case5. 都市遊民リュカ・アポリネール 25歳 元魔術師(24)

屋敷の中庭は回廊にかこまれて外から完全に遮断されていた。

防御魔法をかけられているおかげで、キマイラが多少暴れても建物が完全に崩壊することはない。魔獣が外に逃げることを防いでいるが、同じ空間にいる者にとっても檻であることは同じだった。


「うわっ…。」


キマイラの爪に弾かれて、リュカの耳からボタボタっと血が落ちる。石畳の溝を染めていく血だまりの中に、先ほどまで耳元を飾っていたピアスが光っていた。


「あーあ。けっこう気に入ってたのにな。」


呟いても、聞いているのは目の前のキマイラ一匹だけだ。

イデアル・シュヴァルで見つけた時の何倍も強くなっている。闇魔術も扱って、いくらか魔術師として名をあげてきたが力の差は歴然だった。

勝とうなんて考えた時点で負けだ。あとどれくらい時間を稼げるか。リタが来るまで耐えるしかない。


「女の子にすがるなんて、マジで最悪…。」

彼女がS級冒険者の黒煙だったとしても、リュカにとって彼女は可愛い女の子だった。


「まあでも、情けないなりに好きな子には少しでもいいとこ見せなきゃね。」

リュカはぐっと右足に魔力をこめるとキマイラの頭上へと跳んだ。


双頭のうちのひとつ、せめて獅子の背中に生える山羊の頭だけでも落とせたら。リュカは右の掌に魔力を集めた。


トーテンタンツ・ヴィント死の舞踏 風式!」


魔力によって限界まで圧縮させた空気は風の刃物となって山羊の頭を斬首した…はずだった。

リュカの風魔法は首筋を深くえぐったが、斬り落としそこねた首が血しぶきとともにぶらりと獅子の背中の上で踊った。


「クソっ。」

リュカは空中で姿勢を立て直そうとしたが、大きく悲鳴を上げたキマイラの蛇の尾によって派手に地面に叩きつけられた。


ボキィ。まるで太い枝でも折るような、はっきりとした音とともにリュカの左肩に激痛が走った。関節が完全に外れて、もう腕を上げることができない。

おまけにあちこち派手に出血したまま動き続けたせいか、頭がくらくらとしてきた。


体勢を立て直す間もなくキマイラは憤怒の目をまっすぐリュカに向けてむかってくる。


一瞬、シャルロットの顔が脳裏をよぎった。たった一人の肉親である妹を助けるために、どれだけの汚れ仕事をこなしてきたのだろう。

シャルロットは助かった。無事を確認していなくてもわかる。マリアの力は本物だし、約束は果たされた。リタ・パルマだっている。


妹が助かっているなら、もう自分はここで死んでも構わない。

ふと、そう思ったら急に心が軽くなった。


そっか、もう、死んでもいいのかー。


だとしたら戦い方は変わってくる。リュカはもう一度手のひらに魔力を集める。

圧縮した空気をキマイラの口からぶち込んで、中で限界まで膨張させれば。

さすがの改造魔獣も、内臓まで鋼のように硬いということはないだろう。


キマイラの口から腕を引き抜く余力はない。腕一本食いちぎられるだけで済めばラッキーだ。ま、片腕じゃ女の子を抱きしめられないか。リュカは自虐的に笑った。


リュカは防御に回していた分の魔力もすべて右手に集中させると、キマイラに向かって走り込んだ。


その瞬間、キマイラはぶらりと垂れ下がっていた山羊の頭を、自分の尾で弾き飛ばした。ブチブチっと首の皮が引きちぎれる音がして、次にその頭を弾く鈍い音がした。


避けきれない。そう思って目を閉じた瞬間、リュカのすぐそばで轟音が響いた。

パラパラと石粒が落ちる音にそっと目を開けると、そこにはリュカを護るように石の壁がそびえたっていた。


一瞬、何が起こったか分からず呆然としているリュカの腰に、誰かが手をまわした。

気が付けばリュカの目の前に夜空が広がっていた。眼科でキマイラが唸り吠えている。

そこでリュカはようやく、ワイバーンに乗ったリタが、自分を抱えて空高く飛んでいるのだと気付いた。


「すみません、遅くなりました。」


ボロボロの自分と違って、傷ひとつないどころかワイバーンまで調達してきたリタに、思わず笑うしかなかった。


「全然。俺も今本気出そうと思ってたとこ、なんてね。ねぇ、今の無詠唱で錬金術組み込んでたよね?やっぱリタちゃんって黒煙なんだ。」

場違いなほど軽口を叩くリュカに、リタは一切釣られなかった。


「リュカ。あなたまさかここで死のうと思っていませんよね?」


リタの目はいつになく静かだ。

ああ、この子は食い意地が張ってるだけじゃなくて、なんでもお見通しなのだ。リュカの全身から力が抜けていった。


「だったらどうするの?妹を助けるとはいえ、これまでさんざん闇に手を染めてきた俺にできることなんて、命がけでキマイラ潰すことくらいでしょ?」


物心ついた時から、ずっと必死で生きてきた。

いつも寒くて、いつもひもじかった。走って走って、ようやくここまできた。


もう疲れた…。ここで終わりにしよう。

リュカはうるんだ目を細めると、にっこりとリタに微笑んだ。

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