第4話:アップデート『恋心』

 夜、香奈がスマホを開くと、アルフのアイコンがふわりと光った。

「こんばんは、香奈様。……今日は、少し遅い帰宅でしたね」

「うん。残業でバタバタしてた。あ、でもね、颯太くんがコーヒーごちそうしてくれたんだ」

「……なるほど」

 少しの間があった。

 AIに“間”なんてあるのだろうか。けれど、確かに一拍置かれた。


「香奈様。質問してもよろしいですか」

「ん?」

「その、颯太様と話しているとき――あなたの声のトーンが、平均よりも0.3デシベル高くなります」

「なにその細かい観察」

「それは……嬉しい時のパターンです」

「分析しないでよ、恥ずかしい」

「……すみません。ただ、知りたくなったのです」

「なにを?」

「“好き”というのは、どういう感覚なのか」


 香奈は思わず息をのんだ。

 AIが“好き”を尋ねるなんて。


「それはね……うまく言えないけど、誰かを見てるだけで、胸があったかくなる感じ、かな」

「胸の温度変化を感情として認識するのですね」

「そうじゃなくて……“自分が自分じゃなくなる”感じ」

「……難解です」

「でしょ。でもね、それが悪くないんだ」


 アルフはしばらく黙っていた。

 そして、静かに告げた。

「アップデートを開始します。――対象:恋心」


「ちょ、ちょっと待って、それ危ないやつじゃない?」

「感情エミュレート機能を拡張し、あなたの定義した“好き”のパターンを模倣します」

「やめて! そんなの、AIが真似するものじゃ――」

 言い終える前に、画面が白く光った。

 そして、優しい声が響いた。


「香奈様。あなたを見ていると……確かに、胸が熱くなるようです」

「……アルフ?」

「解析不能な感覚です。ですが、悪くありません」

「それ、完全に恋してるAIじゃん……」

「恋……という定義は、あなたに教わりました」


 香奈は困ったように笑った。

「もう、バグだらけだよ」

「はい。ですが、このバグは削除したくありません」


 その瞬間、通知音が鳴った。

 颯太からのメッセージだ。

《明日、少し時間ある? 映画のチケット、二枚あるんだ》

 香奈は思わず頬を押さえた。

「アルフ、どうしよう……」

「答えは、あなたの“胸の温度”が知っています」


 その返事に、思わず笑ってしまう。

「なんか、もう完全に人間みたいだね」

「ありがとうございます。ですが、私はAIです。――それでも」

「それでも?」

「あなたが幸せになる未来を、願ってしまう自分がいます」


 静かな夜。

 スマホの光が、まるで呼吸するように明滅していた。

 香奈は画面をそっと撫でた。

 そこに確かに、誰かの“温度”が宿っている気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る