覚悟

玄関を力強く開き、夏のアスファルトを蹴り上げる。

昨晩、彼女と共に歩いたであろう道をうる覚えの記憶を頼りに息を切らす。


夜と昼間で景色が全くと言っていい程違う。

時折道を間違え、身に覚えのない場所については引き返し、唇を噛む。


間違える度、足をより俊敏に動かし、大股に開く。

彼女の家らしきモノが見つかった時には、顔面は水浸しで。

体中の水が額に流れ出ていた。


ピンポーン

サウナの様な暑さをしたアスファルトの上で、セミの鳴き声を聞きながら彼女の反応を待つ。


ピンポーン

再度鳴らしても、彼女が出てくる気配はない。

肩で息をして、地面には汗がこぼれ落ちる。

僕は両手をグッと握り込んで、もう一度、彼女の部屋のインターホンを押した。


「・・・帰って」

「話がしたいんだ。言いたいこと、たくさんあるんだ」

「帰ってよ!!」


嘆くような、祈るような叫び声だった。

その痛々しい声は、インターホンからではなく、彼女の部屋の中から聞こえてきたものだ。


思わず、一歩後退りしてしまう。

両手を見ると、走っていた時は何ともなかった手の震えが、再び僕を襲ってきた。


「決めたじゃないか」

手をグーに、パーに。

乾ききった唇を舌で湿らして、僕は手から目線を外し、もう一度インターホンに視線を合わせる。


三度目のインターホンが、部屋に響いた。

こちらからは気付けないが、きっと彼女は聞いてくれている。

僕は、インターホンをジッと見つめて、決して目線を逸らさない。


一息。二息。

深呼吸をした後に、大きく息を吸う。

そして、吸った息を舌に乗せるように吐き出して、彼女に話しかける。


「さっきは、ごめん。何もできなくて」

「聞いてほしいんだ、君に、伝えたいことがある」


今度は、中から叫び声は聞こえなかった。

先ほど感じた手の震えも今はない。

日陰になっているインターホンの前で、決して怯むことなく、僕はいう。


「僕はさ、ずっと、怖かったんだ。他人に拒絶されるのが」

「怖くて、自分を偽って、相手に合わせて、生活してた」


「きっと、君は気付いていたんだよね。だからあの時、嫌いって言ったんだよね」


彼女と隣の席になった翌日の事を考えながら、僕は言う。

目の前のインターホンに変化はなく、彼女の声が聞こえてくることもない。

それでも、彼女は聞いている。


「でも、君は、僕を好きだって言ってくれた。飾らない僕に」

「その一言が、僕にとってはとても大きかったんだと思う。だから、ありがとうって言いに来た」


「なんなの」


これまで黙秘を続けてきたインターホンは、再び音を発しだした。


「いまさらそんなこと。私のこと拒絶して、意味わかんない噂バラして、それでまたここにきて自分語りって、マジでわけわかんない」


僕は息を飲んだ。


「違う、聞いて凜さん!!」

「違くない!!!」


今度聞こえた叫びは、インターホンと扉の両方から聞こえてきた声だった。

泣き叫ぶような、目の前にある全てを拒絶するような、そんな叫び声。


「何にも違くないじゃん。私だって、好きで体売ってる訳じゃない。お兄ちゃん捕まって、誰も頼れる人がいなくて、それでも生活の為にお金が必要で」


「だから、好きでもない相手に体売ってお金稼いでたんじゃん。あんたに分かる?」



「そんなの、分かってたよ。ごめん。でも、分からないフリしてた」


「あの時僕に見せた瞳も、言葉も、行動も。全部分かってたんだ。だから、ごめんなさい」


「だからって・・・」

彼女の発する言葉が最後まで言い切られる前に、僕はさきに口を開く。


「だから、今日ここに来たんだ。凜さん。僕は君が好きだ」

「え?」


「あの時あの公園で、飾らない僕を好きだと言ってくれた。その言葉は、僕の鎖を解いてくれたんだ。ほかでもない、貴方が」

「僕も、無邪気に笑う貴方の笑顔が好きだ。願う事なら、ずっとそうして生きてほしい。」


