第10話 龍の協奏——カリスマを超えて
前半
その夜、昇天は一人でオフィスに残っていた。
窓の外を見つめ、何度もあのプレゼンを思い返していた。どこが悪かったのか。どうすれば鷹見の心を動かせたのか。
でも——答えは見つからなかった。
「カリスマが、通用しない……」昇天は呟いた。
これまでの人生で、彼のカリスマが通用しなかったことは一度もなかった。どんなクライアントも、どんな上司も、どんな困難な交渉も、彼の魅力で乗り越えてきた。
でも、鷹見透は違った。完全に、徹底的に、データだけで判断する。感情を排除し、論理だけで動く。昇天の最強の武器が、全く効かない相手。
「俺には、何ができるんだ……?」
深夜0時を過ぎた。オフィスの照明は自動で消え、街灯の光だけが窓から差し込んでいた。昇天はデスクに肘をついたまま、動けなかった。
スマホの画面には、過去の成功の記録が残っていた。大手企業との契約締結の写真。笑顔で握手する自分。「カリスマ営業マン」と称賛された記事のスクリーンショット。
学生時代から、昇天は常に注目の中心だった。部活でも、文化祭でも、就職活動でも——どこに行っても、彼の周りには人が集まった。彼が笑えば場が明るくなり、彼が語れば人々が耳を傾けた。
それが当たり前だった。それが自分の価値だと信じていた。
「でも……」昇天は拳を握りしめた。「鷹見さんは、俺を見てくれなかった。俺の話に、一秒も心を開いてくれなかった」
初めてだった。完全に無視される経験は。自分の存在が、相手にとって何の意味も持たない——そんな屈辱を味わったのは。
昇天は立ち上がり、窓際に歩いた。東京の夜景が眼下に広がっている。無数の光が輝いている。
「俺は……その光の一つになれないのか?」
幼い頃から、母親に言われ続けた言葉を思い出した。「あなたは特別な子。龍のように天に昇っていく子。だから昇天という名前なのよ」
その期待に応えるために、ずっと走り続けてきた。輝き続けてきた。でも——
「カリスマが通用しないなら、俺は何者なんだ?」
携帯を手に取ったが、誰にも連絡できなかった。今、誰とも話したくなかった。弱った自分を見せたくなかった。
その時、オフィスのドアが開いた。賢が入ってきた。
「……まだいたのですか」賢が静かに言った。
「賢さん……なんでここに?」
「いつもより遅い時間まで明かりがついていたので。心配になったのです」賢は昇天の隣に立った。
昇天は何も言えなかった。
賢が続けた。「昇天さん、一人で落ち込む必要はありません」
昇天が顔を上げた。
「私たちも悔しいんです」賢の声に、珍しく感情が滲んでいた。「鷹見さんに、あそこまで否定されたのは——チーム全体が否定されたようなものです」
「でも……俺が一人でプレゼンして、失敗したんだ」
「違います」賢が首を振った。「私たちがデータを用意しなかった。論理的な構造を作らなかった。実行可能性を検証しなかった——チーム全員の責任です」
昇天は何も言えなかった。
「明日、チームで話し合いましょう」賢が肩に手を置いた。「どうすれば勝てるのか。どうすればあの鷹見透を説得できるのか——みんなで考えましょう」
「みんなで……」
「そうです。あなた一人の戦いじゃない。チームの戦いです」。そして賢が静かに微笑んだ「さあ、今日はもう帰りましょう。明日、新しい作戦を立てましょう」
昇天は頷いた。まだ答えは見えない。でも——一人じゃないと気づいた。
翌朝、チームメンバーが集まった。賢は言った「鷹見透、彼を攻略しなければいけません。これはチームとしての課題です」
昇天は一晩たって気持ちを入れ替えていた。正直にいった。「俺の魅力が通じなかった。初めての完敗だ。ここからどうすれば良いか、自分ではまだはっきりとは分からない」
そして皆の目を見ていった「どうか皆の助けを借りたい。カリスマの俺がこんなことを言うのはおかしいかもしれないが、皆の力が必要だ」
