カルマのカルテ

山岡裕曲

第1話 患者・浜坂純平

私は霧島健、瀬戸内海に浮かぶ栄田島唯一の精神科病院である「陳宮こころの病院」に勤務する精神科医だ。

生まれは東京だが地方赴任することを条件とする奨学金を借りたためこの島に来た。

「上陸時は何も無い島に驚いたが…むしろ何もないからこそストレス源もないと言えるのかもな」

この病院に来る患者の多くは認知症の管理のためだ。少子高齢化が進む地方では必然の光景だろう。そしてそれ以外の病気を患ってくる人は少数であった。


「大学病院にいたときよりよっぽどいい。あそこにいたときはこちらまでメンタルを崩しかねなかったな。」

大学病院では勤務形態も激務であり、また悲惨な患者を多く診てきた。

長時間労働の末自殺未遂を図ったうつ病の男性、親族に性的虐待を受け今もフラッシュバックに苛まれるPTSDの女性…都会はあまりに人間が生存するには厳しい環境なのだろう。

「都会には夢がある…いい夢はもちろん悪夢もだな…」


そんな物思いに耽っていると看護師から声をかけられた。

「14時診察の初診の方の紹介状です。目を通しておいてください。」

紹介状を目にした霧島は軽く眉間のシワを入れながら患者にどう向き合うか決めかねていた。

「久しぶりだな…こんな困難例になりそうな患者さんは。」

しかし霧島は一つ抜け落ちていた観点があった。霧島が大学病院時代向き合った重症例の患者はほとんどが被害者と呼べる人たちであった。新たな患者・浜坂純平は放置していたら加害者になりかねない存在であり、霧島に重大な責任がのしかかろうとしていることをまだ知らないのであった。


紹介先:陳宮こころの病院 精神科 担当医 様

紹介元:貝塚おさかなクリニック 院長 柴田 光

患者氏名:浜坂 純平(はまさか じゅんぺい) 様

生年月日:昭和59年3月4日(41歳)

住所:大阪府〇〇市〇〇町〇丁目〇番地

保険種別:国家公務員共済組合(被扶養者)

主訴

「外に出るのが怖い。人の目が気になる。自分には才能があるのに誰も理解してくれない」との訴え

現病歴

幼少期より学業成績の低迷が認められ、特に抽象的思考や対人理解に困難を認めた。

中学卒業後、府内最下位高に合格。この際担任より通信制高校を推奨されているが両親の強い希望により全日制を選択。

高校卒業後専門学校に進学するも中退、その後いくつかの職を転々とするもいずれも長続きしなかった。

20代半ばよりインターネット上で動画配信活動を開始。当初は自信を持って取り組んでいたが、視聴者からの批判・揶揄を受けて強い被害感情を抱くようになった。

その後も断続的に活動を再開するが、現実の人間関係には極端な不安・回避がみられ、現在は家族との同居を続けながら社会的引きこもり状態にある。

精神状態

面接時、やや独特の間を伴った発話で、質問の意図を十分に理解できない場面が見受けられた。

自尊感情は高く、「自分は本当は人気者になるはずだった」「悪いのは周囲の理解不足」といった自己中心的認知が顕著。

一方で、対人接触には強い恐怖と緊張を伴い、特に“嘲笑される”“軽く扱われる”といった被評価不安が強い。

家族歴・生活歴

父親と同居。かつては母親も同居していたが息子の偏った行動から退避する目的で施設入所している。

家族内のコミュニケーションは限定的で、父親は衝突を避ける傾向にある。

診断名(ICD-10準拠)

主たる疾病:F70 軽度知的障害

従たる疾病:F40.1 社交不安障害

      F60.8 自己愛性パーソナリティ障害

紹介目的

父親の退職に伴う引越しにより当院への通院が困難となったため、知的障害を背景とする社会的適応困難および自己愛的傾向に対し、包括的な評価と支援方針の検討をお願いしたく紹介する。

特に、本人が“名誉回復”や“再評価”といった外的承認への固執を示すため、医療的介入においても慎重なアプローチが必要と考える。

また、家族支援を含めた包括的ケアが望ましいと思われる。

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