第41話 ここ、そういう場所なんですけど?

 その後もなんだかんだと話は続いた。

 お互いの趣味の話、仕事の話、営業事務課の宮下課長の話、花森の過去の元彼の話。

 話が盛り上がったタイミングで二軒目に移動した。


 時刻は午後十一時を回っている。

 店内は金曜の夜を楽しむ人々で賑わっていて、私と花森はまだカウンター席に並んで座っていた。


「浅海さん、顔真っ赤ですけど大丈夫ですか?」

「花森さんだって」


 花森の頬は桜色に染まって、いつもこちらを睨んでくる生意気な目つきが少し潤んでいる。

 ほてった顔。潤った唇。艶やかな空気を纏った花森は、普段の三割増しで色っぽい。


 ダメだ。変な目で見ちゃダメだ。


「浅海さん」

「え?」

「舐め回すように見ないでもらっていいですか」

「見てない」

「思いっきり見てましたけど」


 花森が目を細めて笑う。垂れた目尻がかわいい。その笑顔にまたドクンと心臓が跳ねた。


 私もかなり酔っていた。世界が少しふわふわしていて、花森との距離感がよく分からない。

 近い。肩が触れてる。太ももも触れてる。柔らかい。お互いの酔いのせいか、熱を帯びている。


 店内の時計を見た。終電まであと二十分だ。


 私は気づいていた。このまま黙っていれば、終電を逃す。そうなったら、どうなるか。

 終電を逃した後のことも、少し、いやかなり想像してしまった。


 想像だけで心臓が破裂しそうになるほどドクンドクンと鳴る。


 でも、ダメだ。ダメだよね。

 こんな気持ちになるのはお酒のせいだ。お酒の勢いでなんてダメだ。明日起きたら絶対後悔する。

 花森との関係を壊したくない。

 それに第一、花森がそんな誘いに応じるわけがない。


「……そろそろ、帰ろうか」


 理性がちゃんと仕事した。

 私が言うと、花森は「え」という顔をした。


 少し、寂しそうな顔。いや気のせい気のせい。

 一瞬だけ、唇が何か言いかけるように動いた——けれど結局何も言わずに。

 代わりに口角を上げて、こちらを軽く横目で見てこう言った。


「そうですね。浅海さん年だから。次の日に響きますし」

「ほら、またそうやって人を年寄り扱いして」


 花森はクスッと笑う。私もつられて笑った。

 私たちは荷物をまとめてお会計をして、居酒屋を後にした。


 ***


 外はまだ肌寒い。


「あっ」

「わ、大丈夫?」


 花森がふいにふらついた。

 咄嗟に手を伸ばすと、花森が私の腕に掴まった。

 柔らかい。

 胸が、腕に当たってる。


「やっぱり酔ってるじゃん」

「浅海さんのせいです」

「私のせい?」

「浅海さんがどんどん飲ませるから」

「飲ませてないよ」

「飲ませました。アルハラです、アルハラ」


 花森はこちらを冗談ぽく睨んで私の腕から離れようとして——また少しふらついた。


「あ、やっぱり無理かも」


 そう言って、今度は遠慮がちに、でもしっかりと私の右腕を両手で掴む。

 何も聞いてないのに、言い訳するように付け加える。


「靴のヒールが高くて。酔うとバランス取りにくいんです」


 そう言いながら、ぎゅっと寄りかかってくる。二の腕に柔らかい感触。ダメだ。意識しちゃダメだ。


 駅までの道を二人歩く。

 よりにもよって、ここはラブホテル街だった。


 ネオンが煌々と光る建物が並ぶ通り。目の前を、腰に手を回し合ったカップルが笑いながら通り過ぎていく。

 少し先では、男性に手を引かれた女性が恥ずかしそうに俯きながらホテルの入り口に消えていく。


 街灯の薄暗い光の中、抱き合ったまま動かないカップルもいる。熱っぽい雰囲気が夜の空気に溶け込んでいる。


 女二人で歩くには気まずすぎるロケーション。


 話題を探そうと、気まずさから視線をあちこち泳がせる。

 右手に見えるホテルの看板——『HOTEL 考えるな感じろ』。

 目を逸らして左を向くと——『ホテル ピロートーク御殿』。

 さらに前方には——『HOTEL Night Recipe』。

 どこを見てもこうだ。やけにインパクトのあるホテルの名前ばかりが目に飛び込んでくる。


 花森も気づいている。ここがどんなところか。

 気づいてるくせに、腕を離さない。それどころか、また少し力を込めて抱きついてくる。​​​​​​​​​​​​​​​​


 沈黙が気まずくて、何か話さないとと思って私は慌てて口を開いた。


「あ、明日、燃えるゴミの日だっけ?」

「知りませんけど」

「いや、なんとなく気になって……」

「なんで今その話題なんですか」


 完全に墓穴を掘った。花森がふっと苦笑い。呆れたような、冷たい視線が痛い。

 それでも花森は、私の腕を離さない。


「……浅海さん」

「な、何?」

「ここ、"そういうところ"ですけど。分かってて通ってます?」

「こ、これが駅まで最短ルートだから」

「ふぅん。てっきりムラムラして連れ込む気かなって思いましたけど」


 花森が冗談っぽくニヤニヤして言う。

 また人聞きの悪いことを。

 また隣のホテルに、寄り添ったカップルが入っていくのが見えた。男性が女性の腰に手を回している。女性は嬉しそうに笑っている。


 空気が、妙に生々しい。夜の、大人の雰囲気。

 気まずさを紛らわせようと、また口が勝手に動いた。


「あ、あの、明日の天気予報見た?晴れるらしいよ」

「…………」


 花森が完全に呆れた顔で私を見上げる。


「浅海さん、さっきから何なんですか」

「いや、その……」

「天気の話とかゴミの話とか。なんか意識してます?」

「しっ、してない」

「嘘つき」


 花森が少しだけ笑う。そして、私の腕にさらにぴったりと身を寄せてくる。


 沈黙。

 ヒールの音だけが響く。


 お互いに何を話せばいいか分からない。でも花森は腕を離さない。私も、離してほしくない。

 もうすぐラブホ街を抜けられる。もう少し歩けば駅だ。


 少しホッとした、その瞬間。



 花森の足が止まった。

 ふと、花森の腕が離れる。


「え?どうしたの、花森さん」


「……浅海さん」


 花森が顔を上げた。

 黒目がちに潤んだ目。少し開いた唇。ほてった頬。


「え?」


「あの日の続き……」


「……あの日?」


 何の話?え?え?何のこと?

 頭が回らない。

 酔いのせいで思考が追いつかない。


「あの日の」


 花森が一歩近づく。

 距離がゼロになる。上目遣い。目が潤んでいる。



 そして、耳元で囁いた。



「キスの続き、します?」



「……えっ?」



 ざわめいていたネオン街の喧騒の音が一気に遠のくのを感じた。​​​​​​​​​​​​​​​​

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