江町行政資料抜粋および未公開統計報告
編纂:三度哲夫(京都民俗学研究会)
資料整理日:令和六年三月十二日
第1節 福井県文化財課 内部メモ(昭和五十一年三月)
件名:昭和四十七年度調査報告「江町文化群」について
担当:文化財課調査第二班
作成:主査 石山
1.報告書(まだらざ良次作成分)は形式上受理済。
ただし、内容に一部不明確な点あり。
特に「肉羅」「主部肉良」等の語句について、出典不明。
学術的根拠の提示が求められる。
2.同調査に伴う写真資料のうち、フィルム六巻が欠損。
原因不明。現像業者より「受領記録なし」との回答。
3.当該地域(鯖田市江町)は、他地域に比して社会的上昇率が高いとの報告あり。
現象説明に信仰・慣習を結びつけるのは非科学的との指摘が課内より出ている。
統計課と連携し、数値検証を実施予定。
4.まだらざ氏より、報告書提出直後に退任願が提出された。
理由は「健康上の都合」とあるが詳細不明。
連絡は取れていない。
(以上)
この文書には赤鉛筆で「保留」と書かれた上、
端に小さく「※主部肉良=未確認伝承」と手書きされている。
以後、文化財課の公式記録に“主部肉良”という語が登場することはない。
第2節 福井県統計課「地域社会的上昇率調査報告」抜粋(昭和五十二年六月)
調査対象:鯖田市江町・同周辺四地区
調査期間:昭和四十九年〜五十二年
概要:
・江町地区の公務員就職率 県平均の3.8倍
・大学進学率 県平均の2.6倍
・事業所創業率 県平均の3.1倍
上記の上昇率は、所得水準や交通条件では説明できず。
統計的誤差を考慮しても異常値の範囲を超える。
調査員注:
住民聞き取りの結果、社会的成功を「肉羅を見た」と表現する例が複数。
方言として処理したが、意味不明瞭。
「肉羅」を宗教的文言とする意見もあったが、
該当する宗教団体の存在は確認されない。
報告書の末尾には鉛筆で
「再調査要 ※文化的要因か?」と書かれている。
しかし再調査は行われなかった。
第3節 地方紙記事(昭和五十四年一月十日)
鯖田日報 社会面
《江町、全国模範地区に指定》
鯖田市江町が県内初の「模範地域」として表彰された。
教育水準の高さと地域連帯の強さが評価されたもので、
表彰式には村代表五名が出席。
代表の一人は「肉羅講の教えを守った成果」と語った。
取材班が“肉羅講”の意味を尋ねると、
代表者は「昔からある共同体の寄り合いや」と笑って答え、
詳細な説明は避けた。
式典会場には、赤い紐を巻いた漆器が供えられていた。
「寄進品」と札がつけられていたが、製作者名は不明。
同紙の続報では、この供物を「漆製の工芸品」として取り上げているが、
のちにその写真が紙面から削除された。
編集長の談話では「著作権上の問題」とされている。
第4節 県庁倉庫資料目録(平成二年作成)
【目録番号:A-22-47】
資料名:「昭和四十七年度民俗文化財記録調査報告(江町)」
状態:劣化、頁欠損多数
備考:封筒内に赤布片あり。
担当者記名:不明
廃棄指示日:平成二年七月三十日
封筒は現在行方不明。
三度教授が県立文書館でこの目録を見つけたのは、令和四年のことである。
教授のメモにはこうある。
「肉羅に関する物的資料は唯一この赤布であった。
しかし、布は“封筒ごと”廃棄処理されている。
記録が残るのは、廃棄指示票のみ。
つまり、文化とは“捨てられた痕跡”の中にしか残らない。」
第5節 三度教授による資料整理メモ(令和六年)
調査日:令和六年三月十二日
(1)文化財課文書に見える“主部肉良”の語は、
まだらざ良次以外の筆跡で追記されている。
筆圧が強く、他の記録より新しい。
恐らく後年の職員による追記。
(2)統計課報告に記載された出世率3.8倍は、
平成初期以降のデータでも維持されている。
しかし、対象者リストの一部が黒塗り。
職業欄に“工芸職(特別)”と記載された者が複数。
同一姓が三世代にわたって繰り返される。
(3)民俗誌掲載記事(1975年)以降、
“肉羅”という語はほぼ公的文献から姿を消す。
ただし、地元中学校の卒業文集(平成五年)に
《うちのおじいちゃんは肉羅を見たからすごい》
という作文が見つかっている。
教授はこの記述を「文化的遺伝の証拠」と見なしている。
だがゆかり研究員は「言語的模倣の結果」と結論し、
両者の見解は分かれた。
第6節 教授の考察(抜粋)
「主部肉良」という語は、文化の内部から生まれた“自己模倣”である。
それは外部観察者がつけた名ではなく、文化自身が自らを指すための符号だ。
私たちは“主部肉良”を見つけることはできない。
なぜなら、それは“記録する行為そのもの”に宿るからだ。
まだらざの報告書が受理され、修正され、破棄され、
それでも文書の端に語が残った。
その残滓こそが文化の形。
“存在”とは確認ではなく、痕跡の密度である。
第7節 教授手記:江町訪問前夜(令和六年四月三日)
明日、江町に入る。
資料上では豊かな町だ。補助金も入り、工芸観光地として整っている。
しかし地図で見ると、町の中心にぽっかりとした空白地帯がある。
「江ノ原工区」と記され、立入禁止線が引かれている。
文化財課の台帳では、ここに旧工房群があった。
夜、机に古いファイルを並べた。
赤い布の写真はもう存在しない。
だが、蛍光灯の下で紙面の隅が淡く滲んでいる。
湿度ではない。
紙が、呼吸している。
――“主部肉良”とは、文化が呼吸する音のことではないか。
この仮説を提出するか否か、私はまだ決めかねている。
結語(編纂者注)
本章に引用した資料のうち、県統計課報告および内部メモは現存原本を確認済み。
しかし文化財課文書の「赤布」および「フィルム六巻」は所在不明。
これらの欠落が偶然であるか否かは判断できない。
ただ、ここまでの記録に共通するのは次の一点である。
“見た者が出世する”という言葉が、
いまだに誰も否定できていない。
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