星が起こした奇跡に。

その日の午前の授業は、グラウンドが雨でぬかるみになったため室内で行った体育と、いつもの通りの座学。

昨日あんな衝撃的な事があったというのに、平然としている彼女の横顔に、やはり若干の違和感を抱いた。それに、今朝クラスの女子から言われた言葉。


一気に、たくさんの事が起きすぎていてどうもついていけそうにない。

まだ早とちりかもしれないが、十中八九彼女にされるのは告白であることは間違いないだろう。彼女の性格的に、いたずらで告白する様な子でもないし、そんな彼女の周りに集まる人たちも、同じ類の人達であるというのが僕の考えだ。


今まで、告白は何回もされたことがある。

でも僕にはまだ、自分から好きになった子がいない。

時には、付き合っていけば自然と好きになっていくんじゃないかと思って、告白を受けて付き合ってみたこともある。だがしかし、やはりうまくはいかなかった。


だから、基本的に僕は女の子からされる告白には、一貫してお断りを入れている。

本来、告白されるという事は、うれしい事の様に思う。

僕だって、以前までは告白されるたびにうれしく思っていた。なぜなら僕が行ってきた行動や発言は彼女にとって正解のものだったんだ、と赤丸を貰えた気がするから。


だけど、今朝彼女からの言葉を聞いて、僕は少しの嬉しさと同時に、今までとは違う感情を抱いた気がする。でもその感情を言語化出来る程の冷静さを、僕はまだ持ち合わせていなかった。


給食を食べて、五限目の授業。


今日は小学生の頃から続く週一の授業である道徳の授業が入っていた。

道徳の授業は、教科ごとの担任が行うモノではない。

その教室の担任の先生が、自分のクラスの道徳を担当するのだ。


二年二組の僕らの担任の先生は、それこそ説明の必要がないくらい平均的な中年のおじさんだ。日曜日、町の銭湯に行けば10人はいるであろうおじさんが、僕らのクラスの担任をしている。


僕の様な特に悪目立ちもせず、真面目に授業を受けている生徒からすればこの先生は決して悪い教師ではない。だけど、拓たちの様な少しヤンチャな生徒や、一部の女子達からは必要以上に嫌悪されている。


確かに、下っ腹が出た中年おじさんではあるし、理不尽に怒ってくる頭の固いおじさんだとかセクハラをしてきそうだとか、言っている事は理解できる。

だけど、しっかりと見ていれば、それほど嫌う理由のないいたって普通の教員だ。


中年小太りのおじさんを見てそう考えていると、先生は黒板に大きく文字を書き始める。


『人とは何か?』


僕らが行う道徳の授業では、各授業ごとにテーマが決められる。

そのテーマに沿った物語を読んだり、自分達で意見を出し合ったりするのが道徳の授業だ。


僕は、今日のテーマを聞いたとき頭に疑問符を浮かべた。

『人とは何か?』

生物学的な話なのか、哲学的な話なのか。


どちらにせよ、僕にとって人とは自分であり他人である。

単純明快且つ淡泊な質問に、僕はそう結論付けた。


「中学二年生という時期は、人格形成においても重要な時期だ。第二次性徴を迎え、心身共に大人に近づいていく時期だからだ。」

「そんな大事な時期に、今日はみんなでこのテーマについて、考えてもらいたい。」


第二次性徴。

保健の授業で習ったことがある。大人になるためのたくさんの変化が起きる時期のことで、いわゆる思春期というらしい。


ぼくには、まだそれは来ていないように思える。

まだ身長は男子の中でも前から数えたほうが早いくらいだし、声も甲高い。

でも、授業で聞いただけであんまり実感できてなかったけど、周りのクラスの人の様子を見るに、徐々にその性徴が訪れている人も多そうだ。


ふと、隣の席に目を向けた。

彼女はいつもの様に、静かに先生をジッと見つめている。

でも、今日は少しだけ違う様子だった。


何故なら今日は、彼女と目が合ったから。

ほんの一瞬目を向けただけだったけど、確かに瞬間、目と目が合った。

何かうしろめたい事があるわけでもないのに、僕はつい目を背けてしまった。


「これから大人にグッと近づいていくお前たちは、これから沢山の事を経験する。辛い事も、楽しい事も。時には、そんな感情の渦に飲まれて、立ち上がれなくなる時も来るかもしれない。」


