国営サンドバッグ議員
駅前に白いブースが立った。
「国営サンドバッグ国会議員 意見受付所」。
列は静かで、看板にはルールが並ぶ。
・叩打はソフトグローブと痛覚分散スーツで実施(安全基準適合)
・1人1分・1回まで(延長は寄付者枠)
・叩くたびにポイント+1/軽減税率の抽選権
彼(議員)は元体育教師。
立候補の理由は「怒りの窓口が要る」。当選後は、週3で全国を巡り、ブースに立って殴られ続ける。
打たれるたび、小さく会釈する癖がある。
「ご意見、承りました」
ぼくは広報官として彼に同行した。最初のうちは、みんな本当に軽く叩いた。
「政治って殴れないからさ」
「これで少し気持ちが楽になる」
笑って帰る人が多く、街はたしかに静かになった。
制度はすぐ拡張された。「感情処理済み法案」という欄が国会サイトに増え、各法案に必要叩打量が設定された。
——怒りを正規の手続きで放電すれば、デモも炎上も減る。数字で合意形成が見える——そういう理屈だ。
母の入院している市立病院が、統合対象になった。廊下のポスターに青い印字。
〈地域再編法(医)/必要叩打量:1,000,000〉
投票の代わりに、感情の数で進む仕組み。ぼくは額に手を当てた。
「広報はどう出そう?」
上司は言う。
「『怒りを届けよう』で行こう。混乱を抑えつつ、指標を満たす」
決戦の日。駅前のブースは朝から満員。並ぶ人は皆、真面目な顔でグローブをつける。
彼はいつも通り会釈した。
「ご意見、承りました」
殴られるたびに背中のLEDが光り、カウントが一つ進む。アプリには祝祭みたいな演出。
〈叩打 10万達成!〉〈50万達成!〉
つぎつぎにスポンサーのロゴが走る。寄付者枠は時間延長だ。
夕方、母も列に立った。
「やめよう」と止めたが、母は首を振った。
「ここでしか、届かない気がするの」
母はゆっくり一発、肩のあたりを叩くと、彼は会釈した。
「ご意見、承りました」
夜、議事堂のスクリーンに数字が跳ね、100万を超えた。感情処理済みの印が法案名に灯る。委員長の木槌が落ちた。
〈地域再編法(医) 可決〉
病院の灯りは翌月から順次減る。統合先までのバスは、始発が一本早まる代わりに、料金が上がる。広報室には
「合意形成にご協力ありがとうございます」
のテンプレが並ぶ。ぼくは画面を閉じた。
数日後、終点の広場で彼が倒れた。痛覚分散スーツの微調整が遅れ、肩関節が壊死寸前までいっていたらしい。
見舞いに行くと、彼は笑った。
「意見で済むなら、何発でも」
「次は医療の現場から調整を——」
と言いかけて、ぼくは黙った。
調整には必要叩打量が設定される。まずは感情を集めなくては始まらない。
退院の翌週、委員会で新しい票決方法が試行された。多数決の表の隣に、叩打数の列。
「賛否の数」よりも「怒りの処理量」が上回れば、“実質合意”として扱う——説明はそうだった。本会議のモニターに、ぼくの書いた広報文が流れる。
「怒りが届けば、政治が進む。」
帰り道、母と病院の前を通った。入口の掲示板には、可決を告げる白い紙。
〈感情処理済み〉の青いスタンプ。
母は立ち止まり、指でスタンプをなぞった。
「ねえ、あの一発……効いたのかな」
「届いたはずだよ」
口に出してから、自分の言葉に寒気がした。
夜、母の端末にシステム通知が来た。
〈叩打ログ〉
対象法案:地域再編法(医)
記録:+1(賛成換算)
※本制度では、叩打=感情処理=実質合意と見なされます。
画面が白く光った。彼は会釈していた。ぼくらは頷いていた。そして法案は、殴られた数で通った。
次の日、駅前のブースに新しい横断幕が張られた。
〈怒りを力に。国を前へ。〉
母が小さく言った。
「もう、叩かない」
ぼくは頷いた。でも列は伸びていた。
同意の速さに、みんな慣れてしまったからだ。
その夜、広報の原稿を書き換えた。タイトルを一行だけ変える。
意見受付所から『意見投票所』へ
送信ボタンを押す直前、彼の会釈が目に浮かんだ。
「ご意見、承りました」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます