最終章 嫌いな後輩と旅立ちの日

第47話 タイミングの神様、私に厳しすぎません?

 私、浅海凪は後悔していた。


 先日の花森との慰安会。

 「付き合っちゃう?」とお酒のノリと勢いで聞いた時、「いいですけど」って返事があって。

 想定外の返答にその後パニクってしまい「冗談だよ」とはぐらかしてしまった。


 あの時「じゃあ」って返していれば、今頃私と花森は…。


 浅海凪のヘタレ。馬鹿だ。

 私の大馬鹿女。愚か者。たわけ。


 そんな後悔を引きずったまま迎えた二月二十日。元々一緒に行くことになっていたライブの日。

 私は花森に想いを伝えようと決めていた。


「海外拠点に行くことになったんだ」

「でね…」


 カフェで思い切って言葉を継ごうとした瞬間。花森が遮るように口を開いた。

 何度か話を戻そうとしたけれど、花森はそのまま足早に帰ってしまった。


「え、ちょっ。待って」


 花森の背中。駆け足でカフェを出ていく。早歩きというより小走り。逃げるようにして帰って行った。

 私もその後残っているお皿の料理を平らげてお会計をして追いかけようとした。

 でもその頃に、外にはもう花森はいなかった。


「花森さん…」


 完全敗北だった。


 それにしても、あの時の花森の様子がずっと引っかかっていた。

 海外の話を切り出した途端、顔色が変わって。何か大変なことを聞いてしまったような、そんな表情だった。

 

 あの時、何か傷つけるようなことを言ってしまったんだろうか。

 うーん。考えれば考えるほど分からなくなっていく。


 ***


 あのライブに行った翌週、月曜日。

 花森は会社を休んだ。


 斜め前ががらんと空いていて、妙に広く感じる。花森の存在感ってこれほどまでにあったのか。


「浅海は三月末から海外に——」

「花森への引き継ぎは——」


 営業会議で淡々と、私の海外行きと花森のOJT終了について営業部長から説明がある。花森以外のメンバーがメモを取りながら聞いている。


 ——そう。海外への打診は唐突だった。


 二月上旬に営業部長から突然呼び出された。

 先月の展示会で新サービスが予想以上の反響を呼んだこと。

 アメリカで本格展開することになったこと。

 そのプロジェクトの立ち上げメンバーに選ばれたこと。それらを一気に告げられた。


 びっくりしたし嬉しかった。本当に。

 昇進のチャンスだ。手当も入るし。


 私の海外行きとは別に、一年目だった花森の新人研修も三月で終了する。花森の独り立ち。

 偶然タイミングが重なったこともあり、三月中旬までに私の担当を引き継ぐことになった。


 OJT終了。

 つまり、私と花森の二人だけの時間は、ほぼゼロになる。

 もうすぐ、花森が当たり前に隣にいた日々が終わる。


 そう思うと胸が疼いた。疼くどころじゃない。ズキズキだ。いや、ギシギシ?ギュンギュン?

