背番号1番の彼の背中 ー交わす言葉は宝物ー
山吹いずみ
宝物の時間
荒山楓花、18歳。
勉強だけが取り柄の、地味で真面目な女子高生。
同じマンションに住む幼なじみ、池田大雅にずっと恋をしていた。
大雅は野球少年で、近所の強豪校に通うピッチャー。
誰からも好かれる明るい性格、おまけにイケメン――彼のまわりはいつもにぎやかだった。
今は高校3年生の夏。
楓花は国立大学を目指して塾の夏期講習へ。
大雅は甲子園を目指し、朝から晩まで練習漬けの日々。
それぞれの夢に向かって過ごす毎日のなかで、2人が偶然顔を合わすチャンスは、1日にたった2度だけ。
それもマンションのエントランス前だけだった。
一度目は朝。
楓花が学校の自習室に向かうため、早く家を出るとき。
タイミングがあえば、マンションのエントランスを出た瞬間、
自転車にまたがった大雅が風のように通り過ぎていく。
「おはよー!」
そう言いながら背を向けて走り去る姿を見送ることができた日は、1日いいことがありそうな予感で心が満たされる。
二度目は夜。
塾の自習室で勉強を終えたあと、
マンションの駐輪場の前には、素振りをしている大雅の姿があった。
楓花が自転車を止めると、彼は素振りの手を止めてマンション入り口のオートロックを解除して待っていてくれるのだ。
その数秒だけ、言葉を交わせた。
「勉強どう?」
「ぼちぼち。そっちは?」
「まあまあ。」
それだけの会話が、楓花には一日のご褒美だった。
夏が終わるころ、大雅の学校が甲子園出場を決めた。
楓花は応援に行った。
外野席からみる甲子園はとても広い。
ピッチャーマウンドは遠くて、背番号“1”すら見えなかったけれど、マウンドに立つ大雅の背中はまぶしかった。
試合は大敗。
けれど、彼が最後まで投げ抜く姿を、楓花はずっと祈るように見守っていた。
夏の終わり、夜のマンションの下でいつものように顔を合わせた。
「野球どう?」
「……終わった。」
「そっか、そうやったね。」
ほんの短いやり取り。
バットを片手に歯を見せて笑う大雅の笑顔が、切なくも眩しかった。
季節が冬に変わるころ。
大雅は野球の推薦で東京の大学に行くことを話してくれた。
「荒山は受験、頑張れよ。」
その一言が、楓花の胸にお守りのように刻まれた。
そして、決めた。
受験が終わったら、伝えよう。
ずっと好きだったって。
小学生のときから、ずっと――
そして、2月14日。
偶然にもバレンタインデーだった。
マンションの大雅の家の前に積まれた段ボールを見て足が止まる。
「引っ越し……?」
思っていたよりずっと早く、大雅は東京へ発つらしい。
気づいた瞬間、楓花の体が勝手に動いた。
もう会えないかもしれない――
その日、楓花は自習室には行かず、チョコレートを買いにデパートに走った。
ショーウィンドウの中から主張しすぎない小さいリボンのついた箱を選んだ。
帰り道、冷たい風のなかでチョコの箱を握る手が震えた。
新しい世界に羽ばたこうとする大雅。
自分が今さら何を言ったらいいのかわからなかった。
マンションに戻ると、段ボールの山はもうなかった。
間に合わなかった――
そう肩を落とした瞬間。
「荒山?」
振り返ると、大雅がいた。
荷物は宅配便で送っただけで、大雅自身の出発は明日だという。
会えた安心で胸がいっぱいで、言葉が出なかった。
ただ、手に持つチョコレートの紙袋を突き出した。
「これ、あげる。」
「お、さんきゅ。」
袋をちらっと覗いて、彼は笑った。
その照れたような笑顔を見たら、もう泣きそうになった。
これがこの恋のゴールなんだと思い知らされる。
大好きな大雅の笑顔が見られた。
それでいい。それだけでいい。
「……じゃあ、東京でも頑張って。」
「おう。荒山も。じゃあ、また。」
「うん、またね。」
“また”――
明日からの毎日に、その言葉はもうないのに。
楓花は、自分の家までマンションの階段を駆け上がった。
背中の向こうで、大雅の家のドアが静かに閉まる音がした。
この恋にはこれ以上続きがない。
でも――
大雅がくれた言葉。
荒山は受験、頑張れよ――
この言葉を胸に、明日からも頑張ってみせる。
遠い東京できっと大雅は白球を投げ続けるのだから。
彼に負けないように、前を向いてみせる。
大雅がくれたこの恋を、決してマイナスにしたくない。
ありがとう、大雅。
大雅のおかげで少し強くなれたよ。
参考書から顔を上げて見る窓の外。
明るい月が、澄んだ空の下で静かな輝きを放っていた。
背番号1番の彼の背中 ー交わす言葉は宝物ー 山吹いずみ @yamabuki_yellow
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