第10話 「雨のあとに」
それから数日が過ぎた。
季節はゆっくりと春へ向かっていた。
街のあちこちで桜の蕾が膨らみ、通学路のアスファルトも少しずつ乾いていく。
悠は、鞄の中に一枚の写真を入れて歩いていた。
――朔が最後に撮った、あの防波堤の写真。
そして、自分が撮った“朔のいない空”の写真。
二枚を重ねるようにして持つと、不思議と胸が温かくなった。
悲しいはずなのに、どこか安心する。
まるで、朔がそこにいるような気がして。
週末。
悠はふたたび海沿いの町を訪れた。
雲ひとつない青空。
波の音が優しく響く。
潮風は冷たかったが、心は静かに満たされていた。
防波堤の先には、朔の母が立っていた。
手には、あの日と同じ小さな花束。
「……また来てくれたのね」
「ええ。これを、届けに来ました」
悠は封筒を差し出した。
中には、現像したばかりの写真が数枚入っている。
母はゆっくりと封を開け、一枚ずつ手に取った。
防波堤、校舎、空、そして――朔の笑顔。
写真を見つめる母の瞳が、光に揺れた。
「……優しい顔ね」
「はい。あの人、ちゃんと笑ってました」
「ありがとう。あなたが見つけてくれなかったら、あの子はずっと“雨の中”だったと思う」
「俺も、救われたんです。
朔が撮ったものを見て、ようやく気づきました。
“誰かを想う”って、ちゃんと残るんだって」
母は微笑み、そっと写真を胸に抱いた。
「ねえ、悠くん。あの子、あなたに似てたわ。
まっすぐで、不器用で……でも、誰かの光を見つけるのが上手だった」
「……光?」
「そう。あなたの中にある光を、あの子は見てたんだと思う」
悠は小さく笑った。
潮風が頬を撫で、遠くでカモメが鳴いた。
空は澄んでいて、雲が一つだけ流れていた。
その白が、まるで朔の笑い声のように柔らかく広がっていく。
帰り際。
悠は防波堤の端に立ち、カメラを構えた。
ファインダーの中には、青い空と光る海、そして花束を抱えた母の姿。
カシャン――。
シャッター音が響いた瞬間、風が吹き抜けた。
潮の香りに混じって、微かに雨の匂いがした。
悠は空を見上げ、静かに呟いた。
「朔、ちゃんと撮ったよ。」
その声に、どこからか懐かしい声が重なった気がした。
――「悠、やっぱお前、空ばっか撮ってんな。」
思わず笑ってしまう。
涙ではなく、温かい笑みがこぼれた。
空は高く、光がやさしく降り注いでいる。
朔が残した“光”は、もう消えない。
雨のあとに残った道を、悠はゆっくりと歩き出した。
その胸の中で、確かに感じていた。
――写真のように、記憶のように。
彼らの時間は、今も優しく続いている。
雨の匂いがする 望月朋夜 @mtomoyo
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