「だったら」威風が言った。「やり方を変えればいい」
昇天が威風を見た。
「あの鷹見という男は、データを求めている」威風が続けた。「なら、データを用意すればいい。お前一人でできないなら、そうチームでやればいい」
理子が前に出た。「私、データ分析は得意です。リスク評価、市場予測、財務シミュレーション——全部やります」
賢も頷いた。「論理的なストーリー構築は私の専門です。データを説得力のある構造に組み立てます」
威風が腕を組んだ。「実行可能性の検証と、具体的な戦略プランは俺が担当する」
牛田が優しく言った。「信頼関係の構築プロセスも、提案に含めましょう。長期的な視点で」
昇天は、メンバーたちの顔を見回した。全員が、彼を助けようとしている。
「でも……俺は何をすればいいんだ?」昇天の声が震えた。「カリスマが通用しないなら、俺には何もない」
賢が昇天の肩に手を置いた。
「昇天さん。あなたには、私たちを繋ぐ力がある」
「繋ぐ……?」
「そうです」賢が続けた。「威風さんは強いが、一人で走りすぎる。理子さんは慎重だが、一歩を踏み出すのが苦手。牛田さんは優しいが、時に決断を避ける。私は計算高いが、冷たくなりすぎる」
賢が微笑んだ。
「でも、あなたが来てから、チームがより一層強く纏まる予感がしてます。きっとあなたのビジョンが私たちに方向性を示し、共通の目標を与えてくれる。それがあなたの本当の力です」
昇天の目に、光が戻り始めた。
後半:協奏の勝利
それから一週間、チームは猛烈に働いた。
理子が膨大なデータを分析し、数値に裏付けられた予測を作り上げる。賢がそれを論理的なストーリーに構築する。威風が実行プランを練り、牛田が長期的な関係構築の道筋を描く。
そして昇天は——全体を見渡し、繋ぎ合わせていった。
「理子さんのこのデータ、賢さんの論理構造のここに組み込めませんか?」
「威風さんの戦略プラン、牛田さんの信頼構築プロセスと連動させましょう」
「全体として、一つの物語になるように」
昇天は少しづつ気づき始めていた。自分の役割は、主役になることじゃない。全員を輝かせ、チーム全体を一つの「物語」として完成させることなのかもしれない。
再プレゼンの日。
ファルコン・グループの会議室。鷹見透が、相変わらず無表情で座っていた。
「始めてください」
今回プレゼンするのは、昇天一人ではなかった。理子、賢、威風、牛田——四人が、それぞれのパートを担当する。
昇天は深呼吸した。手が少し震えていた。疾駆が小さく頷いてくれた。
理子が最初に立った。「まず、データから説明します」彼女の声は震えていたが、しっかりしていた。「提携による予測ROIは、保守的シナリオで15%、楽観的シナリオで28%です」
スクリーンに詳細なグラフと数表が映し出される。
「この数値は、過去5年間の業界データ、御社の成長率、市場トレンド分析を基に算出しました」理子が続ける。「保守的シナリオでは、経済成長率を1.5%、市場成長率を3%と設定。楽観的シナリオでは、経済成長率2.5%、市場成長率5%としています」
理子がグラフを指し示す。「この青い線が保守的シナリオ、赤い線が楽観的シナリオです。どちらのケースでも、3年後には投資回収が完了し、5年後には累計利益が初期投資の2倍を超えます」
鷹見の目が、わずかに動いた。
「データの信頼性は?」鷹見が初めて質問した。
理子は即座に答えた。「使用したデータソースは、総務省統計局、業界団体の公開データ、そして御社の公開財務情報です。すべて一次情報から取得し、第三者機関による検証も受けています。詳細は資料の付録に記載しております」
鷹見が資料をめくる。数秒の沈黙。そして——わずかに頷いた。
賢が続いた。「市場分析の結果です。競合5社との比較データ、リスクシナリオ別の確率分布、そして対応策——」
賢がスクリーンを切り替える。「競合A社は価格競争に強みがありますが、技術革新が遅れています。B社は技術力がありますが、顧客基盤が限定的です。C社、D社、E社についても同様の分析を行いました」
「そして、御社と当社の提携がもたらすシナジーは——」賢が図表を示す。「技術力、顧客基盤、資金力、ブランド力の4つの軸すべてで、競合を上回ります」
賢が一歩前に出た。「もちろん、リスクも存在します。市場縮小リスク、技術革新リスク、競合の反撃リスク、、、——これら7つの主要リスクについて、発生確率と影響度を評価しました」
スクリーンにリスクマトリックスが表示される。「高リスク項目は2つ。中リスクが3つ。低リスクが2つです。そして、それぞれに対する対応策を——」
論理的で、明快で、反論の余地がない。
鷹見が再び口を開いた。「リスク対応のコストは?」
賢が答える。「高リスク2項目の対応に、初期投資の8%。中リスク3項目に5%。合計13%を見込んでいます。この費用は、先ほどのROI計算に含まれています」
鷹見が資料を確認する。長い沈黙。そして——もう一度、頷いた。
威風が立ち上がった。「実行プランです。フェーズ1から3まで、各段階での目標と成果指標を設定しています」
「フェーズ1は準備期間。6ヶ月です」威風の声は力強い。「この期間で、共同プロジェクトチームの設立、システム統合の準備、人材の相互研修を行います。目標は、両社の連携体制を100%構築することです」
「フェーズ2は実行期間。12ヶ月です。新製品の共同開発、マーケティング戦略の展開、販売チャネルの統合を進めます。目標は、市場シェア15%の獲得です」
「フェーズ3は拡大期間。18ヶ月です。海外市場への展開、追加製品ラインの開発、サービス体制の強化を行います。目標は、売上高前年比150%です」
具体的で、実現可能で、力強い。
鷹見が質問した。「フェーズ2で目標未達の場合の対応方針は?」
威風が即答する。「市場シェアが10%以下の場合、フェーズ3への移行を3ヶ月延期し、戦略の再評価を行います。5%以下の場合は、プロジェクト全体の見直しを提案します。ただし——」威風が自信を持って言った。「私たちは、それを起こさせません」
鷹見の表情が、わずかに緩んだ。
牛田が最後に語った。「長期的な信頼関係の構築プロセスです。定期的なコミュニケーション、透明性の確保、相互成長のための——」
牛田が優しく、でもしっかりとした声で続ける。「ビジネスは数字だけではありません。人と人との信頼があって初めて、長期的な成功が生まれます」
「私たちは、月次の定例会議、四半期ごとの戦略レビュー、年次の経営層対話を提案します。情報の透明性を保ち、課題を早期に共有し、共に解決していく——そんな関係を築きたいのです」
牛田が資料を示す。「こちらが、信頼構築のロードマップです。最初の3ヶ月は週次のコミュニケーション。6ヶ月後には相互の企業文化を理解し、1年後には真のパートナーとなる——そのためのステップを詳細に設計しました」
誠実で、温かく、持続可能だ。
鷹見が四人のプレゼンを聞き終え、資料を閉じた。長い沈黙。
そして——昇天が立った。
「鷹見様」昇天の声は、以前とは違っていた。華やかさはなかったが、静かな自信があった。「データは事実を語ります。論理は道筋を示します。戦略は方法を明確にします。信頼は基盤を作ります」
昇天が一歩前に出た。
「でも——それらすべてを繋ぐのは、『未来への物語』です」
昇天がゆっくりと語り始める。「正直に申し上げます。前回、私は一人で、カリスマだけで、あなたを説得しようとしました。それは傲慢でした。大いに反省しております」
「でも今日——」昇天が振り返り、チームメンバーを見た。「私たちは、チームとして来ました。それぞれが専門性を持ち、それぞれが責任を持ち、一つの提案として完成させました」
昇天の目が輝く。「理子のデータが、事実を示しました。賢の論理が、道を照らしました。威風の戦略が、方法を示しました。牛田の誠実さが、信頼の土台を築きました」
昇天が一歩前に出た。「私たちは、これらを一つの『物語』として編み上げました。単なる数字の羅列ではなく、未来への道筋として。単なる計画の列挙ではなく、共に歩む旅として」
「そして——」昇天の声に力がこもる。「この物語の主人公は、私たちだけではありません。鷹見様、御社と共に、この物語を完成させたいのです」
昇天が窓の外を指差した。「あの空の下で、何千、何万という人々が、私たちの製品を、サービスを、待っています。彼らに届けるのは、データでも戦略でもない——価値ある物語です」
「前回、私は一人で夢を語りました。今日、私たちはチームで現実を示しました。夢と現実、両方が合わさった——それが共に届けるべき価値ある物語であり、目指すべき未来です」
「そしてその未来は、我々と御社で、確実に実現できる。そう、数値でいうなら100%!」
昇天が最後に言った。「私たちと共に、この物語を紡ぎませんか。ご返答をお聞かせください」
沈黙。
10秒、20秒、30秒——時間が止まったように感じられた。
鷹見透が、資料を再び開いた。ページをめくる音だけが響く。
理子が緊張で息を詰めている。賢が姿勢を正している。威風が拳を握っている。牛田が祈るような表情をしている。
鷹見透が、ゆっくりと立ち上がった。
そして——初めて、彼の口元が動いた。
わずかな、でも確かな、笑みだった。
「論理的でありながら、説得力がある」鷹見が言った。「データに裏付けられ、かつビジョンがある。これは——合格です」
鷹見が一歩前に出た。「正直に言います。前回のプレゼンは、最低でした。根拠のない自信、裏付けのないビジョン、実現性のない計画——聞くに値しませんでした」
昇天が顔を上げる。
「しかし今日は違った」鷹見が続けた。「すべてに根拠がある。すべてに説得力がある。そして何より——チームとしての強さを感じました」
鷹見が資料を持ち上げた。「この提案は、私が見た中で最も完成度が高い。データの信頼性、論理の一貫性、実行可能性、そしてリスクの所在と対応策——すべてが揃っています」
彼が手を差し出した。
「昇天さん、あなたのいう物語を共に作っていきましょう。あなたたちのチームなら信頼できる。100%ね」
昇天が、その手を握った。
会議室を出た後、チームメンバーは歓声を上げた。
威風が昇天の背中を叩いた。「やったな、龍」
理子が涙目で笑った。「すごかったです!」
昇天が興奮した様子で言った。「ありがとうございます。前回カリスマが全く通用しなかった相手が、、、自分でもまだ現実なのか信じられません」
昇天が自分の手を見つめた。「何か……いつもと違う手ごたえを感じた。自分一人で押し通すんじゃなくて、みんなと一緒に作り上げていく——この感覚、初めてかもしれない」
賢が静かに言った。「昇天さん、あなたのカリスマは消えていませんでした。ちゃんと鷹見さんにも効いてましたよ。ただ、使い方が変わったんです」
昇天が聞いた。「使い方?」
「自分を輝かせるのではなく、チーム全体を輝かせる」賢が微笑んだ。「それが本当のカリスマかもしれませんね」
昇天は、はっとして、そしてゆっくりと深く頷いた。
彼は初めて理解した。
カリスマは万能ではない。一人では限界がある。でも——チームを繋ぎ、全員の力を引き出し、一つの「物語」として完成させる。それこそが、龍の本当の役割だった。
竜門を登る鯉の話を、昇天は思い返した。
一匹の鯉が龍になるのではない。多くの鯉が共に登り、支え合い、励まし合いながら——そうして初めて、龍になれるのだ。
孤独なスターから、チームの繋ぎ手へ。
昇天という名前の本当の意味、それはそちらの方なのかもしれない。
龍雲昇天の、新しい物語が始まった。
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