第十話「隣国の飢饉と秘密の支援」
俺たちの食料援助はカルヴァニアの民衆を飢えから救った。だがその国の支配者層にとっては別の意味を持っていた。彼らは我が国――特にグランディス領の圧倒的な食料生産能力を目の当たりにし、そこに羨望と嫉妬、そして強欲を抱いたのだ。
「あれほどの穀倉地帯があるのなら奪えばよい」
カルヴァニア王国は驚くべき行動に出た。俺たちの善意ある援助を「我が国の窮状を侮り内政干渉する行為」と一方的に非難し、それを口実として我が国に宣戦を布告してきたのだ。彼らの狙いは明らかだった。グランディス領の豊かな土地とそこに備蓄された食料の強奪である。
戦争。その言葉の響きに王都は震撼した。
すぐに軍議が開かれたが議論は紛糾した。主戦派の貴族たちはカルヴァニアの無礼を徹底的に叩くべきだと息巻く。しかしアルフォンス殿下をはじめとする慎重派は、戦争による民衆の犠牲を懸念していた。
「戦になれば多くの血が流れる。兵士だけでなく国境地帯の民も戦火に巻き込まれるだろう」
そんな中、俺は一つの提案をした。
「お待ちください! 戦争はまだ避けられるかもしれません!」
俺の言葉に軍議の場の視線が一斉に集まる。
「俺にカルヴァニアの王と交渉する機会をいただけないでしょうか」
「馬鹿を言え!」主戦派の筆頭である将軍が怒鳴った。「貴様のような農夫に外交交渉などできるものか! 敵はすでに剣を抜いているのだぞ!」
「だからこそです」と俺は続けた。「剣ではなくクワでこの戦争を止めてみせます。彼らが戦争を仕掛けてきた根本的な原因は食料不足です。その問題を解決できれば彼らに戦う理由などなくなるはずです」
俺の提案はあまりにも常識外れだった。多くの者が一笑に付したが、アルフォンス殿下だけは真剣な眼差しで俺を見つめていた。
「……ダイチ殿。君に策はあるのだな?」
「はい。一つだけ、賭けになりますが」
アルフォンス殿下の強力な後押しを受け、俺は特使としてカルヴァニア王国へと向かうことになった。もちろん反対意見も多かったが「この戦争の火種を作ったのはダイチだ」という保守派の意見を逆手に取り「ならば彼自身に責任を取らせよう」という形でなんとか承認を取り付けたのだ。
リリアやマルクスは俺の身を案じて猛反対した。
「危険すぎます! 敵国の真っ只中に行くなんて!」
「ダイチさん、あんたは農夫であって外交官じゃないんですよ!」
「二人とも、ありがとう。でも俺は行かないと。畑が戦場になるのだけは絶対に見たくないんだ」
俺は覚悟を決めていた。
数人の護衛だけを連れ俺はカルヴァニアの王都へと入った。敵意に満ちた視線が四方八方から突き刺さる。通された謁見の間でカルヴァニア王は、まるで獲物を前にした獣のような目で俺を睨みつけた。
「何の用だ、小国の農夫よ。命乞いにでも来たか?」
王の嘲笑に俺は臆することなく堂々と頭を下げた。
「いいえ、陛下。私はあなた方に『恒久的な平和と豊穣』を提案しに参りました」
俺は懐から一枚の羊皮紙を取り出した。それは俺が数日かけて書き上げたカルヴァニアの国土改造計画書だった。
「カルヴァニアの土地は確かに痩せています。しかしそれはやり方を知らないだけです。貴国の気候と土壌を分析した結果、土壌改良と適切な作物の導入、そして効率的な灌漑を行えば数年で食料の自給自足は可能になります」
俺は具体的な土壌改良の方法、彼らの土地に適した作物の種類(俺が品種改良した寒冷地仕様のジャガイモや麦)、そして山がちな地形を利用した段々畑と小規模な貯水池の建設計画を熱弁した。
「我々がその農業技術を提供しましょう。戦争で土地を奪うのではなく自分たちの手で、自分たちの土地を黄金の畑に変えるのです。血を流す代わりに汗を流しませんか」
俺の言葉に玉座の王も周りにいた重臣たちもただ呆然としていた。彼らは賠償金や領土割譲といったありきたりの外交交渉を予想していたのだろう。まさか農業技術の提供という前代未聞の提案が飛び出すとは夢にも思っていなかったのだ。
「……お前の言うことが信じられるとでも?」
王がようやく絞り出した声で尋ねた。
「信じるか信じないかはあなた方次第です。しかし一つだけ言えることがあります。戦争をすればあなた方は多くの兵を失うでしょう。たとえグランディス領を一時的に奪えたとしても、その土地を維持し作物を作るノウハウがなければいずれまた飢えることになる。しかし私の提案を受け入れれば失うものは何もありません。得るものは未来永劫続く食の安定です」
俺は最後に、とどめの一言を告げた。
「その技術指導の証として私自身がこの国に一年間滞在しましょう」
俺が人質になる。その覚悟がついに彼らの心を動かした。
数日間にわたる長い交渉の末、カルヴァニア王国は侵攻の中止と和平協定の締結に合意した。戦争は開戦の寸前で回避されたのだ。
剣でも魔法でもなく農業の知識が国と国との争いを止めた。
この一報が王国に届いた時、誰もが信じられないという顔をしたという。そしてサトウ・ダイチという男の名はもはや単なる内政家ではなく、国を救った英雄として歴史に刻まれることになったのだった。
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