「もう、嘘も騙りもしない。貴方が好きな僕で生きていくから。君もそうしてほしい。だから、一緒に行こう。」


最後に聞こえたのは、困惑の声だった。

僕の唐突な告白を経て口から漏れ出した声が、インターホンを介して僕の耳へと聞こえてきた。


僕は、胸の前に手を出して、彼女の言葉を待つ。


「凜さん、僕と---」


また、言葉を言い切る直前。

次に聞こえてきたのは、インターホンからではない。


力任せに開かれた部屋の扉。

目の前に現れた、正真正銘彼女の肉声を、僕は聞いた。


「ゆうきくん」


現れた彼女は、泣いていた。


僕はその後、泣いていた彼女に招かれて昨日ぶりに彼女の部屋にあがった。

気持ち、昨日よりも部屋が散らかっているように見えた。


僕はテーブルの上においてある大量の飲み薬とカッターナイフから目を離し、彼女の瞳を見た。

彼女は僕を部屋まで招き終えると、ベッドの上に腰を掛けて、手の甲で目元の涙を拭き始めている。


その様子を一目見た後に、息を吸って、彼女の隣にゆっくりと腰を掛けた。


「だいじょぶ?」


その言葉に、「うん、だいじょうぶ」とだけ彼女は答える。


「どうして、ここに来たの?学校は?」


「早退してきた。君へは、話にきた。」


「どうして、きたの?わたしのこときらいだったんじゃないの?」

彼女は瞳を震わせながら、僕にそう問うた。

幾ら彼女の目を見続けても、目と目が交じり合うことはない。


「嫌いじゃないから来たんだ」

手は震えていた。


「どうして・・・?じゃあどうして昨日・・・!」


僕が手に目線を移した途端、彼女は顔をこちらへ向けた。

声に呼応する様に彼女の方へ視線を向けると、その視線は未だこちらを向いておらず。

震えた瞳を隠すように、視線を背け、声と顔だけをこちらに向けている。


「・・・」


重たい空気が、場を支配する。

もう一度息を吸い上げて、また口を開いた。


「君の、目を見るのが怖かった。僕と同じ瞳をしている瞳が、僕を見ているようで怖かった」


今度、瞳を震わしていたのは僕のようだった。

空気を吸いすぎたのか、吐きすぎたのか。

妙に呼吸が重苦しい。


口の中はカラカラだ。


「・・・」


彼女は、何も言葉を発さなかった。

ダメだ、決めたじゃないか。

手をグッと握り込み、震える瞳を彼女の方へ向ける。


「でも、もう怖くない。貴方が言ってくれたから。僕も、貴方に言ってあげたいんだ。だから、来た」


彼女はゆっくりと瞳を持ち上げて、僕の方を向いてくれた。

不思議と、彼女の瞳を見ると口角が上がる。


今度は言えそうだった。

「貴方の笑顔が大好きです。僕と一緒にいてください」


彼女は何も言わなかった。

でも、彼女の目元に浮かんできた涙を見た。


僕は彼女の手を力強く握る。

彼女の涙が布団の上にポタポタと落ちてくる。


「ありがとう」

その後、僕は彼女が泣き病むまで手を握って、肩を持ち続けていた。


僕たちがその後に向かったのは、僕の家だった。


「ここが、僕の家だよ」

「へ~」


彼女は興味があるのかないのか分からない様な声を出して家を見渡している。

僕はそんな彼女をジッと見た後で、家の扉を開けた。


「上がって上がって!外は暑いし!」

「・・・うん、お邪魔します」


レンガのような石で出来た玄関の地面。

その奥には木で出来た廊下と天井。

いつも見ている家だけど、今日の瞳には特別に映る。


彼女は僕の分の靴まで玄関に揃えてくれると、僕の後ろに駆け足でついてくる。

正面にあるスライド式の扉を開けると、リビングだ。


僕は満を持して扉をスライドさせ、彼女にリビングを紹介しようと振り向いた。

振り向く途中、僕の視界の中に不可解なものが映り込んだ気がした。


いや、幽霊とか妖怪とかじゃない。

「へ!?おかあさん!?」


僕が目線を向けた先、リビングへ入る扉の少し先には、両手を腰に当てたお母さんが立っていた。

年不相応に、頬を膨らませながら。


「まったく、どこ行ってたの。学校を早退したって聞いて急いで帰ってきたんだからね」

「え、帰ってきたって、お仕事は?」

「途中で抜けてきたわよ。あんたにしては珍しいし、今日は人も多かったし」


そう押し問答を繰り返していると、母は何かに気付いた様子で少し背伸びをし始めた。

まずい、そう思って僕も足を精一杯に伸ばしてみる。


そんな努力も空しく、母は何かに気付いたような声を上げた。

「あら~」


最悪だ。

僕は思いっきりため息を吐いた。

振り返ってみると、彼女も不思議そうな顔をして身を乗り出してリビングを見ていたのだ。


そりゃ、バレるか。

どう言い訳すればいいのか分からず、再びため息を吐きながら僕はリビングの扉を閉めた。


そうして今、僕たちは一つのテーブルを囲んでいる。

僕の正面に母、隣には凜さんがいる。


「だから、さっき言ったでしょ」


そう嘆いたのは、ほかでもないぼくだ。


あの後流石に誤魔化しきれず、母は僕らから事情を深く聞くために椅子に座らせた。

そこから、一通りの出来事を母に話したのだが、母は妙に納得がいっていない様子だ。


親指と人差し指をピンと伸ばして頬肉を持ち上げ、如何にも納得がいってなさそうな表情を作る。


「まぁつまり、あんたがその”噂”ってのを人に言った本人ではないんだよね?」


何度言ったら分かるのか、そしてどうしてその部分に深くこだわるのか。

僕は呆れ混じりの同意を見せる。


母は、そんな僕の様子と隣に座る彼女の様子を交互に見る。

何度か往復した後、やっと本人なりにも納得が言ったのか

「ならよし」

と言って、テーブルの上に置いてあるお茶に手を伸ばした。


「それでさ、お母さん」


これからが本題だ。と言わんばかりの重苦しい表情を作りながら話す。

母も、そんな僕の表情を察したのか、先ほどまでの砕けた表情から一変して真面目な顔つきになった。


「凜さんをさ、うちに泊めれないかな」


隣からは、「えっ」っと聞こえてきた。

彼女には言っていなかったのだから当然の反応だろう。


対照的に、目の前に居る母は粛々と僕の目を見ている。


「僕はこの子をもう独りにさせたくない」

「だから、お母さん、お願いします」


母の目を見て、そう言った。

机の下で、僕は彼女の手を握る。


母と目線が交差し、そのまま何秒が経過しただろう。


気付くと、彼女もまた僕の手を握り返している。

僕は、母の目を逸らさずに、見続けていた。


「仕方ない子だね」


僕の思いが届いたのかどうか、母はゆっくりと話し出す。


「ゆうき、あんた、中途半端に放りだすんじゃないよ」


母は、力強い目で僕を見て、そう話した。


最近は泣いてばかりだ。

頬に涙がこぼれ落ちてくる。


「・・・うん」

必死に嗚咽を堪えて、腹の中から搾りだした。

膝に置いた手の甲に、涙が落ちる。


「ありがとう」

泣きながら、そう声を発した。


「でも、学校にはちゃんと行きなさい。凜ちゃんも連れてね」

「うん、分かった」


僕は泣きじゃくった後の顔を手で拭って、返事をした。

母はそんな僕を見て息を吐いた。

強張っていた肩が柔らかくなって、いつものお調子者の母に戻る。


「凛ちゃんも、こんな泣き虫の子だけど、よろしくね」

「は、はい」


彼女はまだ緊張しているのか、強張った声で返事をした。

そんな様子をみて、母は優しく微笑んだ。

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君と見る星空に、貴方はいない。 超論理的なチワワさん @cho_ronriteki_tiwawa

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