第26話 ごめんねが言えなくて

 無事に花森から借りたスカートを履いた。


 普段履かないフレアスカート。

 というか、最後に履いたのはいつだろう。学生時代?

 普段パンツスーツしか履かないからスースーする。


 鏡で確認するも、違和感しかない。


 でも、下着の露出を守ってくれる存在がありがたい。本当にありがたい。このスカートがなければ、私は今頃犯罪者だった。


***


「……では、来月一日からのご契約ということで、どうぞよろしくお願いします。」

「はい、よろしく」


 恰幅のいい取締役にお辞儀をして会議室を後にする。

 大口先との商談が無事に受注にクローズできた。


 商談が終わって会議室を出た瞬間、花森と目が合った。


「やりましたね」

「うん、やったね」


 私と花森は少し笑い合った。


 本当に良かった。

 パンツスーツが裂けるという大事件はあったが、結果オーライだ。

 きっと私の悪運はそこで使い果たしたのだろう。


***


 夜の商談先との会食を済ませ、私たちはホテルに向かって歩き始めた。

 新幹線でのやりとりぶりに二人っきりになった。


 街灯が照らす夜道。隣を歩く花森。


 なんか、気まずい。

 時々、視線が合う。

 そして、お互いにすぐに逸らす。


 何を話したらいいか分からない。

 コツコツとヒールの足音だけが響く。


「あの、本当にありがとね」


 私はぽつりと言葉を落とした。


「花森さんいなかったら、今日終わってたよ」

「……別に」


 花森は俯きながら素っ気なく答えた。


「いや、本当に助かったよ。スカートもそうだし、商談もフォローしてくれたし」

「仕事なんで」


 やっぱりちょっと、花森の声が冷たい。

 まだ、怒ってるのかな。


「……うん」


 仲直りはした。

 新幹線で笑い合った。

 でも、まだ何かが引っかかっている。


 それが何なのか、心の中では分かっていた。

 私、ちゃんと謝ってない。咄嗟にずるい嘘をついたこと。

 あの嘘が、花森を傷つけてしまったんだ。


 「ごめん」って言ったけど、あれは謝罪じゃなかった。

 ただその場をやり過ごすための言い訳だった。

 ちゃんと謝りたい。でも、どう言えばいいんだろう。

 言葉が、喉に詰まる。


 そうしているうちにホテルに着いた。


 エレベーターに乗る。二人だけの空間。

 気まずい空気と沈黙が痛い。


 エレベーターが三階に着く。扉が開いて、廊下に出る。

 私の部屋は302号室。花森の部屋は303号室。隣の部屋だ。


「じゃあ、おやすみ」

「おやすみなさい」


 花森は部屋の中に入っていった。ドアがパタリと閉まる。

 ドアが閉まる音が、やけに大きく聞こえた。


 狭いシングルルームだ。これまた狭いシングルベッドが一つに小さなデスク。

 窓の外には、夜の街の明かりが見える。


 シャワーを浴びて、パジャマに着替え、ベッドに横になって、テレビをつけた。


 深夜のバラエティ番組が流れている。芸人が何か叫んでいる。大きい笑い声。でも、頭に入ってこない。


 花森、もう寝たかな。

 それとも、まだ起きてるかな。


 出張前に、冗談で言ってた会話を思い出す。


『朝から晩までべったりってことは…、お風呂も一緒ってことですよね?』

『後輩と普通にお風呂入るだけなのに、何想像してたんですか?』


 その時は何気ない冗談のやりとりだった。

 でも、今思い出すと、胸がざわざわする。


 ……お風呂。

 今、お風呂入ってるのかな。


 そう思った瞬間、頭の中に映像が浮かんでしまった。


 シャワーを浴びる花森。

 濡れた髪。

 湯気に包まれた肌。


「……っ」


 私は頭を振った。

 何考えてんの、私。

 気持ち悪い。まじで気持ち悪い。


 でも、一度浮かんだ映像は、なかなか消えてくれなかった。


 花森の、白い肌。

