それは私の偽物です

露木草理

第一章

【第1話】公爵令嬢

 目を開いた時には、重力を忘れて久しかった。


「ライティア嬢。こちらは生徒会室ですよ」

「ご、ごめんなさい。何か手伝えることがないかと思って……」

「お気持ちありがたく頂戴します。ですが個人情報も含まれますので、部外者にお立ち入りいただくわけにはいかないのです」

「そんな……」


 努めて丁寧に諭す黒髪の少年と、悲痛に顔を歪める金髪の少女。少年の方は筋が通ったことを言っていると思うが、少女はまるで頬を打ち据えられたように悲しげな顔をしている。

 少女が去ると、少年が背にしていた扉が開いた。出てきたのは、ツンとした感じの茶髪の少年だ。


「ルーカス」

「ああ、ダグくん。ごめんね、時間かかっちゃって」

「またミシェルか。剣を突き付けてでも追い払ってしまえばいいだろう」

「そうはいかないよ。公爵令嬢相手に」

「……ふん」


 困ったように眉を下げる黒髪の少年。心底嫌そうに鼻を鳴らす茶髪の少年。


 ふむ。

 ミシェル・ライティア公爵令嬢は私のはずだが、何故彼女がそう呼ばれているのだろう?


 少年2人は疲れの滲む顔で目線を交わし、生徒会室に入っていった。取り残された私は、廊下でぽつねんと佇むことになる。


 手足は重力を感じない。手のひらを掲げてみると、その向こうの庭園が透けて見えた。夕方の日差しが白亜の東屋をじんわりと染め上げている。素直に美しいと思う。


 それから数日、この場所について調べた。

 どうやらここは、私も入学予定だった王立学園らしい。何人か顔見知りも見つけた。あの日に見かけた茶髪の少年も、私が私の肉体を持っていた頃に親しく付き合っていた覚えがある。

 学園が所在する王都も軽く見て回り、近日中に改築予定と聞かされていたレストランがすっかり街並みに馴染んでいることも確認した。

 そして、ミシェル・ライティアを名乗る彼女は、10歳の誕生日に魔物に襲撃されて意識を失い、目が覚めるとすっかり人が変わってしまっていた、と。


 私の1番古い記憶もそのくらいだ。


 つまり、魔物に襲撃されたあの日、何らかの契機で彼女が私の肉体に入り込み、私は追い出されてしまったのだろう。肉体を失った魂は、数年の空白期間の後、自分の肉体の傍らで意識を取り戻した。

 今はこのくらいしか分からない。


 分からないなりにふらふら学園内を探索していると、ある東屋の前を通りかかった。学園の使用人が、屋根の下の人物に何かを告げている。


「殿下、ミシェル・ライティア公爵令嬢がお越しです。取り次ぎを願っていらっしゃいます」

「……そうかい」

「僕が出るからいいよ。少し待っていて」

「……たまにはオレが出る」

「ダグくん、また泣かれるかもしれないよ」

「知ったことか」

「いいから。セオドア様から離れないでね」


 私の肉体は、大きな瞳をたっぷりの涙で潤ませ、不安そうに東屋を伺っている。そこまでして重大な用件でもあるのかと思えば、言うことはいつも「何かお手伝いできることはありませんか?」だ。悪気があるか否かは知らないが、毎度丁重に断る少年たちが気の毒になる。


 ふむ。


「……ライティア嬢、お待たせ致し……」

「きゃあっ!」

「えっ?」


 風の魔術を使って、私の肉体の髪を乱してみた。寝起きのようにボサボサだ。そんな姿で殿方の前に立つのは、淑女としてさぞ気分が悪いだろう。私の肉体はポカンとしていて、数秒後、カッと頬を赤くする。その後は羞恥を堪えるように俯くばかりで、少年が立ち去るように促すと、すすり泣きながらも食い下がることなく立ち去った。

 いつになく短時間での退去だ。ここ数日で魔術を使う練習をしておいてよかった。


 少年は訝しげに私の肉体の背を見送っていたが、屋外であるし突風として納得したのだろう、振り返って東屋に戻った。

 が、東屋の中に残った2人は、どこか愕然とした顔で私の肉体が先程まで居た場所を見つめていた。私が私の肉体を持っていた頃の馴染み、公爵家の跡取り娘として廷臣たるべく育てられたミシェル・ライティアの主君と同志。


「ミーシャ従姉ねえ様……?」


 そう呼ばれるのも、久しぶりだ。

 ああ、真っ先に魔術の練習をしておいて本当によかった。風の魔術が使えれば、応用として音が出せる。


「よくぞ気が付きましたね。セオドア、ダグラス」


 あの頃のように褒めてみれば、2人は目を見開いて固まる。疑念と歓喜が錯綜する顔が哀れになって、風で優しく背を撫でてやると、頬を赤くして、ぼろぼろと泣き出した。


「ところで、わたくしの10歳の誕生祝いのために取り寄せさせた隣国の蜂蜜菓子は、もしやあの方に食べられてしまったのでしょうか……?」

「この期に及んでなんだその危機感の無さは!!」


 泣き咽ぶダグラスに怒られた。

 おおよしよし、泣き止んでからお話しなさい、と風を動かして椅子を引く。カタ、ガタ、と耳障りな音は鳴ったが、概ね正しい位置にまで動かせた。ダグラスは何故だか頭を抱えてしまったが。


「ミーシャ従姉ねえ様だ、変わらないなあ!」


 セオドアは、涙を流しながらも顔をくしゃりと歪めて高く笑う。失礼な、変わりましたよ。具体的に言うと、肉体を失って霊体になった。


「ずっと居たのか?」

「いいえ、セオドア。つい数日前に、意識を取り戻したのです。そして、わたくしの肉体に、わたくし以外のものが入っていることを知りました」

「あれは、ミーシャ従姉ねえ様じゃないんだな?」

「ええ。わたくしはここにおります故」

「よかった」


 セオドアは晴れやかに目を細めた。普通に考えて、幼少の砌から親しく付き合ってきた親戚が、急に別人のように動き出したら恐ろしいだろう。彼らは今までそんな恐怖に耐えてきたのだ。セオドアは1つ重荷が下りたようで、ここ数日見てきたものより、だいぶ軽やかな表情をしている。


「待ってよ、セオドア様、ダグくん。ええっと、話を聞く限り、今の風魔術の声の人が、本物のミシェル・ライティア嬢ってこと?」

「ああ、そうだ。本当に別人だったとは……。すまない、ミーシャ従姉ねえ様。もっと早くに気付くべきだった」

「簡単には思いつかないことです。致し方ありませんよ」


 だがその真摯な物言いが懐かしく、愛おしい。元より、たかが数ヶ月の違いで私のことを従姉あねとして扱ってくれる生真面目な子だった。


「だが、ミーシャの肉体をいつまでもあれに使わせておくわけにはいかないだろう」

「そうだな、ダグ。すぐに捕らえてくれ」

「お待ちください、セオドア。わたくし、あの肉体に戻るつもりはございません」

「何故だ?」


 真剣な目で、音声のための風魔術の発生地点を見据えるセオドア。

 将来の主君たる彼に、私は、この数日で見たものを語り始めた。

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