「人生は、何が起こるか分からない。だけど、どんなときにも、必ず人はいる。人間は一人では生きていけない。良くも悪くも、人の周りには必ず人が居る。」


「だから、お前たちには今の段階から、その人について、話していってほしんだ。」


人。

人という漢字は、ひととひとが支え合っている様子を表した漢字らしい。


『人とは何か。』


もう一度、黒板に書いてあるその文字をみた。

僕にとって、お母さんは。

僕にとって、お父さんは。

僕にとって、先生は。


僕にとって、凜さんは一体なんなのだろうか。



僕は五限目の授業が終わると、教科書が入った重たい鞄を背負い、校舎裏まで向かった。

その足取りは、少しだけ重たくて、午前の内に晴れた空模様が嘘のように感じる。

普段はひとけが少ない学校の校舎裏。

正門から正反対の位置にあることから、放課後は更に増してひとけが少ない。

今日はそんな校舎裏に、四つの人影があった。


午前中の天候故か、いつもよりジメジメとした校舎裏には、校舎の陰に隠れるように、一人の少女が立っていた。

関口彩花。今朝僕に、放課後校舎裏に来てほしいと話した張本人。


そして、その少し後方には、そんな彼女を影で見守る二人のクラスメイト。

校舎の建物で体を隠しながら、時折頭をのぞかせてこちらの様子を見る二人。


告白を行う現場にまでくるのか。別に構わないが、こちらが気をつかってしまう。

しかし、この四人の他に人の気配はない。

その為今日この場にいるのは、この四人だけで間違いなさそうだ。


「あ、あの。」

意外にも、先に口を開いたのは目の前にいる彼女だった。

沈黙に耐えられず、なんて声を掛けたら良いのか迷っていたので、先に声を上げてくれてとてもありがたい。


「いきなりごめんね。今日は来てくれてありがとう」

「ううん、良いんだ。それで、要件って?」


僕がそういうと、彼女はゆっくりと息を吐いたり吸ったりして、自分の気を整え始めた。

赤く染まった彼女の頬に、緊張してカチコチに上がりきった肩。

覚悟が付いたのか、ふぅと一息吐いて、僕に向けて全力の上目遣いをお見舞いした。

そんな射程圏外からの一撃に、内心揺さぶられつつ、僕は彼女の目を見つめ返す。


彼女の後ろの観客席からは、少量ではあるが応援の声が聞こえてくる。

そして、ゆっくりと彼女の口は開いた。


「貴方の笑顔とか、話し方とか、優しくしてくれるところとかが、好きです。」

「私と、付き合ってください。」


その言葉を皮切りに、校舎裏にはいつもの静寂が訪れた。

その場にいた全員が息を飲み、次の一声に期待する。

不思議と、土に染み込んだ雨の匂いが鼻孔をくすぐった。


「あやかさん、その・・・」


彼女に、自分の考えを伝えようとした。

でも、伝えようとした声は、何故か、喉の奥につっかえた。

彼女は依然、僕の目から目を逸らそうとせず、ただ一点を染めた頬と共に見つめている。


僕は固唾を飲み込んで、お腹の中から、また声を出した。


「少し、考えてもいいかな。」

男らしい、と言われれば全国の父が横に首を振る。

勇気をもって告白してくれた女の子に、僕は若干の猶予を要求した。

とても罪深い行為である。一片の希望を見せるという行為は、それを見せない行為以上に残酷なものだ。


彼女は、そんな愚かな僕の要求を快く承諾してくれた。

また明日ね。そういうと彼女は僕に向けて手を振って、僕に背中を向け走り出した。


僕は、そんな彼女が友人に向かい入れられるまでの様子を見守った後、空を見上げてみる。

真っ青なキャンバスの左側に、クリーム色の長方形。

海の様に澄んだ空には、数匹の白い魚が泳いでいる。

右端から左端へ、脇目も振らず泳ぎ切る。


僕は、その魚がキャンバスを泳ぎ切るのを見届けた後で、自宅に向けて足を進めた。

その日の夜。

僕は望遠鏡を担いで道路を歩む。


家を出て直ぐの間、辺りは光に溢れて、和気あいあいとする家庭の熱気が、外にまで漏れ出していた。星を見るのに不相応な辺りの光は、歩みを進める度に少なくなっていく。

そして、徐々にその熱気は失われて、代わりに夜の寂しい空気が辺りを満たす。


すると、身体はどんどんと縮こまっていって、僕は公園に着く。


『星空公園』


公園の入口にある大きな石の側面には、大きく漢字が書かれている。

暗闇に支配された空間で、その漢字を目視するにはグッと顔を寄せてみないといけなかった。


そうして公園に入ると、僕は向かって正面、公園の端にあるステージに目を向けた。

そのステージに高低差は無く、ただ幾つかのベンチが置いてあるだけだったけど、一つ。

その一つだけ照明を浴びていない暗闇を見て僕は、まるでステージみたいだと思ったんだ。


まして、その空間を歩んだ先、その場所にいた少女を見て僕は自分の考えに花丸を付けた。

そして、今日もまたその暗闇、そこにあるベンチの上に、ある少女が座っていた。


「こんばんは。凜さん。」

「ええ、こんばんは。」


僕はいつもの挨拶を終えると、持ってきた望遠鏡をその場に設置する。

作業の途中、僕は彼女に今日起きたことを話していた。

僕が告白された事を告白すると、彼女はただ「ふ~ん」とだけ喉を震わせる。