 とにかく花森のことを考えると音を立てて胸がきしむ。


 もうこのタイミングしかないと覚悟を決めてライブの日に想いを伝えようとしたのに。

 見事に空振り三振だった。



 ***


 翌日。私は早めに出社した。


 まだ外では雀が鳴いている。オフィスに一番乗り。誰もいない。人気のない朝のオフィスは静かで爽やかで落ち着く。


 コーヒーを淹れて自席に座り、メールボックスを開いた時だった。


「あ」


 花森が入ってきた。


 早朝出社なんて珍しい。いや、奇跡か。

 いつも定時少し前に「おはようございま〜す」と甲高い猫撫で声で現れるのがデフォルトなのに。


 花森とパッと目が合った。ふっと視線を落とす。そのまま無言でスタスタと自席に向かう。


「おはよう、花森さん」

「おはようございます」

「昨日休んでたけど大丈夫?」

「大丈夫です」

「もしかして、もうすぐ私と営業のペアじゃなくなるのが寂しくて泣いてたとか?」


 ちょっとだけ期待を込めて。

 からかうように明るく言ってみる。


 いつもなら「はあ?何言ってるんですか、自意識過剰ですよ」と軽く睨んで即座に返してくる。

 それが花森との定番のやり取りだった。


 今日の花森は違った。


「……違いますよ」


 小さい声で言葉を落とす。視線が泳いだ後、ふっと目を伏せる。口角を少しだけ上げようとしている。でも上げきれなくてふるふると口元が揺れる。


 目の周りが赤い気がした。そういうメイク?違う気がする。まさか本当に泣いてた?え、私のことで?違うよね。

 自意識過剰だ。うん、絶対違う。


 怒ってはなさそう。でも何か、視線が定まらない。長い睫毛が目元に影を落として、憂いを帯びて見える。唇もきゅっと結ばれていた。

 その表情が妙に儚くて、ドキッとした。


 花森がコーヒーを淹れに立つ。私はメールチェックのためマウスをスクロールする。カチカチという音だけがオフィスに響く。


 花森と二人きり。今言う?会社で?誰か来たらどうする?でもこのタイミングしかない気がした。


 花森が給湯室から戻ってきて、また目が合う。そしてまた逸らされる。


 花森は神妙な面持ちでパソコンに向かい、メールチェックを始める。その真剣な目元がまた愛おしい。

 集中している時の花森って、普段の雰囲気と全然違う。


「土曜日、ありがとね」


 私はパソコン画面を見ながら口を開く。


「はい」


 それだけ。

 いつもだったら「よかったですね、かわいい後輩に遊んでもらって」とか嫌味ったらしく一言余計なことを言ってくるのに。

 その余計な一言がないと寂しい。私、変だ。


「あの後、結局私もすぐ帰ってさ」

「そうなんですね」


 相変わらず視線を落としたまま。私がパソコン越しに花森の方をチラチラ見るが、全く目が合わない。


 もう今言うしかないか。そう思った。


「あのね、花森さん…!!」


 ゴンッ!!


 立ち上がった拍子にデスクに思いっきり膝をぶつけた。

 痛い。痛すぎる。

 そして思いの外声が大きくなった。二人きりのフロアに響く。花森が驚いたように目を見開いてこちらを見る。


 その瞳、丸くて大きくて、潤んでいて。何これ。子犬みたいだ。

 上目遣いが、卑怯だ。


「あ、あのっ…」


 花森がまた視線を落とし、パソコン画面の方に目を向ける。私はもう一度口を開く。


「わた——」

「おはようございまーす」


 他の社員が出社してきた。営業事務課の二年目、神代さんだった。


 また失敗。

 私はふにゃふにゃと力なく椅子に沈み込んだ。


 ***


 いつもの営業車。


 OJT期間があと二週間で終わる。花森を隣に乗せてこうやって運転することも四月からはないんだなと思うと、寂しさからか胸が締め付けられた。


 車内はしんと静まり返っている。普段はラジオをつけているのに、今日は二人とも無言のままだ。沈黙が重くのしかかる。


「引き継ぎ、私の後プレッシャーだね」


 何か話さないとと思い、つい冗談混じりの軽口を叩いてみる。


「別に」


 相変わらず俯きがちの花森。声も小さい。

 いつもみたいに生意気に突っかかってこないのが、寂しい。


 次の商談まで時間があったから、私はコンビニに車を停めた。明るく声をかける。


「花森さん、何かいる?」

「大丈夫、です」


 軽く作り笑い。相変わらずの伏し目。

 やはり明らかに元気がない。朝からこの調子だ。心ここにあらずといった様子。


 いつもなら「じゃあアイスカフェラテのLで」「シュークリームとFチキンで」「浅海さんの奢りで。当たり前じゃないですか」とか矢継ぎ早に遠慮なく頼んでくるのに。しかも座席にふんぞり返って。


 遠慮なんか、しないでよ。

 そう思ってしまう。


「花森さん」

「はい」


 こちらを伏し目がちに向いた顔が、また愛らしい。なんだこれ。

 今なら言えるかも。


「あのさ——」


 ブーブーブー。

 バイブ音。花森の営業用スマホだった。


「あ、五菱商事さん。ちょっとすみません」


 そう言って電話に出る。


 花森が商談の話をしている。電話対応している花森の声、プロの声だ。普段と声色が違う。

 こういうところ、意外とちゃんとしてる。

 落ち着いた電話対応に、成長したな、なんて感慨深くなる。


「——はい、はい。承知しました。よろしくお願いします」


 そう言って通話を終える。そしてチラッとこちらを見た。その目がまた、何か言いたげで。でも何も言わなくて。

 目が合った瞬間、また目線が泳ぎ、逸らされる。

 俯いて花森が言う。


「何でした?さっきの」


「あ、えっと、そう。私ね——」


 ブーブーブー。今度は私のスマホが鳴る。

 なんなの、もう。軽くイラついた。

 営業部長からだった。仕方ない。出るしかない。


「——はい、戻ったら改めて説明しますね。よろしくお願いします」


 通話を終える。既存先についての質問だったが思ったより長引いてしまった。営業部長との電話はいつも長い。


 そうこうしているうちに腕時計を見るとアポイントの時間が迫っている。


「ごめん、電話、長くなっちゃって」


 花森を見ると、彼女はシートベルトを外して、バッグを肩にかける。

 そして切なげな表情で言った。


「もう時間ですね。行きましょ」


 花森は先に車を降りて、静かにドアを閉めた。


 ああ、また告白失敗だ。もどかしい。もどかしすぎる。

 タイミングの神様、私に厳しすぎません?


 花森の背中を見ながら、私は思った。


 シリコンバレーに行くまで、あと二週間。

 二人きりの時間も、あと二週間。

 この想いを伝えられる時間は、もうそれほど残っていない。


 伝えたら、何か変わるんだろうか。

 花森も同じ気持ちなんだろうか。

 正直、分からない。私の一方通行かもしれない。


 でも伝えたい。伝えないと。

 その気持ちだけが前のめりで焦っていた。

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