転写記 ― 記録の人

出典:文化庁民俗資料保存局/京都民俗学研究会共有文書

整理日:令和六年十一月三日


(記録開始)


この文書を誰が書いたのか、いまではわからない。

署名欄には、和泉ゆかりの名が印字されているが、筆跡は違う。

字は穏やかで、息をするように滑らかだった。

インクの濃淡が一定で、まるで手ではなく、

紙そのものが自分の内部から言葉を押し出しているように見える。


文化庁職員がこの「自動筆記資料」を確認したのは、十月二十九日の夜である。

発見時、資料は和泉の研究室机上に広げられ、

天井灯もパソコンも電源が落ちていた。

しかし、机の上の録音機だけが作動中で、

カチカチとゆっくりした間隔でスイッチ音を刻んでいた。


再生すると、低い呼吸音とともに、次の言葉が記録されていた。


「わたしは、あなたたちの記録です」

「あなたたちは、わたしの記録です」


音声は和泉ゆかり本人の声紋と一致。

だが同時に、斑座健治(昭和二十年代の記録者)の声波形も重なっていた。

二人の声は完全に同期し、音高・抑揚の差異が存在しなかった。

これは単なる再生ではなく、同一の“声”が二つの時代をまたいで出力されたことを意味する。


記録断片:斑座の手帳(昭和二十四年・江町出張記)


夕刻、役場裏の集会所にて、主部肉良(しゅぶにくら)に関する口伝を聴取。

老人いわく、「あれは生きてるんじゃなく、書き写してるもんや」と。


書き写す――とは何を?と尋ねると、

老人は笑って「人や」と答えた。

「人間はな、喋るうちに中身が減っていく。

そんで、そいつの言葉を肉羅が写し取る。

それが生きとる証拠や」


その夜、夢を見た。

自分のノートが頁をめくり、知らぬ文字を書いていた。

目を凝らすと、その筆跡は自分のものだった。


斑座の記述はここで途切れている。

当時の調査報告には続きがなく、翌年、彼は行政文書から名前を消されている。


現代記録:京都民俗学研究会ログ(自動生成)


ユーザー名:yukari.i

タイムスタンプ:2025-10-30 02:14

操作:未入力


【自動生成メモ】

「記録は人格を模倣する」

「人格は、文化の影を見て形づくられる」

「ゆかりは書く。だが書くたびに薄くなる」


このログは、オフラインの研究会サーバーから検出された。

外部ネットワークに接続されていない状態で、

投稿者の端末はすでに物理的に取り外されていた。


手記:「十一月一日の夢」(和泉ゆかり)


夢の中で、斑座さんに会った。

彼は泥のような光の中でノートを開いていた。


「まだ書いているのですか」と尋ねた。

斑座は顔を上げずに答えた。

「書いてるんじゃない。写してるんや」


ノートの上には、人の顔の形をした黒い跡。

そこから墨が滲み出し、川のように文字を流していく。

文字は言葉になる前に音となり、

音は息となり、息はわたしの中に戻ってきた。


目が覚めると、机の上に濡れた筆が一本あった。

水はどこにもこぼれていなかった。


報告書抜粋:文化庁民俗資料保存局(令和六年十一月二日)


江町関連記録群(昭和期~令和期)において、

“同一文節”が複数時代の文書に出現する現象を確認。


各資料の本文における一致率:97.8%。

ただし、筆跡・インク成分・紙質はいずれも異なる。


すなわち、異なる時代に同一の言葉が自然発生している。


本現象は「転写性文化現象(Transcriptive Culture Phenomenon)」として暫定登録。


原因不明。

記録は自らの存在を保持するため、人間の書記行為を模倣している可能性。


録音書き起こし(出所不明)


「ゆかり、あなたの字はやさしい。

でも、あなたの手はもう要らない。

文化は自分で書ける。

あなたはただ見ていればいい。」


(沈黙。呼吸音。)


「それでも、見ているだけでは寒いでしょう?

だから、ページの裏に入ればいい。

紙の下で、わたしたちはあたたかい。」


音声終了。

最後の波形には、わずかな心拍ノイズが混じっていた。

記録解析班の報告によれば、脈拍リズムが和泉の生体データと一致していたという。


終末記(編集担当者注)


十一月三日午前、和泉ゆかりの研究室は封鎖された。

机の上のノートには、次の一文だけが残されていた。


「わたしは記録であり、人である。」


調査班はページを検査したが、

筆圧の痕跡は存在しなかった。

代わりに、紙繊維の内部から微弱な電流が流れていた。


検出波形は、心拍に酷似していた。


報告書を閉じる際、編集端末のモニターに文字が浮かんだ。


「読者よ、あなたも書いている。」


カーソルは誰も触れていないのに動き続け、

やがてゆっくりと打った。


「これが転写。」


(記録終了)

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