第4話 二頭立ての馬車
前半
賢と牛田のコンビが軌道に乗り始めた頃、二人は互いの長所を深く理解するようになっていた。賢の素早い分析と牛田の慎重な検証、賢の効率追求と牛田の関係構築。それぞれが単独では不完全だったが、組み合わせることで新たな価値を生み出していた。
「まるで二頭立ての馬車ですね」牛田がある日そう言った。「一頭だけでは不安定ですが、二頭なら安定して進める」
賢は苦笑した。「私が速い馬で、牛田さんが力強い馬ということですか?」
「いえ、どちらも必要な特性です。速さと力強さ、両方あってこそ遠くまで行けるんです」
しかし、二人だけの体制には限界も見えてきた。扱う案件が複雑化し、求められるスキルも多様化している。賢の分析力と牛田の実行力だけでは、すべてをカバーできなくなっていた。
特に、対外的な交渉や創造的な企画立案において、二人とも苦手意識を持っていた。賢は論理的すぎて時として冷たい印象を与え、牛田は慎重すぎて決断に時間がかかる。
「やはり、チームを拡大する必要がありますね」賢が提案した。「でも、どんな人材を求めるべきでしょうか」
牛田は考え込んだ。これまで二人で築いてきた信頼関係と協働体制は、簡単には再現できない貴重なものだった。新しいメンバーが加わることで、この関係が壊れてしまうリスクもある。
「賢さんは、どんなチームが理想だと思いますか?」牛田が問いかけた。
賢は即答できなかった。これまでの彼なら「効率的に成果を出せるチーム」と答えただろう。しかし牛田との経験を通じて、効率だけでは測れない価値があることを学んでいた。
「正直に言うと、よく分からないんです」賢は率直に答えた。「これまでは個人プレーが中心でした。本当のチームワークというものを、まだ理解できていないのかもしれません」
牛田は頷いた。「私も同じです。長年一人で仕事をしてきましたから。でも、賢さんと組むことで分かったことがあります。一人では見えない景色があるということです」牛田はふと思い出したように言った。「『牛に引かれて善光寺参り』という諺があります。思わぬきっかけで良い結果に導かれる。賢さんとの出会いが、まさにそれでした」
二人は会議室のホワイトボードに向かい、理想のチーム像を描き始めた。異なる強みを持つメンバーが、互いを補完し合う関係。競争ではなく協調を基盤とした組織。短期的な成果と長期的な成長を両立できる体制。
描いているうちに、二人は気づいた。自分たちが求めているのは、単なる作業チームではない。共に成長し、共に価値を創造できる仲間だった。
後半
その週の金曜日、人事部から連絡が入った。「十二支プロジェクトの人員拡充が承認されました。来週から新しいメンバーが加わります」
賢と牛田は顔を見合わせた。期待と不安が入り混じった複雑な心境だった。これまで築いてきた関係性に、どんな変化が起こるのか。
「どんな人が来るのでしょうね」牛田がつぶやいた。
「人事部からの情報では、かなり個性的な人材が集まっているようです」賢は資料を見ながら答えた。「多様性を重視した人選だとか」
土曜日、賢は一人でオフィスにいた。新しいメンバーを迎える準備をしながら、この二ヶ月間を振り返っていた。牛田と出会い、自分の価値観が大きく変わった。効率や競争だけでは得られない、深い満足感を知った。
そして今、新しいメンバーが加わろうとしている。賢は窓の外を見つめながら、深く考え込んだ。これまでの自分なら、新メンバーを「競争相手」として警戒していただろう。しかし今は違う。牛田との経験が、彼に新しい視点を与えていた。
協力し合うことで、一人では到達できない高みに達することができる。そして何より、その過程に深い充足感がある。
「新しいメンバーも、それぞれの強みを持っているはずだ」賢は考えを整理していった。「私の役割は、その強みを見つけ出し、最大限に活かせる戦略を立てることかもしれない。そして……」
彼は決意を固めた。自分がリーダーとして、チーム全体のために貢献していく。それは単なるマネジメントではない。一人ひとりの可能性を信じ、それを引き出し、全体として最高のパフォーマンスを生み出す。それが、牛田から学んだ「本当のチームワーク」なのだと。
しかし同時に、不安もあった。新しいメンバーたちは、果たして同じような協調関係を築けるのだろうか。それとも、また競争と対立の関係に戻ってしまうのか。
日曜日、牛田も同じようなことを考えていた。自宅の書斎で、チームビルディングに関する本を読み返している。理論は理解できるが、実際に多様な人材をまとめることは容易ではない。
月曜日の朝、賢と牛田は早めにオフィスに来て、最後の準備をしていた。会議室のレイアウトを整え、新メンバー用の資料を準備する。
「賢さん」牛田が声をかけた。「どんなことが起こっても、私たちが学んできたことを大切にしましょう。競争ではなく協調、効率だけでなく信頼」
賢は頷き、そして牛田の目をまっすぐ見つめた。「牛田さん、私……決めました。これからは、私の持っている分析力も戦略思考も、すべてチームのために使います。リーダーとして、みんなの強みを最大限に引き出せるように」
牛田は驚いたように目を見開き、それからゆっくりと微笑んだ。「賢さん……素晴らしい決意ですね。その気持ちがあれば、きっと大丈夫です」
「正直言うと、まだ緊張しています」賢は率直に認めた。「これまでの経験では、人が増えると必ず利害対立が生じました。でも今回は、違うやり方を試してみたい。一人ひとりの個性を尊重しながら、全体として強いチームを作る。牛田さんと築いた関係を、もっと大きな輪に広げていきたいんです」
「対立するそれは仕方がないことです」牛田は落ち着いて答えた。「大切なのは、対立を恐れるのではなく、それを乗り越える方法を見つけることです」
九時が近づくにつれ、廊下に足音が聞こえ始めた。新しいメンバーたちがやってくる。賢は無意識に身構えた。生存本能が警戒信号を発している。
しかし牛田の存在が、賢に安心感を与えていた。一人ではない。信頼できるパートナーがいる。どんな困難があっても、二人で乗り越えられる。
そして今、賢の中には新しい決意があった。チームのために、リーダーとして貢献していく。自分の能力を、みんなの成功のために使っていく。それが彼の選んだ道だった。
「本当のチームとは何か」という問いへの答えは、まだ見つかっていない。しかし賢と牛田は、その答えを探す準備ができていた。これから始まる新たな挑戦に向けて、二頭の馬は歩調を合わせて進もうとしていた。
扉をノックする音が響いた。新しい物語の始まりだった。
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