第23話 鎖と対の傘
リセルは、背中にアークを抱えながら、極低温の闇の中を猛烈な速さで落下していた。真上からは、古代の巨塊が放った、青い魔力の柱——『鎖の術式』が追尾してくる。
「くっ、速すぎるわ! このまま直撃すれば、アークの『真なる器』は停止してしまう!」
彼女の体は魔力枯渇の極限を超えていたが、アークの能力で開いた巨大な亀裂から逃れるため、最後の力を振り絞って傘の「展開(デプロイ)」を試みた。しかし、微細な操作はもはや不可能。傘はただの飾りとなってしまう。
その瞬間、リセルの脳裏に、昏睡中のアークの冷たい声が響いた。
『――観測。着地座標、目標(ターゲット)の真上。傘(アンブレラ)、収束の極致へ』
「収束の極致?」
リセルは、自身の体を標的にしている『鎖の術式』の先端が、ちょうど落下目標である『魔力の鼓動』が響く場所の上空に到達したことを理解した。このままでは、鎖とリセル、そしてアークが同時に着弾してしまう。
彼女はアークの指示に従い、青い骨の傘を落下方向へ強く突き出した。傘は開かず、ただ一点に魔力流を集める形となった。
ドガアアアン!
鎖の術式が、地下第二層の黒曜石の地表に激突した。リセルは、鎖の魔力が地表を貫く直前、傘を収束させ、術式の中心軸からわずかに離れた場所に着地した。
衝撃波が全身を貫き、リセルは激しく地面を転がった。全身から力が抜け、指一本動かせない。
「はぁ、はぁ……なんとか、逃れたわね……」
彼女が目を開けると、視界の先には鎖の術式が突き刺さった場所があった。そこは、濃密な残渣魔力が渦を巻く、不安定な空間だった。
そして、その巨大な青い鎖の柱の根元。アークの『真なる器』が求める『魔力の鼓動』が最も強く響く、古代の円形の台座の上に、それは存在していた。
「……あれは」
リセルは目を疑った。台座には、アークが最初に持っていた、何の変哲もない普通の**黒い傘**が、まるで祭具のように突き立てられていたのだ。その黒い傘は、アークの青い骨の傘(真なる器)とは対照的に、何の装飾もないシンプルなもので、古代の石板に刻まれた『鎖』の紋様と酷似したデザインだった。
『――観測。対の器。起動。これは、世界の均衡を維持する術式』
アークの解析データが、リセルにその黒い傘の役割を伝えた。それは、アークの能力を封じるための『鎖』。数千年前に、暴走を防ぐために作られた、制約の器だったのだ。
その瞬間、地表を貫いた鎖の術式が、黒い傘の台座に向かって青い魔力の触手を伸ばし始めた。鎖は、黒い傘とアークの能力を強制的に接続し、再封印を試みようとしている。
「だめよ! もし接続されたら、アークの魔力は完全に抑え込まれてしまう!」
リセルは体を無理やり起こし、背中から青い骨の傘を掴む。彼女は迷うことなく、アークの傘を黒い傘の台座めがけて突き刺した。
キンッ!
二本の傘が台座の上で接触した瞬間、地下第二層全体に青と黒の光が激しく衝突し、巨大なエネルギーの渦が発生した。
「成功だわ! アークの傘は、この『鎖の器』に魔力を誘導し、術式の接続を一時的に遅らせている!」
リセルは安堵したが、その時間は一瞬だった。二本の傘の衝突によって発生した強大なエネルギー渦は、収束することなく、周囲の極低温魔力を巻き込みながら、さらに巨大な竜巻へと成長し始めたのだ。
『警告。ターゲット能力、制御不能。均衡術式、崩壊の危機。回収フェーズ、再開』
頭上から、三体の回収部隊(リサイクラー)が、鎖の術式による衝撃波を避けるため、一瞬の静寂を突いて滑り降りてきた。彼らは二本の傘が引き起こしたエネルギー渦を、アークの能力暴走の兆候と判断した。
三体の回収部隊は、黒い傘と青い傘が突き立てられた台座を、三方向から完全に包囲するように着地した。彼らの赤い装甲が、渦巻く魔力と冷気の中で禍々しく輝く。
「逃げ場はないわね……」
リセルは、二本の傘の制御に全魔力を吸い取られ、完全に無力となったアークを守るように、静かに息を整えた。
その時、回収部隊のリーダー機が、リセルではなく、台座に突き立てられた『黒い傘』に向けて、圧縮された赤い熱量の一撃を放った。
『術式破壊。均衡の鎖を絶ち、真なる器を回収せよ』
回収部隊の行動は、リセルの予想を超えていた。彼らは、アークの能力を抑え込む『鎖』さえも、自分たちの回収作業の障害になると判断し、破壊しようとしているのだ。
