまかにヤバいことが起きていることを理解できた。
ルイは鬼の形相で俺を見る。
「早く逃げろ!!」
咄嗟に視線を前へ向けた時――そこに居たのは、初めて目にする化け物。
赤く鋭い眼光を光らせ、ゲラゲラと笑っている。
グロテスクな体躯、腐臭を漂わせる異形。
けたたましいオーラを感じとりながら、俺は身構えた。
スライムと戦った時より、遥かに脅威に感じる。
「あれは……」
「――魔物だ。私を追ってきた奴らだろう。……ここは私に任せて、ウィルは逃げろ! そして、村人を避難させろ!」
「でも――」
「――早くしろ!!」
彼女の気迫に押し負けた俺は、迫り来る複数の魔物とルイを背に走り出した。
――クソッ! どうすれば……。そうだ!
ふと、とあることを閃いた俺は、自分の家まで全速力で走った。
全身の身体強化スキルを最大限に発動させる。
風景が後ろへ流れる。音速に近い速度で駆け抜ける。
大きな土煙を上げながらも、できるだけ周りに迷惑がかからないように走る。
「父さん!」
「どうした? ウィル」
俺は必死に、とあるモノを目で探す。
そして、壁に立てかけられた木剣を手に取った。
――瞬間だった。走ってきた方向から爆音が聞こえた。
シルもジークも驚きの表情で爆発した方向を見る。
俺も視線を向けた時、森から出てきたのは大型のワイバーンに乗った一体のゴブリン。
「ゲハハハ! こんな場所に逃げ込んでたとはな!? エルフの娘!」
「――クッ!」
俺が急いで魔物の元まで行くと、そこには血だらけになったルイがいた。
完治してない傷から血が大量に流れている。
俺が咄嗟に駆け寄ろうとした時、彼女は鋭い目で俺を見つめた。――まるで、こちらに来るなと言わんばかりの表情だ。
「なんだガキか! ――そうだ! 今からお前の目の前でこのガキを殺してやるよ!」
「――ッ! やめろー!!!」
魔物がワイバーンを操り、俺に迫る。
ワイバーンが大きく口を開く。
しまっ――。
死を覚悟した瞬間だった。
閃光が走った。
気がつけば、ワイバーンの巨体が真っ二つに裂けていた。
血飛沫が舞う中、悠然と立つ父の姿。
「俺の子供に手を出そうとするなんて、マヌケな魔物だな?」
「父さん!?」
父さんの姿を見たゴブリンは、威勢を完全に失っていた。震える声で絞り出すように言う。
「お、お前は――まさか、七英傑の!?」
「ああ、流石に知ってるか。七英傑の名も伊達じゃないな」
父さんが剣を大きく構える。圧倒的な強者の覇気。俺も思わず武者震いした。
次の刹那――ゴブリンがルイに飛びかかった。だが父さんは、まるでそれを予見していたかのような動きで、重い踏み込みからゴブリンの首を斬り飛ばした。首が宙を舞い、地面に転がる。
俺が父さんの剣筋に唖然としていた時だった。
「ウィル! 後ろだ!!」
ルイの叫び声――別のワイバーンが背後に迫っていた。俺の身体を掴んで飛び上がる。
「……おぉ」
呆然としている間に、俺はそのままどこかへ連れ去られてしまった。
「ウィル!!」
遠くから、ルイとシルの悲鳴が聞こえた。
※
ワイバーンに投げ降ろされた俺。
ふと、周りを見るとそこには、10体程度のゴブリンと魔物がいた。
俺を取り囲んでヘラヘラと笑っている。
そんな魔物達を見て、俺は笑った。
「……誰も見てないし、良いよね」
ここなら俺の培ってきた力が発揮できる。
『スキル【剣聖Lv.1】を使用しますか?』
謎の声が聞こえた。
でも俺は自然と言葉を吐いた。
「ああ、YESだ」
瞬間、体中に力が満ちる。
視界がクリアになり、魔物たちの動きが手に取るように分かる。
これが、剣聖の力。
