キスにキスしてキスをした。

ベガにアルタイル、それにデネブ。

ある少年と少女が歩く夜の道路。そんな頼りない後ろ姿を、動かずジッと見守る三つの星がいる。

彼らは「夏の大三角」と呼ばれる、三つの星から成る三角形の一端を担う星々だ。


空に浮かぶ彼らはとてもお節介で、ぼくたちがどんな道を進もうとも、必ずついてくる。

夏を象徴する三人のお節介は、僕たちをしつこいくらいに付け回してくるので、いつもは少し鬱陶しく感じていた。だけど、今日の夜ばっかりは、彼らに泣いてすがりたくなる程、僕は体を震わせている。


なにも、大怪獣に追われている訳でも、殺人犯が隣を歩いている訳でもない。

隣にいるのは、少女だ。同い年で、同じ学校に通っていて、同じクラスの隣の席に座っている。ただの幼気な少女だ。


ではなぜ、体の震えが止まらないのか。

彼女の正体は殺人犯だったのか。違う。

夜の町に男女が二人息を揃えて歩いている。そんな状況で、緊張で身震いが止まらないだけだ。


昼間は焼き尽くす様な鋭い日差しがさんさんと降り注いでいたのに、夜の町は、そんな日中を忘れてしまう程暗くて涼しげだ。


そんな中、次の口を開いたのは、今度は彼女の方だった。


「それで、どうして君がついてくるの?」

「どうしてもなにも、君がついてきていいって言ったんじゃないか。」

「分からない人ね。そうじゃなくて、どうしてついてくるなんて発想に至ったのかって聞いてるのよ。」


女の子らしからぬ、大股で早めの足並みに歩幅を揃えつつ、僕らは言葉を交わす。

数十秒にいっかいか、数十歩にいっかい、道の両側にある街灯の真横を通る。

そのたびに、彼女の顔と僕の顔の両方が照らされて、僕は彼女の顔を見る。


彼女はというと、僕の顔を見る事なく、ただまっすぐ前を向いて歩いている。


最近は、分からない事だらけだ。

どうして、あの時あの瞬間。彼女にあんな言葉をかけたのか。

僕にだってわからない。ただ彼女の顔を見て、口から零れ出た言葉。


彼女は一体、どんな言葉を望んでこの質問を僕に投げたのだろうか。

真暗な夜道では、いくら顔を歪めて考え事をしても、気付かれないから良い、

本来恐怖の対象である暗闇も、この時ばっかりは感謝しないとならないなと思った。


「・・・なんか、寂しそうな顔をしてたから」


意外にも、僕の口から出た言葉はそのままの言葉だった。

そのまま、あの時思った感情を、言葉の膜に包んで放り出しただけだった。

隣にいる彼女もまた、そんな僕の言葉に驚いて、いや、失望かな。


とにかく、ため息と驚きの声がまざった様な声を出した。

僕は自分が言った言葉が妙に面白おかしく感じて、つい暗闇の中で顔を背けてしまう。

数十歩おきに訪れる街灯の光に照らされた顔は、とてもじゃないけど人に見せられない顔をしていて。

幸か不幸か、彼女が目線を向けた先に映ったのは、照らされた僕の後頭部だった。


僕の母親然り、女の人という生き物はたまに、エスパーなんじゃないかと思うくらい僕たちの心を読んでくる。

今回もそう。彼女は、僕の後頭部しか見れなかった筈なのに、まるで僕のこの、赤く染まったタコの様な顔を見たかの様に「ふ〜ん」と言い、妙に納得した様子を見せたのだった。