破壊的な赤い光線が、黒い傘を直撃する直前、リセルの背後から、わずかに震えるアークの小さな声が響いた。
「……開け」
昏睡状態から一瞬だけ意識を取り戻したアークは、その一言と共に、背中に負っている青い傘を、黒い傘の破壊を阻止するため、完全に「展開」させた。
青と黒、二本の傘が、巨大な熱量を受け止め、地下第二層全体に、白く輝く強烈な閃光が炸裂した。リセルは視界を奪われながら、体が宙に浮くのを感じた。
「アーク! これは、まさか……!」
閃光が収まったとき、リセルは驚愕の光景を目撃した。回収部隊の三体は、青い傘が放った瞬間的なエネルギー波によって吹き飛ばされ、地下第二層の壁に激突していた。
そして、台座の黒い傘の周りには、青い傘が放った極低温魔力の防御障壁が残されていた。だが、アークの青い傘は、その防御の代償として、中央の青い骨が一本、根元から折れていた。
「……私たちの、命綱が……」リセルは絶望した。
その時、壁に激突し、動作停止していたはずの回収部隊の三体が、再び立ち上がった。彼らの装甲の赤色は、さらに濃く、激しい怒りのように点滅していた。
『警告。ターゲット能力、危険領域突入。排除フェーズを、即時実行せよ』
三体は、リセルに向けて同時に赤い光線を収束させる。もはや、アークの傘には、それを打ち消す力は残されていない。リセルは防御を諦め、アークを庇って身を固めた。
赤い光線がリセルに触れる直前、台座に突き立てられた『黒い傘』が、突如として激しく振動し始めた。
そして、その黒い傘の先端から、収束された赤い光線と、回収部隊の三体全てを、完全に呑み込んでしまうかのような、巨大な**黒い渦**が出現した。
それは、アークの能力とは異なる、しかし、アークの能力を制御するための『鎖』と対をなす、強大な『収束(アブソープション)』の力だった。
黒い渦が、回収部隊と光線を呑み込み始めたとき、渦の奥、黒い傘の真横に、新たな亀裂が開いた。その亀裂の向こうからは、湿った、古びた土の匂いがした。
リセルは、その新たな亀裂が、地下第二層を迂回し、都市の地下に張り巡らされた複雑な**古代の通路**へ通じていることを理解した。
「これは、アークが、私を助けようと……無意識に開いた道なの!?」
リセルは、恐怖に震える体を叱咤し、黒い渦に呑み込まれかけるアークの傘を無理やり引き抜き、その新しい亀裂へと、最後の力を振り絞って飛び込んだ。
彼女が亀裂へ消えた瞬間、地下第二層の壁に激突していたはずの回収部隊の三体が、黒い渦から脱出しようと、必死に体をもがいていた。彼らは、黒い傘の台座に突き立てられたまま、静かに沈黙した。
そして、渦巻く黒い残渣魔力の真上、亀裂の縁に、黒い傘を持つ『監視者』が再び姿を現した。彼は満足げな笑みを浮かべ、黒い渦の様子を静かに観測していた。
「制御不能な力と、制約の器。二つの傘が出会ったか。だが、黒い傘が起動したということは……。観測は次のフェーズへ移行する。アーク・レインハート、汝の**逃走経路**は、すべて私の手の中にある」
『監視者』はそう呟くと、手元の黒い傘を静かに閉じた。その直後、黒い渦は急速に収束し、地下第二層は完全に静まり返った。黒い傘は、台座から消えていた。
一方、リセルは新たな亀裂の先、古代の通路の硬い石畳の上に、アークと共に激しく着地した。彼女の目の前には、迷路のように張り巡らされた通路が続いていた。
通路の壁には、びっしりと古代の文字が刻まれている。リセルは息を切らしながら、その文字のいくつかを読み取った。
『――地下第二層より、逃走経路を辿る者。汝、世界の裏側を知る**鍵**なり』
リセルは、アークを背負いながら、この通路が、単なる逃走経路ではなく、古代の秘密へと繋がる、意図的に作られた『鍵』であることを悟る。その時、通路の奥から、回収部隊とは異なる、重くゆっくりとした、**人間の足音**が近づいてくるのを察知した。
「また、別の追手……!?」
リセルは、通路の奥、濃い影の中から現れた人影を見て、息を飲んだ。その人物は、リセルの探していた古代の術式に関する資料を全て持っているような、学者風の服装をしていた。そして、彼の手には、アークや『監視者』が持つような、**三本目の傘**が握られていた。
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