第5話 虎の威圧
前半
会議室の扉が開いた瞬間、空気が変わった。入ってきたのは背の高い男性で、その存在感は圧倒的だった。鋭い眼差し、堂々とした立ち姿、そして周囲を見回す様子からは、生来のリーダーシップが感じられた。
「虎山威風(とらやま・いふう)です。よろしく」短い自己紹介だったが、その声には有無を言わさぬ迫力があった。賢は直感的に「この人は手強い」と感じた。生存本能が警戒信号を発している。リーダーとしての決意を固めたばかりなのに、いきなりボスキャラが出てきた気分だ。
牛田も緊張していた。威風の放つ圧力は、これまで経験したことのないレベルだった。まさに肉食動物が草食動物を見るような、本能的な上下関係を感じさせる何かがあった。
「これまでの進捗状況を説明してください」威風は椅子に座るなり、賢に向かって言った。それは質問というより命令に近い口調だった。
賢は資料を開きながら説明を始めた。しかし威風の視線を感じると、いつもの冷静さを保てない。計算高い自分が、感情的に反応していることに困惑した。
「効率性を重視したアプローチですね」威風は賢の説明を聞き終えると、そう評価した。「悪くない。しかし、もっと大胆さが必要です。小さな成功を積み重ねるだけでは、真の成果は得られません」
牛田が口を挟んだ。「基盤をしっかり固めることも重要だと思います。持続的な成長のためには」
威風は牛田を一瞥した。その視線には軽蔑とも言える冷たさがあった。「持続?ビジネスは戦場です。悠長なことを言っている間に、競合他社に先を越されます」
会議室に重苦しい沈黙が流れた。賢と牛田が二ヶ月かけて築いた協調関係が、威風の登場によって一瞬で緊張関係に変わった。
威風の経歴は華々しかった。前職では営業部門のトップとして、圧倒的な成績を残していた。強引な手法を使うことも多かったが、結果を出すことで批判を封じ込めてきた。
「成功するためには、時として他者を圧倒する必要がある」それが威風の哲学だった。弱い者は淘汰される。強い者だけが生き残る。それが自然の摂理であり、ビジネスの原則でもある。
賢は威風の能力を認めざるを得なかった。しかし同時に、強い反発も感じていた。これまで牛田と築いてきた信頼関係を、威風は価値のないものとして切り捨てようとしている。
昼休憩のとき、賢と牛田は二人きりになった。「どう思いますか、虎山さんのこと」賢が小声で聞いた。
牛田は困ったような表情を見せた。「確かに能力は高いと思います。でも、あのやり方では、チームワークは築けないのではないでしょうか」
後半
午後のセッションで、威風は具体的な提案を始めた。「まず、現在の方針を全面的に見直します。効率性と安定性のバランスなどという曖昧なものではなく、明確な優先順位をつける必要があります」
威風の提案は確かに論理的だった。市場分析も的確で、戦略も明確だった。しかし、そこには賢と牛田の意見を取り入れる余地がなかった。
「私たちの方針についてですが」賢が割り込もうとしたが、威風は手を上げて制した。
「過去の方針にこだわる必要はありません。重要なのは、今この瞬間から最適な戦略を実行することです」威風の言葉には、賢と牛田の努力を否定するニュアンスが含まれていた。
牛田は穏やかに言った。「でも、これまで築いてきた関係性も重要な資産です。それを無視して新しい戦略を始めるのは、リスクが高いのではないでしょうか」
威風は冷笑した。「関係性?それは弱者の発想です。強者は関係性に頼らず、自分の力で道を切り拓きます」威風は続けた。「『虎穴に入らずんば虎子を得ず』というでしょう。リスクを恐れず、果敢に挑む。それが成功への道です」
その言葉に、賢の中で何かが弾けた。「それは違います」彼は立ち上がって言った。「牛田さんとの協力によって、私は一人では到達できない目標ができ、それを信じて進む決意ができました。関係性は絶対に長期的には大きな成果を生みます。従って弱さではなく、新しい強さです」
威風は賢を見詰めた。その目には驚きと、わずかな興味が浮かんでいた。「面白い。では、その『新しい強さ』とやらを証明してみてください」
会議は予定より長引いた。威風の圧力に対して、賢と牛田は必死に自分たちの価値観を守ろうとした。しかし威風の論理は強固で、感情的な反論では太刀打ちできなかった。
その日の終わり、威風は一人残って窓の外を見ていた。賢と牛田の反応は、彼にとって予想外だった。これまで威風の前では、多くの人が黙って従うか、陰で文句を言うだけだった。
しかし二人は違った。特に賢の反発は、威風にとって新鮮な経験だった。あの冷静で計算高い男が、感情的になって反論した。それは牛田という存在が、賢にとって特別な意味を持っているということだろう。
威風の心の奥で、微かな疑問が芽生えた。自分のやり方は本当に正しいのか。力で押し切ることが、常に最善の方法なのか。
しかし威風はその疑問を振り払った。これまでのやり方で成功してきた。弱い者に配慮して、自分まで弱くなる必要はない。強さこそが正義であり、勝者こそが真理なのだ。
昔話に出てくる「猫に十二支を教えた虎」の話が、威風の頭をよぎった。しかし現実の威風には、誰かに何かを教える余裕も意思もなかった。ただ勝つことだけが、彼の全てだった。
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