放課後に、女の子と二人きりで下校することなんて僕にはよくあった。

そのたびに鼻につくような臭いセリフを言って、女の子を翻弄させてきた。

漫画やアニメで習う恥ずかしい誉め言葉さえも、僕は巧みに操ってきた。


でも、その言葉は所詮、漫画やアニメで習った言葉の域を出ない。

不思議と、彼女といるとこういう事が多い。心の中でボソッと出てきた言葉の泡が、そのまま喉、口の中、へと上がってきて、抵抗空しくあふれ出てしまう。

否、抵抗等もともとしていなかった様にも思える。ただ、体を任せて話している感覚に。


「ありがとね」


意外にも、頭の後ろから聞こえてきたのは感謝の言葉だった。

「やっぱさ、今の君の方が私は好きだな」

「それって、前言ってた?」


僕は彼女の方に頭を向けてそう問い返した。


「うん。学校にいる君はなんだか、君じゃないみたいなんだ」

「・・・そうなんだ」


気付くと彼女は、女の子らしい小振りな歩幅で歩いていて、僕も彼女に合わせてゆっくりと小振りに足を動かしていた。

そして、彼女は徐々にその歩みも速度を落として行って、ついにはある一軒のアパートの前で足が止まった。


「ここ、わたしのいえなの」


そう、彼女が建物に向けて指を指す。

彼女が指さした方向にあるアパートは、綺麗とは言えない見た目で、何やら安そうで地震で崩れ落ちてしまいそうなアパートと、僕はそう思った。

僕はアパートを一通り眺めてから、彼女の手元に目を戻し、次に彼女の目を見た。


目が合うのは、これで何回目だろう。数えられるくらいの少ない回数だ。


「そっか、じゃあ僕はここで、またあしたね」

「うん」


僕は、彼女に向かって別れの挨拶をする。顔の右側に手を持ってきて、彼女が僕にした時と同じように手を振って、またあしたと彼女に告げる。

彼女は、そんな僕の手には目もくれず、ただ一点。

僕の目だけをずっと見つめていた。


あまりに僕の目から目をそらさないから、僕は目をそらしてしまった。

彼女は、一向に自分の部屋に向かう気配がなく、僕はそんなどうしようもできない空間に少し、額に汗を流していた。


僕になにか話すことがあるような。はたまた僕からなにか言葉を待っているような。

両方に捉えられる彼女の顔を見て、目をそらして、また見る。


「どうし・・・」

「部屋、上がっていかない?」


三回目。今度口を開いたのは、同時だった。

僕が彼女の熱烈な視線に耐え切れず、沈黙を破り捨てようとした途端、彼女もまた沈黙を破り捨てた。

だけど、そんな彼女の言葉はあまりに現実味のない言葉で、僕は頭の中のものを失くしてしまったんじゃないかと思う程だった。


「へ?」

「今日、親いないの。」

空っぽの心から出た言葉は、もはや言葉ではなかった。

単語ですらない。鳴き声の様なもの。

生き物が困惑したときに咄嗟にこぼれ出る鳴き声の様なものが、僕の口から零れ出る。


そんな僕とは対照的に、彼女は常に冷静で平常心を保っているように見える。

その証拠に、僕が幾度彼女から目を逸らし、また目を向けても尚彼女はずっと僕の目を見ていた。

その瞳は困惑や照れくさい等の感情が宿っているようには見えず、ただ当たり前のように自分の頭の中の文字を音読しているように見える。


「あがるの?」


でも、不思議と、そんな瞳の奥底に僕は、何かを感じ取った気がする。

聞かれても分からない。それが何なのか説明はできない。

でも、何か、彼女の瞳からは、儚い少女の黒いモヤの様なものを感じた。


「ほんとに、いいの?」

「うん、いこ」


そう言うと、彼女は体を捩じらせて足をアパートに向ける。

夏の夜。昼間の内に焼けたコンクリートの匂いが、涼しい土の匂いと混ざり合って僕の鼻まで泳いでくる。


そして、また一つ。そんな夏に加わる匂いが二つ。古いアパ-ト独特の、僕があまり嗅いだことのない匂いと、女の子がまとう、これもまた僕が嗅いだ事の無い、ドキドキする匂い。

