砂と海のアイダⅣ

 酔い覚ましの為、海水でエリザベートの顔を洗おうかと悩んだが、ヒイングから受けた擦り傷が所々にある。塩水が浸みるといけない、アーディアは酔っ払いの面倒を見ると決めた。

 エリザベートは髪を乱し、安らぎを求めるようにアーディアの胸に顔を埋め、甘えるような声を出す。


「平民~本当に本当に感謝しているんですわよ~」

「感謝してるなら、その呼び方やめない?」


 激戦を潜り抜けたというのに、いい匂いと触り心地のする頭をポンポンとしながらアーディアは提案する。


「呼び方、ですの?」

「その平民って奴。私が呼ばれてるってあんまり思えないんだよ。範囲が広すぎるし」

「それもそうですわね。アーディア・アーカイブって呼べばいいですの?」

「長いよ」

「そうですかね。そうかもしれませんわね」


 胸から顔を上げ、至近距離でアーディアの顔を眺めながらエリザベートは云々と唸る。


「それじゃあアーちゃんと呼びますわ。アーちゃん、いい呼び方だとは思いませんか?」

「私は良いけど……」


 酔いが醒めた後そう呼んでくれるのだろうか。そもそも記憶が残るタイプなのか、アーディアは心配しているが酔っ払いは止まらない。


「わたくしの過去、アーちゃんは気になりますか?」

「……リッサちゃんから変に事情を聴いちゃったし、敵が知っているのに私たちが知らないっていうのも変な気持ちになるから、エリザベートちゃんが話してくれるなら――」

「ダメですわ」

「ダ、ダメ? でも、エリザベートちゃんが気になるかって……」

「長いですわ、その呼び方」


 やはり至近距離、瞳の奥すら覗ける。かわいい顔だなぁ、とアーディアは感じた。


「エリザでいいですわ、親しい人はそう呼びますの」


 言葉すらいい匂いがする。実際は酒臭い吐息だが、アーディアはそれでもよかった。


「……エリザ」

「なんですの、アーちゃん」

「過去の話、教えて欲しいな」

「よろしいですわ、話して差し上げます」


 ようやくエリザベートはアーディアの胸から離れ、アーディアの左側へと座り直した。頭は肩に預け、アーディアの身体へと凭れ掛る事は忘れない。


「気付いていなかったと思いますが、実はわたくしは、デイサス王国の第二王女なのですわ」

「そーなんだー知らなかったー」


 話の流れと言動、あからさまな名前をしておいて気付かない筈が無いだろ。とアーディアは内心で突っ込むが、一々指摘していたら話が進まない。


「デイサス王国の歴史についてはご存知、ですわよね」

「ニーデンさんから任務の前に。第四次世界大戦直前に独立した新興国。政変によりローム帝国の衛星国になり、帝国軍の駐屯を許している……だよね?」

「……乱世で独立せざるを得なかったのですわ。地方の帝国貴族、なんて時代錯誤な名誉に市民たちは縋り、追い詰められた祖父は市民を守る為に国という囲いを作るしかありませんでした」


 当事者の子孫の言葉、酔いの語りだろうと籠められた意志はとても大きい。

 少しゆっくり呼吸をし、覚悟を決めたエリザベートは口を開く。


「新皇帝が即位し、帝国は失地を取り戻そうと周囲の独立国家に圧力を掛けました。父――国王は失政をしたわけではありません、単に時勢が悪かっただけ。帝国は民の保護を名目に挙兵しましたが、多正面作戦を行っている帝国に対し、兵の士気も高かった我が国の精鋭は応戦できる筈でした」


 アルコールで頭がやられている人間とは思えない程、スムーズに語る。自分が何を言っているかわからない程酔っても、何度も唱えたお題目は消えはしないのだろう。


「侵攻に合わせて、クーデターが起きました。フーゴ……将軍とシンパ、それに帝国の特殊部隊が王宮に侵入し、わたくしの国王は凶弾に斃れ、宰相は処刑。継承権第一位の弟は幽閉され、他の王族はその場で殺されました」


 いや、酔っているからこそ言えるのだろうか。赤く染まった顔が思い詰めた表情をしている事くらいはアーディアだって気が付いている。


「国王の摂政だったわたくしは――」


 波の音がエリザベートの声をかき消した。そういう事にすれば、聞かなかったという事で済む。


「アーちゃん……」


 ふらつきながら勢いよく立ち上がり、やはり回らない呂律でアーディアは海に向かって宣言する。


「わたくしの野望は、祖国の解放です」

 丸裸な言葉で、世界を斬り付ける。


「デイサスに滞在するローム帝国のクソ共を追い払い、我物顔で王座を汚す国賊を討伐し、新国王を戴冠させる。それがわたくしの成すべき夢ですわ」


 エリザベートは心の底を晒した。ように感じるが、やはりアーディアには彼女の覚悟も重さもわからない。

 だから、等身大の簡単な事から尋ねる。


「エリザが女王様にならないの? 摂政って、政治をやってたって事でしょ?」


 ふふん、と少し誇らし気にエリザベートは笑う。


「わたくしに国を治める程の器量と度量があると考えていらっしゃるんですの?」

「酷い事言ったかも、ごめんね」

「全くですわ、平民」

 二人はクスクスと笑う。

 座り直したエリザベートは、ふと口を滑らせる。


「だからこそ、弟――マティアスだけは救いたかったのですわ」


 収容所での一幕。エリザベートが少年と話していた姿は、アーディアだって目撃している。とても悲しそうな声で話していたエリザベートの姿を。

 まあいいか、とアーディアは思った。


「エリザ」


 水面と月光の反射を受けたアーディアの横顔は、いつもの元気さは鳴りを潜め静かな美だけを映し出す。


「お礼。特別に教えてあげる、私の夢を」

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