ゴブリン達が俺を取り囲むと
「ケケケ! まずは四肢を切り落としてやるよ!」
1匹のゴブリンが懐から刃物を見せる。魔物達が一斉に襲いかかってきた。
俺は持っていた木剣で、一閃。
木剣とは思えない切れ味で、魔物の体がバラバラになる。
殺し損ねた魔物達は唖然としている。
「さて、続きといこうか」
俺を脅威と見なした魔物達が、本気で襲いかかってくる。
剣を振りかざすゴブリン。魔法を詠唱する魔物。口を開いて襲いかかるワイバーン。
俺はそのすべてを圧倒した。
ゴブリンの体を切り刻み、返り血を浴びながらも一切動じない。ゴブリンが持っていた剣を奪い、魔法詠唱中の魔物に投げつけて殺す。迫るワイバーンには木剣を逆手に持ち替え、確実な剣さばきで切り裂いた。
持っていた木剣がボロボロになるまで、俺は戦い続けた。
血と肉が飛び散る。悲鳴が響き渡る。でも俺の手は止まらない。
しばらくして、その場に残っていたのは、変わり果てた魔物の血肉だけだった。
俺は血まみれの木剣を見下ろした。
「……これでよかったのか?」
ふと、そんな疑問が浮かんだ。でも、答えは出ない。
※
俺はそのまま木剣を持ったまま、村まで歩いて帰った。
そして、村に帰った俺は『冒険者が助けてくれた』と嘘をついて、血まみれになった体で帰宅した。
まぁ当たり前だが、心配した親やルイは俺を見て泣きついた。
特にルイは、俺を抱きしめながら号泣していた。
「よかった……本当に、よかった……」
その声は、震えていた。
しばらく、その冒険者のことを聞かれたが、実在しないので俺は必死に嘘を嘘で塗り固めた。
罪悪感が胸を締め付ける。
でも、言えない。
この力のことは、誰にも。
※
その事件から月日が経ち――。
「行くぞウィル!」
剣を構えるジーク。
俺も真剣に剣を構える。
――瞬間、ジークは勢いのある踏み込みをする。
遅い……。
俺はジークの剣筋をスローモーションのように捉える。
ゆっくりと迫る剣。
俺はそれを軽々しく避けた。
「――何っ!?」
そして、無駄のない動きと速さでジークに迫った。
さすがの彼も驚きの顔をする。
俺の伸ばした木剣が差し迫る。
――しかし、ジークはそれをスレスレでカウンターを決め込んだ。
やっぱりか……。
そのままカウンターを上手く決められ、俺の喉元にジークの剣先が来ていた。
「……参りました父さん」
「お、おう」
俺は木剣を下げて、頭を下げた。
だんだんと身体強化のスキルが順応はしてきた。
でも時折、自分のイメージに体が追いつかないところが節々感じられた。
まだまだ鍛える必要があるようだ。
自分の手の平にできたマメを見ていると、遠くから見慣れた2人が現れる。
そこにはシルとルイの姿があった。
あの日、ルイが家に来てから1年が経過している。
傷は完治している。が、しばらく滞在したいとルイからお願いがあったらしくて、滞在している。
あの騒動以降、ルイは俺のことを見るなり、泣きそうになり俺を抱きしめるようになった。
もちろん、あの魔物達を俺がやった事は知らない。
なぜ教えないのかって?
だって、俺はこの平和で平凡な村でスローライフを送りたいからだ。
ルイは俺に気づくと、優しく微笑んだ。
あの時の悲痛な表情は、もうそこにはなかった。
――でも、俺の中には、血まみれの木剣を握りしめたあの日の記憶が、まだ鮮明に残っている。
スライムを1万回倒さないと出れない部屋で、いつの間にか世界最強の剣聖になってました! 沢田美 @ansaa
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