2.初捜査

静まり返った署内に、館内放送のベルが鳴った。


> 「警視庁通信指令室からの通達。

都内東部のアパートで強盗致死の疑い。

捜査一課及び所轄応援班、至急現場に急行されたし。」





ざわめきが走る。

書類を抱えた刑事たちが次々と席を立ち、電話のベルが重なって鳴った。


「結城、お前も来い」

上司の声に、結城はすぐに立ち上がった。

デスクの上には未整理の書類が山積みだが、視線は一瞬も揺れない。

冷静というより、どこか期待に似た光がその瞳に宿っていた。


郊外の住宅街。

雨上がりの夜気が、アスファルトの上に重く残っていた。

外階段の前にはパトカーが数台、赤い光を静かに明滅させている。


「通報者は同居人です」

刑事の報告に、結城は軽く頷いた。

その横顔には、まだ新人とは思えぬ冷静さがある。


二階の一室。

ドアは開け放たれ、リビングの明かりが廊下に漏れている。

部屋の中を眺めると、玄関脇に置いてあったであろう観葉植物の鉢が割れて黒い土を撒き散らしていて入りにくかった。

部屋の中では、一人の男がソファの端に座り込んでいた。

「帰ってきたら……部屋が荒らされてて、彼女が……!」

上擦った声で繰り返すその男に、結城はちらりと視線を送った。

「川島亮さんですね」

上司が確認すると、男は頷いた。

「はい……三上沙耶と二人で暮らしてました」


結城はリビングに足を踏み入れた。

空気が重い。冷えた湿気の中に、石鹸の匂いが微かに残っている。


室内はひどく荒れていた。

テーブルは横倒しになり、壁際のタンスは引き出しがすべて開け放たれ、中身が床に散乱していた。


だが、結城はすぐに違和感を覚える。

ノートパソコンも財布も無事。

引き出しの開け方も妙だ――

結城はしゃがみ込み、タンスの前で手を止めた。

上の段ほど中身が散らかっており、

下の段はほとんど手つかずだ。

取っ手の金具にうっすらと指の跡が残っている。


「……上から順に開けていますね。」

隣の刑事が首をかしげる。

「どういう意味だ?」

「経験のある強盗は下の段から開けるんです。

上からだと重心が崩れて危ないし、効率も悪い。

つまりこれは素人の犯行か――

“荒らしたように見せた”だけです。」


刑事が息をのむ音を背に、結城は奥へ進む。

半開きの浴室の扉。

白いタイルの上に、若い女性が倒れていた。

湯は抜け、床には乾きかけた水。

長い髪が張り付き、肩口に鈍い打撲痕がある。抵抗の跡はなかった。


壁掛け時計が落下し、ガラス片が床に散っていた。

針は午後九時五十分で止まっている。

通報時刻とほぼ同じ――。


「……おかしいな」

誰に聞かせるでもなく、結城は低く呟いた。


上司が視線を向ける。

「何か言ったか?」

「いえ。」


結城は立ち上がり、部屋の入口へと戻った。

散乱した土が、玄関の外へ一歩も続いていない。

外の通路には、足跡も泥もなかった。


風が吹き込み、割れた鉢の葉がかすかに揺れる。

その音の中で、結城の瞳だけが静かに光を宿していた。


静寂の中、鑑識のカメラのシャッター音だけが響く。

白い光が壁を照らし、影を一瞬だけ浮かび上がらせた。


「死亡推定時刻、午後六時前後です」

鑑識員の報告に、上司が頷く。

「……通報は九時五十三分だったな。ずいぶん開いてる」


そのとき、所轄の刑事がメモを確認した。

「近所のコンビニ店員が通報の十分程前に、この男が買い物に来たと言っています。

いつも彼女さんと来た時に買ってるシュークリームとプリンを2人分買っていったそうです。」


上司が川島を見る。

「確かに、お前はそのとき帰ってきたんだな?」

川島は小さく頷く。

「はい……帰ってきたら、もう彼女が……倒れてて……」


結城は、その会話を黙って聞いていた。

視線はリビングの隅に落ちている時計に向けられている。

結城はしゃがみ込み、時計を拾い上げた。

「死亡推定時刻は午後六時前後。

 時計が壊れたのは午後九時五十分。

 つまり、殺害の三時間後に落下している。

 犯人は物色するのにそんなに時間をかけるでしょうか。」


室内が静まり返る。

川島の肩がかすかに揺れた。


「近所の証言も、ここで辻褄が合います」

結城は淡々と続ける。

「あなたは“帰宅した”のではない。

 “再び戻ってきた”んです。

 そのとき、部屋を荒らし――通報した。」


川島の喉がひくりと動いた。

「……違う、俺は……」


結城は時計を机に置き、視線を玄関へ向けた。

「土は玄関から外へ一歩も続いていない。

 今ここにいない犯人がこの鉢を倒したなら、

 必ず足跡が残るはずです。

 でも、何もない。

 ――つまり、犯人は荒らしたあともこの部屋から出ていない人間。

 川島さん、あなたが殺したんですよね?」


川島の唇が震えた。

「……違う、俺……殺すつもりなんてなかったんだ」

声は途切れ途切れで、焦点の合わない目が床を彷徨う。

「少し前から彼女は誰かと楽しそうに連絡とってて

あのとき、彼女がシャワーを浴びている時に

スマホを見て……知らない男と楽しそうに話してたんだ……頭が真っ白になった。

 シャワーを浴びてる彼女を問い詰めて。

 『ちがうの!』って言われたけど、俺は『もう出てく!』って……

 引き止める手を振り払って、そのまま出たんだ。

 そのときは……まさか、あんなに強くぶつかってるなんて思わなかった。」


川島は肩を落とし、かすれた声で続けた。

「しばらく歩き回って、頭を冷やそうと思って……。

 コンビニで、あいつの好きだったシュークリームとプリンを買った。

 帰って、話し合おうと思ったんだ……本当に、話そうと……」


震える息が漏れる。

「でも、帰ったらもう……冷たくなってて。

 何をしても戻らなくて……どうしたらいいかわからなくて……

 強盗の仕業に見せかけるしかないと思った。

 部屋を荒らして、時計を落としたのもそのときだ……。」


声が途切れ、沈黙が落ちた。

川島は顔を覆い、嗚咽を殺す。

結城はただ、壊れた時計を見下ろしていた。

針は時間を刻むことなく止まったまま――

真実もまた、その瞬間に止まっていた。


川島亮が連行される頃には、外の雨はすっかり上がっていた。

警察車両の赤い光が、濡れたアスファルトを静かに照らしている。

誰も言葉を発しない。

ただ、風がビニールテープをはためかせていた。


「……すげぇな、お前」

肩の力を抜いた所轄の刑事が、結城を振り返った。

「正直、まだ新人だって聞いたときは半信半疑だったけど……

 一瞬で現場を読み切るなんて、普通できねぇよ。」


結城は軽く会釈した。


「結城、今回のはよくやった。

 お前の読みがなければ、解決までしばらくはかかってただろうな。」


「……ありがとうございます。」

結城は視線を落とす。

地面に映る赤い光が、まるで脈打つように揺れていた。


上司が笑った。

「お前、ほんとに新人か?

 ベテランでもここまで現場を読めるやつ、そうはいないぞ。」


結城は短く息を吐いた。

「ありがとうございます。

  でも、これは単純な構造でしたから。」


上司は苦笑する。

「謙虚なもんだな。……いや、ちょっと怖いくらいだ。」


上司が一瞬だけ黙り、煙草を灰皿に押し付ける。

夜風が二人の間を通り抜けた。

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