第4話 揺れる心
「頼むよ喫茶店でチョットだけ話を聞いてくれ!」
暫く歩くと「チロル」と書いた看板の喫茶店の看板が明々と見えてきた。
「一体話って何ですか?」
「静香……どうして急に別れを選んだんだよ。俺静香が地位名誉なんて関係ないって言ってくれたら、離婚して他の病院に移ってもいいと考えている。東都大付属の脳神経外科は日本の頂点だから、お金に糸目をつけづに来てくれと言ってくれる病院はいくらでもある」
恭介は静香が養護施設出身者だということは知っている。それなのに、ここまで言い切るという事は、恭介は地位名誉よりも平凡で愛情あふれる結婚を望んでいる事が考えられる。
一方の木下には静香は、自分が施設出身者だとは話していない。
🥼💉👩⚕️
帝都ホテルスイーツ部門のチーフ木下昇はパティシエとして24歳でスイーツ選手権大会で日本一の栄冠を手にして、更には29歳でスイーツ世界大会で世界一の座を掴んだ超すご腕の男だった。これだけの男だ。その腕を見込まれ若干30歳で帝都ホテルの副料理長になった人物だ。
それでは…この木下昇はどのような人生を歩んで来た男だったのだろうか?
高校を卒業後、東京明星調理師専門学校を卒業、東京都の有名洋菓子店「フォルテシモ」で2年勤務ののち「リッツカールトン東京」で7年半修行の後、帝都ホテルに勤務、現在に至る。
昇は両親が離婚したことで母親に引き取られたのだが、母がやり手でケーキ屋さんを営んでいたので、幼少期から母の仕事をしている姿を見て育ち、洋菓子職人になる事を決意したが、残念なことに母は木下が高校3年生の時に子宮がんでこの世を去った。
母は何より仕事人間でお店の事で頭が一杯で、病変に気付くのが遅れてしまい、まだ若かった母は、あっと言う間に体中にがんが転移して45歳の若さでこの世を去った。
人気店だったが、まだ高校生の昇が継げる訳もなく、母が亡くなった事で後継者不足でやむを得ず事業譲渡と言う形を取った。
※事業譲渡:店舗や事業の一部、または全てを新しい事業主に譲り渡すこと。目に見える物品だけでなく、経営ノウハウや店舗のブランド力も譲渡対象に含まれる場合がある。後継者不足や不採算事業の整理など、経営上の課題解決に用いられることが多い。
母の死は昇には想像だにしない苦しみだった。母一人子一人で愛情を一身に受けて育った昇は、一時は立ち直れるのかと思われるほど落ち込んだが、母の永遠の夢だったパティシエの道を引き継いだ。
それでも…母がいなくて金銭的には苦労はなかったのか?
それは、生命保険や預貯金、更には事業譲渡などで、全く問題はない。金銭的に困る事は全くなく、反対に多額の遺産が転がり込んだ。
一方の神宮寺恭介(藤岡恭介)は旅館を経営する両親の元に誕生したが、バブル崩壊後旅館は倒産。父は苦労が祟りすでに亡くなっている。このような理由から母を守りぬかなくてはと思う使命感から、どんなことをしても医者になるという目標を掲げ血のにじむ思いで頑張った人物だ。
静香は今現在人生の幸運の運気が集中的に集まり人生の頂点を極めていた。施設出身者の静香なのに、普通の人間でさえ中々手にすることのできない超一流男性に告られるなど、こんな話が本当に現実なのか信じられない気持ちで一杯だ。
正に盆と正月が一緒に来たような気分だ。
静香は昇との将来にも当然のこと魅力を感じている。超一流「帝都ホテル」のスイーツ部門のチーフは自分にとって最も憧れの存在である。そんな憧れの存在から告られ夢見心地である。最初こそ只の興味本位で近づいてきたドスケベ野郎と思ったが、案外まじめな男であることも分かって来た。
一方で恭介は自分が初めて真剣に好きになった初恋の男だ。どちらを好きかと言えば、それは恭介である。
どこが好きかと聞かれれば、クールで知的で、何とも辛気臭い顔だが、それは繊細で一ミリの失敗も許されない脳神経外科と言う職業柄、そのような研ぎ澄まされた雰囲気をまとっているのだと思うが、それでいて普通のことは何もできないギャップに一コロとなっていた。
🥼💉👩⚕️
どちらも静香には申し分のない相手なので、恭介と昇の両方と交際を継続しようと考えた。
それでは何故この様な狡い(こすい)真似を、しようと言う考えに至ったのかと言う事だ。
自分のような施設育ちに、これが本当に現実なのか只々戸惑っている。余りにも出来過ぎな人生に信じられない気持ちで一杯だ。
幼少期から、世間の偏見の目に晒されてきた年月を重ね合わせて、本当に私などを妻として向かい入れてもらえるのだろうかと言う疑念が、いつも頭を持ち上げて来る。
小学校高学年にもなると静香は、他校の小学生や中学生から余りの美少女ぶりに、バス停や通学路で待ちぼうけされる事がしょっちゅうだった。一方で自分が在籍している小学校や中学校ではそのような事はまず起こらない。何故ならば養護施設出身者だからである。
一時的には可愛い子なので男子生徒から羨望の眼差しで見られるが、世の中そんなに甘くない。「女の子たちが施設の子供だよ」と言うと潮が引くように去って行く。それが常だった。
この様な経験を嫌と言うほど味わって来た静香は、どうせ養護施設出身者だと告白すれば尻尾を巻いて逃げ出すに決まっている。そんなうがった考えが今も静香を支配している。
静香も年頃の高校生の頃にもなると「いいなあ💖💞💝」と思う子が現れるが、施設の子と分かると1人また1人と消えて行った。
静香はよく他校の学生に待ちぼうけされて、その後男子生徒からつけられることがよくあった。そんな時施設育ちだと知られるのが嫌で、ワザと遠回りをして施設と反対の道を通って施設に帰るようにしていた。
だから……施設出身者であることはマイナス以外の何物でもない。それが証拠に、一度恭介には手痛い裏切りに遭っているではないか。
私をあんなに愛していると言って置きながら、実際は本妻は超お嬢様を選び、私をただの愛人にしようと考えていたではないか。だから迂闊(うかつ)に「離婚するからついて来てくれ」と言う甘い言葉に乗っていいものではない。
一方の昇だってそうだ。
世界大会で優勝した超一流ホテルのチーフが、本当に自分のような施設育ちの女を嫁に娶るだろうか考えものだが、それでも…嫁になれなくてもこの男と付き合うメリットは大いにある。この帝都ホテルでは総料理長が1人いて、その下に和食部門、フレンチ部門のチーフがいる。そして…スイーツ部門だが、昇は世界大会で優勝した実績があるので、若くして総副料理長で尚且つスイーツ部門のチーフでもあるのだ。
スイーツ部門では昇がトップだ。昇と交際すれば、あわよくばスイーツ部門のチーフの下の役職主任ポストを、手中に収めることが出来る。実は…昇から「主任ポスト次は君にと考えている」と、言われている。たとえ結婚に結びつかなかったとしても、地位名誉さえ手に入れば超一流ホテルのブランドで、ヘッドハンティングで再就職も引く手あまただ。その為にはチーフに気に入られ段階を踏んで出世する事だ。
このような理由から両方と付き合おうと考えた。
恭介と昇は両方共もう両親はいないので本人の考え方次第なのだ。子供時代は養護施設育ちだったが、今は違う。自分の力でアパートに住んでいるので本人同士が愛し合っていれさえすれば、養護施設出身者など関係ない。そう思う静香だった。
確かに昇は養護施設出身者だと告白していなくても、仕事のパートナーとして結婚してくれそうだが、スーパードクター恭介が本当に静香と結婚してくれるだろうか?
🥼💉👩⚕️
それでは…恭介の勤務する脳神経外科とはどのような位置づけなのだろうか?
脳神経外科や心臓外科などは、難易度の高い手術を担うことから、誰でも気軽に目指せるわけではないという点や、メディアで取り上げられるようなスーパードクターの存在が目立つ事から花形、エリートという印象を持たれがちだ。また、収入が高いことや、その活躍が命を救うことに直結する特性もエリート診療科と言われるゆえんである。
「医者の花形」というと、一般的には脳神経外科や心臓外科などがイメージされて「医者のヒエラルキー」として、取り上げられるのが常だが、しかし、実際の志望者数や人気度を見てみると、必ずしもその“序列のトップ”に位置づけられるわけではない。脳神経外科を目指す場合、激務だけでなく、手術の際に必要な手先の器用さなども求められることから、医学生がこうした条件から向き不向きを考慮した結果、選択肢にならないということが考えられる。その為医師志望者に実際に人気があるのは内科系の診療科である。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます