第9話 龍の閃光——無敵のカリスマ

前半

十二支プロジェクトに新たな転機が訪れたのは、初夏の月曜日の朝だった。


会議室の扉が開いた瞬間、空気が変わった——いや、「輝いた」と言った方が正確かもしれない。


入ってきた男性は、まるでスポットライトを背負っているようだった。背筋が伸び、笑顔は自然で、歩く姿には自信が満ちている。威風の「威圧」とは全く異なる、「魅了」の力。


「龍雲昇天(りゅううん・しょうてん)と申します」彼の声は明るく、会議室全体に響き渡った。「皆さんと一緒に働けることを、心から楽しみにしています」


賢は即座に分析モードに入った。この男は危険だ——いや、危険というより「強力」だ。威風のような直接的な圧力ではなく、もっと巧妙に、自然に、人を惹きつける何かを持っている。


昇天は三十五歳。マーケティング部門で輝かしい実績を持ち、社内でも「スター社員」として知られていた。彼が担当したプロジェクトは常に注目を集め、クライアントからの評価も高い。その実績もあり、今回新たに配属された。


「これまでの取り組み、拝見しました」昇天は資料を見ながら言った。「素晴らしいですね。特に牛田さんの信頼構築のアプローチ、威風さんの大胆な戦略、理子さんの緻密なリスク分析——それぞれが補完し合っている」


その言葉に、メンバーたちは驚いた。昇天は一人ひとりの貢献を具体的に評価している。威風のように否定から入るのではなく、まず認める。


「ただ」昇天は続けた。「もう一つ足りないものがあります。それは——ビジョンです」


「ビジョン?」賢が聞いた。


「そう。私たちは何を目指しているのか。このプロジェクトを通じて、社会にどんな価値を提供したいのか」昇天の目が輝いた。「戦術は完璧です。でも、大きな絵が見えない。人々の心を動かす物語が必要なんです」


理子は黙って昇天を観察していた。この人は威風とは違う。威風は力で押し切ろうとするが、昇天は魅了して引き込もうとする。どちらも強力だが、方法が正反対だ。


威風も昇天に注目していた。「ビジョンか。確かに重要だ。だが、現実的な実行力がなければ、絵に描いた餅になる」


「その通りです」昇天が笑顔で応じた。「だから、威風さんのような実行力のある方がいるのは心強い。私はビジョンを描きます。皆さんは、それを実現する。最高のチームじゃないですか」


その言葉に、チームの雰囲気が和らいだ。昇天のカリスマは本物だった。自然に、抵抗なく、人々を魅了していく。


午後のセッションで、昇天は自分のプレゼンテーションを披露した。業界の未来、社会のトレンド、そして十二支プロジェクトがどう貢献できるか——。


圧巻だった。データも論理もあるが、それ以上に「物語」があった。聞いている者の心を掴み、未来への期待を膨らませる。威風ですら、静かに頷いていた。


「すごい……」理子が小声で呟いた。


「ああ」賢も認めた。「本物のカリスマだ」


後半

昇天の加入から一週間後、ビッグチャンスが訪れた。


業界最大手、ファルコン・グループとの提携プロジェクトだ。成功すれば、十二支プロジェクトの評価は一気に高まる。


「これは私に任せてください」昇天が自信を持って言った。「クライアントの心を動かすのは、私の得意分野です」


威風が聞いた。「相手は誰だ?」


「ファルコン・グループの戦略企画部長、鷹見透(たかみ・とおる)氏です」賢が資料を見ながら答えた。「データサイエンティスト出身で、完全な合理主義者として知られています」


「データサイエンティスト?」昇天が笑った。「なるほど。でも、どんな人間も感情を持っています。その感情に訴えかければ、必ず心は動きます」


理子は資料を読み込んでいた。鷹見透——四十二歳、MIT卒、複数の論文を執筆。「感情を排除した意思決定」を信条とし、すべてをデータと統計で判断する。


「昇天さん」理子が心配そうに言った。「この人、普通じゃないかもしれません。完全にデータ主義者です」


「大丈夫です」昇天は自信満々だった。「人は誰でも、心を持っています。その鍵を見つければいいんです」


プレゼン当日。


ファルコン・グループの会議室は、最新鋭のテクノロジーで満たされていた。壁一面のディスプレイ、AIアシスタント、リアルタイムデータ分析システム。いくつものヘッドラインが流れており、アジアのリゾート開発、成功実績なし。など多くの情報が出ては消えを繰り返していた。


そして、部屋の中央に座っていたのが、鷹見透だった。


四十代前半、スーツは完璧に整い、表情は無機質なほど冷静。鋭い目は、まるで獲物を見定める鷹のようだった。


「始めてください」鷹見の声には、一切の感情がなかった。


昇天は深呼吸をした。そして——。


彼の渾身のプレゼンテーションが始まった。


「鷹見様」昇天が立ち上がり、会議室を歩きながら語り始めた。「私たちは今、歴史的な転換点に立っています」


スクリーンに、輝く未来都市のイメージが映し出される。


「この業界は、これまで保守的でした。変化を恐れ、前例に縛られてきました」昇天の声が響く。「しかし——世界は変わっています。テクノロジーは進化し、顧客のニーズは多様化し、競争は激化しています」


昇天が鷹見を見つめた。「このまま何もしなければ、私たちは取り残されます。でも——もし私たちが手を組めば、業界のリーダーになれる。いや、業界そのものを変革できるんです」


スクリーンが切り替わり、両社のロゴが融合するアニメーションが流れる。


「ファルコン・グループの先進的な技術力」昇天が片手を挙げる。「そして私たちの豊富な顧客基盤と市場ネットワーク」もう一方の手を挙げる。「この二つが合わさったとき——」両手を合わせる。「無敵のシナジーが生まれます」


チームメンバーが顔を見合わせる。賢が小さく頷いた。確かに、昇天のプレゼンは魅力的だ。


「想像してください」昇天が窓の外を指差した。「三年後、私たちの共同プロジェクトが市場を席巻している。五年後、私たちは業界のスタンダードになっている。十年後——」昇天が振り返る。「私たちは、この業界の歴史を作った企業として語り継がれているんです」


昇天がスクリーンに新しいスライドを表示する。そこには輝く未来のイメージ、成長を示す上向きの矢印、握手する二人のシルエット。


「これは単なるビジネス提携ではありません」昇天の声に熱がこもる。「これは、未来への投資です。可能性への挑戦です。そして——」昇天が一歩前に出た。「歴史を創る、壮大な冒険なんです」


「お客様は私たちを待っています」昇天が続ける。「従来の製品に飽き、新しい価値を求めている。市場は私たちを求めています。競合が気づく前に、私たちが先手を打つべきなんです」


昇天が最後のスライドに移った。そこには大きく「共に未来へ」という文字。


「鷹見様」昇天が鷹見の目を見つめた。「私はあなたの会社を徹底的に研究しました。技術力、企業文化、経営理念——すべてが素晴らしい。そしてそれは、私たちの価値観と完全に一致しているんです」


「この提携は、運命だと思います」昇天が微笑んだ。「私たちは、出会うべくして出会った。そして、共に歩むべき道が見えている」


チームメンバーは息を呑んだ。これほどの プレゼンは見たことがない。昇天のカリスマが、全開で発揮されている。


理子が小声で呟いた。「すごい……本当にすごい」


威風も感心した表情で見ている。「あれだけ人を引き込めるやつ、初めて見た」


しかし——。


鷹見透は、一度も表情を変えなかった。


昇天が力強く締めくくった。「さあ、私たちと共に、未来を創造しませんか。是非お返事をお聞かせください。」


沈黙。


長い、重苦しい沈黙。


鷹見がゆっくりと口を開いた。


「素晴らしいプレゼンテーションでした」彼の声は相変わらず無感情だった。「しかし、いくつか質問があります」


「どうぞ」昇天が笑顔で応じた。


「提携による具体的なROI(投資対効果)の予測値は?」


「それは——市場の動向次第ですが、確実にプラスになると——」


「数値でお願いします」鷹見が遮った。「パーセンテージ、または金額で」


昇天が少し動揺した。「正確な数値は、もう少し詳細な分析が必要ですが——」


「では、市場シェアの予測は?競合分析のデータは?リスクシナリオごとの確率分布は?」


矢継ぎ早の質問。すべてがデータを求めている。感情ではなく、数値を。ビジョンではなく、証拠を。


昇天は答えに窮した。彼のプレゼンは「物語」だった。感情に訴え、夢を語り、可能性を示す。でも——具体的な数値は、用意していなかった。


「申し訳ありませんが」鷹見が立ち上がった。「感情論では契約できません。データの裏付けがない提案は、私にとって価値がありません」


「待ってください!」昇天が叫んだ。「ビジョンも重要です。数値だけでは——」


「ビジョンは結構」鷹見の目が冷たく光った。「でも、私が求めているのはエビデンスです。証明できないビジョンは、ただの夢物語に過ぎません。私はそう、あなたの今の提案に対し、まだ87個の疑問がある」


そして鷹見は、会議室を出て行った。


残されたのは、呆然とするチームメンバーたち。


昇天は、立ち尽くしていた。彼の顔から、いつもの輝きが消えていた。


これが——龍雲昇天の、人生で初めての「完全敗北」だった。


カリスマが、全く通用しなかった——。

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