第2話 つないだ手


 さて、悟郎の姿はとある山小屋にあった。


「小さい。小さいなこの体は。まるで幼子のようだ。ふむ? 幼子なのか?」


 彼――いや彼女か。ともかく目覚めた悟郎はすぐに自分の体の違和感を感じ取り、近くにあった鏡でその姿を確かめる。


「むぅ……? ないな。六十余年と連れ添った彼奴がいないとなると、少し不思議な気分だな」


 ついでに彼が彼女になってしまった部分を凝視する。あるはずのものがない。たったそれだけで、彼はなんとなく事態を把握した。


「これが俗に言う輪廻転生というやつか!」


 自分が生まれ変わったのだと気付いた悟郎は、小躍りするように飛び跳ねる。喜びを体で表現しているようだ。


「しかしなぜ女に? まあいいか」


 人間誰しも、一度は今の人生を捨てて生まれ変わりたいと思うモノ。特に悟郎にとっては、血に汚れきった自分の人生を振り返る度に、この血をどうにか拭い去れないものかと思い続けてきたからこそ、その喜びは人一倍大きい。


「新たな生! 新たな挑戦! 俺は改心したぜ、仏様! ありがとう!」


 そう言って大声をあげていれば、彼の――いいや彼女のいた山小屋の扉が開いた。


「あ、またここに居たパフィ! もう、探したんだから~!」

「むむ……誰だお前?」

「はぁ!? ひっどいわパフィ! 家族の顔を忘れたの~!?」


 扉の先に居たのもまた少女。

 日焼けした小麦色の肌に、短く切った黒髪が特徴的な女の子だ。

 年齢は、生まれ変わった悟郎よりも少し年上に見える。


 して、彼女はいったい誰なのか?


「アネッサでしょ!」

「アネッサ。そうかアネッサというのかお前は」

「まったく物覚えが悪いんだからパフィって!」

「パフィというのは俺のことか?」

「まさか自分の名前まで忘れちゃったの!?」


 ぐいっとアネッサが悟郎の目と鼻の先まで顔を近づける。あとちょっと近づけばキスしてしまいそうな距離なものだから、後退るように悟郎は後ろに引いて会話は続く。


「貴方はパルフェットでしょ!」

「しかしアネッサはパフィと――」

「家族なんだから愛称で呼ぶでしょ普通!」

「そ、そうか」


 流石の剣鬼も、幼子の気迫には弱いらしく、そのまま勢いで言いくるめられてしまった。そして悟郎――もといパルフェットは、自分の名前も思い出して覚えて、正しくこの世界の住人となった。


「前々から思ってたけど、ほんと貴方って変な子ね!」

「そうか? そうかも……」

「いいから、ほら! もうみんな、礼拝堂に集まってるから! 早くしないと始まっちゃう!」

「始まる? 何が始まるんだ?」

「決まってるでしょ!」


 訊いてみれば、呆れたような顔をしたアネッサが、パルフェットの手を取って言った。


「ミサが始まっちゃう!」

「みさ?」


 これもまた、パルフェットには知らない言葉だった。


 さて、手を引かれたパルフェットは、連れられるがままに山小屋を飛び出して林の中を走り抜ければ、その先にはこじんまりとした教会が立っていた。


 それを見て、パルフェットは昔の記憶を思い出す。


(これは確か“きりした”の……いや、前に見たモノとは意匠が異なるな。となると別の信仰か?)


 似たようなものを思い出しつつも、所々違うことに気づくパルフェット。とはいえ彼女にとってそれは些末な違いでしかなく、特に気にすることもなく、アネッサと共に彼女は教会に立ち入った。


 中には11人の子供と二人のシスターが居て、既に祈りは始まってしまっていたらしい。それに気づいてか、急ぐ足をやめたアネッサは息を殺して、忍び足で子供たちの列に加わろうとする。


 彼女に倣って、パルフェットもまた忍び足で後を追うも――


「アネッサ! パルフェット! また遅刻しましたね!」


 シスターの一人が振り返り、大声で近づく二人を叱咤した!