どうやら、今朝のホームルーム前の話を彼女は盗み聞きしていたらしい。


「それで、どうするの?」


彼女は、他人事のように他人である僕にそう言った。

どうするの?と、言われてもそれが分からないから僕は彼女の告白を一時的に保留にしたんだ。

それに、端的にいうと僕にはわからない。


これまで告白は何回もされてきて、一部を除いてその度に断ってきた。

僕にとって告白とは、これまでその女性に対する行動の結果でしかなかった。

目の前にいる少女は、きっと僕を見ていない。

辺りが暗くて、光がないから文字なんて殆ど見えない癖に、ずっと本ばかりを見ている。


彼女は、僕のことを嫌いだと言った。

そして、ぼくのことを好きとも言った。

「貴方」と「君」


どちらも、僕だ。

でも、彼女から貰った好きは、今まで貰った誰からの好きよりも特別なものだったように感じる。


組み立て終わった望遠鏡をのぞいて、星へピントを合わせる作業を始める。

僕は、今心の中にあった疑問を、口に出すことにした。


「凜さんはさ、どうして僕の事が嫌いなの?」

「・・・どうして、そんなこと聞くの?」


彼女の動きが、暗闇の中で止まった気がした。

すると、土を踏む音が徐々に近づいて、ついにはすぐ後ろでピタっと静止する。

そして、またすぐ後ろから彼女の声が聞こえてきた。


「別に大した理由じゃないわよ。ただ、人に合わせて猫被るやつ見ると無性にイライラするだけ」


それにしては、物凄い嫌われようだった気がする。


「それにしては、物凄い嫌われようだった気がする」


しまった。思った事がそのまま声に出てしまった。

僕がピントを合わせようとする星に変化はないが、後方から感じる気配に変化はあった。


「それは、前に謝ったでしょ。」

「知りたいんだ。僕の何がきみにそう感じさせたのか。」


すると、彼女の気配がまた変化する。

刹那、後方で再び足音がした。その足音は一歩、二歩、三歩と鳴る度に遠ざかり、ついに聞こえなくなる。


僕は、彼女が神隠しにあったのかと思い振り返ると、彼女は暗闇のベンチにまた座っていた。


「そういうとこよ。そういうところが嫌いなの。」

「そういうことって?」

「そういう、人からの評価ばっかり気にして、自分を持ってない所が大っ嫌いなの。」


彼女は、小説のワンフレーズを音読するようにそうつぶやいた。

僕はそんな彼女の声を聴き終えると、妙に星空に気を引かれたので、ゆっくりと顔を空に向けた。

今日、関口さんに言われた好きと、今目の前の彼女に言われた嫌い。


それは明らかに、どちらも同じ僕に向けて発した言葉だ。

関口さんが好きと言った僕に、彼女は嫌いと言った。


「じゃあ、どうしてあの時は、好きって」

「君、それを聞く?普通聞かないわよ。」

「気になったから、」


途端に落胆した彼女は、また口を開いた。


「言うわけないでしょ。」

「そっか、」


正直、そう素直に話してくれるとは思ってなかったけど、案の定だった。

でもきっと、彼女があの時に言った好きは、彼女にとって正しくて、それが僕の心を塗り替えた。


もし、彼女が好きといった僕を関口さんが見たら、関口さんは何と言うのだろうか。


その後僕たちは、夜空に浮かぶ星々を一本の筒で眺めながら、他愛もない会話をした。

制服姿の彼女はやっぱり、ピンと姿勢よく座って話をしてきて、僕が星にピントを合わせる時にだけ立ち上がる。

星を見るときだけは、中腰で姿勢悪くしなくてはいけなくて、除き心地の悪い姿勢に顔をしかめつつ、最後には星を見て微笑む彼女に、心がそっと舞い踊った。


そうして、二人の時間はあっという間に流れて行った。


「それで、君はどうするの?」

「まだ、分からない。」


一通り星を見終わって二人でベンチに腰を掛けた後、彼女は話題を戻す。

そんな彼女の問いに、僕は曖昧な答えを返した。


数秒。体感にして数分にも感じた。

そんな僕の答えを聞いて、声を出すものはいなくなった。

物静かで普段通りの公園が、ふいに訪れた。


「そろそろ、帰ろっかな。」

静寂の圧力に耐えきれなったのは、僕の方だった。

何時間ほどたっただろうか。そろそろ家に帰らないと、母も心配する。

自分にそう説得して、この気まずい雰囲気を脱そうとする。


それでもまだ、隣の彼女は声を発しない。

真暗で灯が無いから、このベンチに座ると彼女の顔が見れない。

だから、いつも僕はこのベンチに道具を置いて、手元が見える程度の灯がある所まで移動する。


夏の夜。

夏の大三角が頭の真上にとどまった時。

そして、僕が椅子を立とうとした時。


星が起こした奇跡なのか

それまで、主役を待ち続け沈黙を貫いていた灯は、光をまとう。


数回点滅した内にまとったその光は、ほんの一瞬であった。

だが、その一瞬に照らされた彼女の顔は、僕の足を引きとめる。

とても、寂しそうで、悲しい顔をする彼女を見て僕は。

袖が腕までまくられて、露出した手首にある無数の傷跡を見て僕は。


「一緒に帰ろ。」


打算も、計算もなしに、考えると同時に、頭から直接出た言葉だった。

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