そんな匂いに、困惑させられながら。


「お邪魔します」


僕は彼女の部屋に足を踏み入れた。

初めて入る女の子の部屋は、想像とは違うものだった。

決してゴミ部屋とは違う部屋だけど、所々にゴミや服が散乱している。


キッチンには簡単な料理をした跡があるが、後片付けも半端なもので、水面台には洗いものが溜まっている。

僕は彼女に連れられて奥の部屋まで連れていかれると、4畳ほどの質素な部屋に置いてあるベッドに腰を掛けた。


枕や布団が水色の可愛らしい色をした寝具で、ここが彼女の部屋なのだと確信する。

それと同時に、床に散らばった私服やタオル、下着等を見て嬉しいような嬉しくないような、相反した二つの感情が芽生えた。


彼女はというと、その例の台所まで行って水を用意してくれたみたいだ。

透明な器に半分程入れられた水を両手に持って部屋に入り、ドアを閉める。

「汚くてごめんなさい。これ、水。」

「ううん、大丈夫だよ。でも、ほんとに上がっちゃってよかったの?」

「うん。ずっと一人だから。」


その言葉を聞いて、僕は彼女がテーブルの上においたコップに口を付けた。

決して冷え切っているとは言えない生暖かい水を、二度、喉を鳴らして飲み込んだ。

半分の半分になった水の入った容器をテーブルに戻して、僕は自分の隣に目を向ける。

彼女は当たり前の様に僕の隣に座ってきて、学校での彼女の様子からは考えられない距離の近さに、心がドギマギしてしまう。

すると、僕からの目線に気が付いたのか、彼女もまた僕の方を見てきた。


また、目が合った。


「一人って、前も言ってたよね。親は、あんま帰ってこないの?」

「うん、私親いなくって。ずっと一人暮らし」

「え、それって、ダメなんじゃ?」

「つい最近まで、お兄ちゃんと住んでたの、この前、捕まっちゃったんだけどね」

「そうなんだ・・・」


あまりに現実離れした話を聞いて、無神経な質問をしてしまったと自分を咎めた。

神の仕事は意外にも早く、とてもじゃないけど耐え切れない気まずい空気が部屋を満たす。

無神経な質問をしてしまった罰だなと、思った。


「何か困ったことがあったら僕に言ってよ」


この状態を一刻も早く改善したくて、僕は数メートル先にある壁を見つめながらそうつぶやいた。隣からは、「うん」と小さな声で返事をする彼女の声が聞こえて、それを聞いてまた僕は、手持ち無沙汰になってしまう。


考えなしに上がってきた彼女の部屋で、途方に暮れてしまう。

僕はこの部屋に何を期待して、何を望んで上がってきたんだろう。


そう、自分に問いて、自分の答えを待っていた時だった。


瞬間。僕の視界は大きく揺れて、見慣れない天井が視界いっぱいに広がっていた。

その天井を見て、何が起きたのか理解出来る程、僕の頭は冷静ではなかった。

僕が今の現状を理解できたのは、それから数秒も経った後のことだった。


僕は、彼女に押し倒された。胸の辺りに感じる重量感に気付くと、それが彼女の頭であることにも気付いた。彼女は、僕の心臓の鼓動を聞くように耳を服に擦りつけていたのだった。


視界の処理でいっぱいいっぱいになっていた頭の処理が首、体、手足と徐々に広がっていき、腕を彼女の華奢な手で押さえられているのも、足を体の腰で押さえつけられているのも、おくれて理解できた。


「え、?」


ただただ困惑、そして恐怖。

心臓の鼓動はどんどん早くなっていって、手足の力が抜けていく。

そんな僕の心臓の鼓動を、彼女はただ静かに聴いていた。

精一杯体を見ようと首を傾けても、彼女の綺麗な頭頂部しか見ることが出来ず、困惑は一層大きくなった。


「ドキドキしてるね」


彼女は口を開く。

刹那、天井が視界いっぱいに広がり、くすぐったい全身の感覚に身をよじらせる中、僕の視界に女の子が映り込む。

僕が見た彼女の顔は、これまで見てきたどの顔とも違うものだった。


僕が見た彼女の顔は、サキュバスの様に歪んだ口元に、とろけきって獲物を見る様な目元。

そして、相変わらず変化のない瞳。


「わたしのこと好きでしょ?」

「え、?」


そう僕の目に語りかけると、彼女の唇は徐々に近づいてくる。

ゆっくり、ゆっくりと。

放心状態だった僕の心は、唇に感じる暖かくて柔らかい感触で意識を取り戻す。


そして、気が付くと彼女と僕の手は絡まりあっていて、さっきまで静かな部屋には激しい口づけを交わすリップ音が響き渡っていた。

彼女は僕の身体の上で物足りなさ気に体をよじらせて、何度も何度も僕の唇を奪う。

途中息が切れても、唇を離し、息を整え終わる前にまた唇を奪う。


快楽に溺れた僕の頭の中はドロドロで、耳から脳が出てきてしまいそうだった。

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