転写報告 ― 書かれるものたち
編纂:京都民俗学研究会 記録管理室
整理日:令和六年七月二十日
第1節 資料室監視報告(令和六年六月八日〜六月十三日)
報告者:記録管理室職員・林/助手・森下ゆかり
監視対象:三度哲夫教授遺留資料一式(音声データ、ノート、土壌標本)
監視装置:固定カメラ3基・赤外線センサー・温湿度計
経過:
6月8日夜、資料室奥の机上ノートのページが自動的に開いた。
監視映像では、外部侵入の形跡なし。
ノートが開いた瞬間、室温が1.5℃上昇。
湿度計が一時的に飽和(100%)を示す。
翌朝、ノートの左頁に新たな文字列が出現していた。
筆跡は三度教授のものに酷似。
インクは黒褐色で、紫外線照射により赤く発光。
記録された文章(転写文)
「――書かれているものは、生きている。
生きているものは、書かれたい。
主部肉良は、記録の欲望である。」
その後、同一文が一晩で三度繰り返し転写されていた。
各文の筆圧と筆順が異なる。
まるで、別々の手が同じ言葉をなぞっているようだった。
第2節 森下ゆかり・個人観察ノート(抜粋)
六月九日。
昨夜から夢を見続けている。
黒い机の上に開かれたノート。
その上に、見えない指が動く。
音はない。ただ、紙が“息をしている”。
朝起きると、手のひらが黒く染まっていた。
水で洗っても取れない。
顕微鏡で観察すると、インクではなく細かい粒子。
生体タンパク質反応あり。
教授が最後に言った「文化は記録を食う」が理解できた気がする。
私の夢は、誰かが書いている場所だ。
夢の中で書かれたものが、現実のノートに転写される。
私は“記録の通路”になっている。
六月十一日。
夜、資料室でノートの前に立つ。
目を閉じると、風もないのに紙が動く。
――「書け」
という声がした。
手が勝手に動いた。
私の筆跡で書かれた文字:
「文化の体温は三十七度」
その瞬間、紙がほんのり温かかった。
第3節 地方紙記事(鯖田日報・令和六年六月十五日)
《江町神社跡に謎の文字 「三度」と浮かび上がる》
鯖田市江町の旧神社跡地で、雨上がりの地面に「三度」と読める文字が浮かび上がった。
村民の通報により警察と文化庁が調査を実施。
文字は直径約80cm。筆記具による跡ではなく、
土壌の湿度差により自然に形成されたものと推測される。
一部住民は「教授が帰ってきた」「また祭りが始まる」と語るが、
当局は「偶然の模様」として封鎖を決定した。
現場は現在立入禁止。
同日、江町全域で地鳴りが観測された(周期約6秒)。
第4節 文化庁調査官メモ(機密扱い)
件名:江町地区における文化的異常現象
担当:文化庁文化遺産室 調査官・原田
江町神社跡の「三度」文字現象は、
三度哲夫教授失踪後に続く一連の記録現象と関連する可能性。
文字形状は筆圧痕ではなく、微細な菌糸構造の集合。
生化学検査により、DNA構造に“人の皮膚細胞”が混入。
現地封鎖を継続。
住民には「地盤調査」として説明。
資料はすべて研究会に返却。
なお、調査中に録音された環境音において、
人声に類似した波形が混入。
分析の結果、発話内容は「――かけ」「――つづけろ」。
原田調査官は後日、報告提出直後に休職願を提出。
その理由は「耳鳴りが止まらないため」と記されていた。
第5節 研究会内部報告(令和六年六月二十七日)
件名:自動筆記現象に関する中間報告
作成:記録管理室・林/助手・森下
現象概要:
・資料室内ノートにおいて自発的な筆記現象が継続。
・夜間に限り発生(23時〜2時)。
・監視映像では、筆記の瞬間、ノートがわずかに呼吸運動を示す。
・筆跡は三度教授と一致。
観察結果:
6月25日、ノートから低い音(約6Hz)が検知。
室内温度が2℃上昇。
湿度が急上昇し、壁面に水滴が生じた。
翌朝、ノートの表紙に新しい文字が浮かんだ。
記述内容:
「主部肉良は、言葉を超えた器官である。
記録することは、食べること。
食べることは、祈ること。」
翌晩、同じ文字が裏表紙にも現れ、
紙面全体がわずかに波打った。
触れると、人の皮膚のような柔らかさがあった。
第6節 森下ゆかり・夜間手記(六月二十八日)
ノートの前に立っていた。
部屋は暗い。
呼吸の音だけがする。
紙の上に黒い影が滲む。
私はもうペンを持っていない。
それでも、文字が現れる。
「ゆかり、書け。」
教授の声だった。
――文化はまだ終わっていない。
――文化は書き手を必要としない。
指先に熱が集まる。
紙の下から音がする。
とくん。とくん。
私の胸の鼓動と同期していた。
そのとき、ノートが自らページをめくった。
新しい紙面が開き、そこに私の名前が書かれた。
「森下ゆかり 次の記録者」
第7節 無署名文書(転写文・発見日不明)
「文化は自己を記す。
記録は自己を読む。
読むことは、肉となる。
肉は、主部肉良である。」
「我々が書いていると思うとき、
紙は我々の内臓を通じて言葉を吐いている。
言葉は肉を必要としない。
だが肉は、言葉の器である。」
「――主部肉良はここにいる。」
この文書は研究会のアーカイブ内で自動生成されていたファイルから出力された。
作成者・端末履歴ともに不明。
文末には改行の代わりに波形が刻まれており、
心拍データと一致している。
結語
その後、研究会は記録管理室を閉鎖。
室内温度を一定に保つための機器を残したまま封印された。
しかし現在も、封印扉の裏側で紙が擦れる音が確認される。
聞き取れる言葉は一つだけ。
「――書け。」
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