 細い肩。丸いお尻。そして……


 ぅあああっ、もうだめだ。


 私は枕に顔を埋めた。

 別の部屋で寝るのは当然だ。


 社会人で、ただの先輩後輩。

 恋人でも、親しい友人でもない。

 ビジネスパートナー。

 それ以上でも、それ以下でもないことは分かってる。

 分かってるのに。


 なんで、こんなに寂しいんだろう。

 もっと話したいと思ってしまう。

 この感覚、なんだろう。


 テレビから流れる深夜バラエティを眺めながら、意識がとろけていく。

 瞼が重くなってきた。

 時計の針は、午前一時を回ろうとしていた。


 だめだちょっと夜更かししちゃった。

 明日も早いし、そろそろ寝ないと——と思った、その時だった。



 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン!!!!!!!!



「……え!?は!?何!?」


 何ごと!?

 火事!?

 もしかして不審者!?

 深夜一時に何が起きた!?


 寝ぼけ頭のまま、反射的にバッと起き上がる。


 鳴りやまないチャイム。誰だよこんな時間に。


 いや、私が何かした?

 うるさかった?

 テレビの音、大きすぎた?

 いやそれにしてもこんな乱暴に深夜にチャイム連打するとか、どんな神経してるんだ。


 半分イライラ、半分焦りながらドアを開けた瞬間、目に飛び込んできたのは——


 半泣きの花森。


 髪は乱れ、顔面蒼白。

 ナイトランジェリー。

 胸元がゆるく開いた、薄いサテン地のキャミソールに、上からカーディガンを羽織っている。

 …思わず胸元のほくろに目が行ってしまう。

 いやいや、そんなことはどうでもよくて。



「……へ、どしたの?」


 私の声が、間抜けに響いた。


「ゴ、ゴキブリがっ!!部屋に出ましたっ!!!!」


 まるで戦地から帰還した人みたいな顔してる。


 完全にパニック状態。目は潤んでいて、今にも泣き出しそうだ。

 お昼の冷たい表情とは別人のようだ。


「浅海さん、部屋変わってください!!」

「いやいやいや、無理無理無理」


 私は即答した。


「なんでですか!?」

「なんでって、私だって嫌だよゴキブリいる部屋で寝るの」

「じゃあ浅海さん退治してくださいよ!!」

「無理だよ!!私も苦手なんだから」

「えー、なんでそんな見かけ倒しなんですか!?」

「うるさいな!苦手なもんは苦手なの!!」

「もー、全然ダメじゃないですか!田村さんがいたら退治してくれるのに!田村さ〜ん」

「ちょっと静かに!今そんなこと言ってもしょうがないでしょ」


「あのゴキブリ、絶対ボスクラスです!!」

「ボスクラスって何!?」

「大きかったんです!十センチはありました!!」

「ひぃいぃいぃ」

「それでこっちに飛んできたんですぅぅ!!」

「ひいいぃぃい!いや私、絶対無理だから!ごめん!!おやすみっっ」


 私は逃げるようにドアを閉めようとするが、花森はドアをこじ開けてくる。


「かわいい後輩を見捨てる気ですか!?」

「こんな時だけかわいこぶんな!」

「じゃあどうしたらいいんですかぁぁぁ!!」


「フ、フロントの人呼んだら?」

「このホテル、フロント二十四時で閉まるって書いてませんでした?

 電話しても誰も出なかったんですよぉぉ!」


「……うわ、本当だ」


 私は俯いた。


 絶望の再来。


 沈黙。

 お互いに見つめ合う。


 花森の目が、潤んでいる。そんな瞳で上目遣いでこちらを見てくる。

 普段は睨むような冷たい目なのに、今は完全に助けを求める子犬の目だ。


 そして同時にため息。


 しばらく考えた後、俯きがちに花森が小さく言った。


「……じゃあ、わたしもこっちで寝ていいですか?」


「……え?」


 思考が停止した。

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