「ご、ごめんってシスターコナ!」


 声をあげたのは、シスターコナと呼ばれた老齢のシスター。目尻に刻まれた深いしわを見れば、彼女がパルフェットの前世にも劣らない月日を生きてきたことがよくわかる。


 そんなシスターコナに叱責されて、飛び上がるように驚いたアネッサは、言い訳するように言葉を続けるけれど――


「問答無用」

「あ痛っ!」

「むっ!?」


 シスターコナのチョップが、アネッサとパルフェットの頭に襲い掛かる! その一撃、まさに雷の如き衝撃であり、二人の頭にじんわりと痛みが広がる。


「朝のミサは神聖な儀式! 絶対に参加しなさいと何度言ったらわかるんだい!」

「だってぇ……」

「だっても何でもあったもんかい――!!」


 そんな言葉と共に、シスターコナの説教は始まった。

 これには流石のアネッサも半泣きになってしまった。対して同じようにチョップを受けたパルフェットは、


「アネッサは、俺をミサに連れてくるために席を外しただけだぜ。説教なら俺が受けるから、アネッサのことは許してやってくれよ」


 と、そんなことを言ってアネッサをかばった。


「……確かに、家族を助けるというのは美徳だよパルフェット。だけどね、遅刻したことにゃ変わりない。それはいけないことだ。いけないことなんだよパルフェット!」

「そうかよ。じゃあ好きにしてくれ」


 そうして、しばらくの間、シスターコナの説教は続いた。


「――わかったかい! それじゃあ、説教はここまでにして朝食にするよ!」


 さて、どれほど説教が続いたことだろうか。

 時間にしてみれば、十分か二十分ぐらいだろうけど、感覚にすれば一時間以上は聞いていたような気がする。


 内容はと言えば、神の御前で恥をかくなだとか、約束に遅れるような人間になるなだとか、前々から気になってたがその粗野な口調は一体どこで覚えたんだいとか、そんな話だった気がするけれど、パルフェットはあまりよく聞いていなかった。


 それから朝食の支度をしに、シスターコナともう一人のシスターが礼拝堂から離れた後、ぶはぁっとパルフェットはため息を吐き出した。


「いやぁ疲れた疲れた。いくつになっても、説教ってのは堪えるな」


 そう言って首をぐりぐりと回した後、彼女はちらりとアネッサの方を見た。


「……まあ、そう気を落とすなよアネッサ。悪いのは、変なところに隠れてた俺だからよ」

「で、でも……遅刻は悪いことだよパフィ」


 涙をぬぐいながらそう言うアネッサは、唇をかみしめて言う。


「妹の面倒を見るのは年長の務めだから。だから、ミサに間に合う間にパフィのことを見つけられなかった、私の責任」

「妹?」


 妹、という言葉にパルフェットは首を傾げた。すると、またもや「そんなこともわすれてしまったの?」と言いたげな顔をして、アネッサは言う。


「私たちは家族でしょ、パフィ。この孤児院に集められた、捨てられた子供」

「ああ、そういうことか」


 そこでやっと、パルフェットはアネッサが自分を家族だという理由に気が付いた。


 ここが孤児院で、パルフェットとアネッサは家族なのだ。いや、アネッサだけじゃない。今この礼拝堂で、祈りを捧げていた子供たちもまた、同じ孤児院で暮らす家族で、シスターたちは母親代わりなのだと。


「そうか。それなら……感謝する。ありがとう、アネッサ」

「うん。でも今度からは、何も言わずにどっかいかないでよパフィ」

「当然だ。俺もあの説教を聞くのはもう嫌だからな」


 そう言ってアネッサが涙をすべてふき取った。周りを見れば、祈りを捧げていた子供たちはもう朝食を取りに、シスターコナの後を追いかけて行ってしまった。


 くぅとパルフェットの腹が音を立てる。

 それにアネッサがくすりと笑うと、またもや彼女はパルフェットの手を取った。


「私たちも食べに行こ。シスターコナも、ずっと怒ってるわけじゃないから」


 パルフェットは握られた手を見て、不思議な気持ちになった。


 かつて、パルフェットが悟郎であったころ、家族など生まれた時から存在しなかったものだから、その柔らかい手には、何とも言い難い暖かさを感じた。


 これが姉か。

 これが家族か。


 パルフェットは、前世で味わうことのなかった優しさに触れた気がした。


「おう、行くか」


 そうして握られた手を握り返し、パルフェットたちも食堂へと向かった。

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