第七章 嫌いな後輩と宿泊出張
第24話 出張一日目、地獄は続く
「おはよー!花森さん、早いね!」
その姿から放たれるダークオーラで、遠目からでも花森だとすぐに分かった。
できるだけ明るく、できるだけ爽やかに。満面の笑みで改札前に立つ人影に声をかけた。
気まずいのは分かってる。でもこのまま一日中重い空気で過ごすなんて無理なのだ。
だから私なりに頑張って、普段の三割増しくらいのテンションで挨拶した。
「……」
返ってきたのは、軽い会釈と沈黙だった。
視線すら合わせてもらえない。花森はスマホを見つめたまま、私の存在を完全にスルーだ。
え?マジで無視?
つい数日前まで、普通に会話をしていたのに。
こんな時、以前の花森なら「遅いですよ」とか憎まれ口を叩いてきたことだろう。
「じゃ、新幹線のホーム行こっか」
私の声も虚しく響く。花森はスーツケースを引きずって、さっさと歩き出した。
思わず少しイラっとしてしまう。
確かに私が悪かったのは認める。でもここまで無視されるほどのことをしたのだろうか。
大人なんだからさ、そっちからもちょっとは歩み寄ってくれてもいいでしょうよ。
こっちだって頑張って挨拶したのに。
背中を向けたまま歩く花森の後ろ姿を見つめながら、私は小さくため息をついた。
新幹線の指定席に隣り合って座る。
窓側の花森、通路側の私。物理的な距離は近いのに、心理的な距離は東京から大阪よりも遠い気がする。
「あのさ、花森さん——」
話しかけようとした瞬間、花森はイヤホンを装着した。
完全なる会話のシャットダウンだ。
おいおいマジかよ。ここまでするかい普通。
私は諦めて花森と反対側の窓の外を眺めた。
動き出す新幹線。流れていく景色。
漂ってくる冷気。これはエアコンじゃない、花森から出てる冷気だ。
お互い、空気だ。完全に空気として扱い合っている。まあ、私は話しかけようとしたのに、シャットアウトされたんだけど。
窓に映る花森の横顔が見えた。無表情で、何を考えているのか全く分からない。
はあ。この出張、本当に先が思いやられる。
「ねえ、お菓子、いる?」
一時間ほど経って、私は声をかけてみた。バッグから取り出したのは、駅の売店で買ったスナック菓子だ。
花森が前に「ほんとは甘いの苦手なんで」って言ってたのを、なんとなく覚えてた。だから塩味のやつを選んだ。
花森はゆっくりとイヤホンを片方だけ外し、私の方を見た。その目が、冷たい。
「……いらないです」
シンプルなお断り。めちゃくちゃ迷惑そうな顔だった。
は?お菓子勧めただけでそんな顔する?別に毒入りじゃないんだけど。
胸の奥がチクリと痛んだ。これが拒絶されるってことか。
花森の生意気な物言いは平気だった。むしろ、それがあるから会話が弾んだ。
でも、この無関心は違う。完全に私を遮断してる。
こんなに冷たくされたの、初めてかもしれない。ここまで人にあからさまに嫌われることあるんだって思うと、なんだか息苦しくなってきた。
「…ちょっと私、お手洗い行ってくるね」
花森が聞いてるわけでもないのに謎に宣言を残して私は席を立った。
とにかくこの窒息しそうな空気から離れたかったのだ。
花森から放たれる冷気と、冷たい視線に耐えられなかった。
立ち上がる瞬間、花森の肩がほんの少しだけ動いた気がした。でも、振り返ることはできなかった。
新幹線のお手洗い。狭いが、隣のピリピリ感がないだけで呼吸が楽になる。
「はぁ……」
大きく息を吐く。
お手洗いの鏡に映る自分の顔を見つめる。少しだけ目が潤んでる。
なんで私、こんなに落ち込んでるんだろう。
ただの後輩。あざとくて男好きで、私には塩対応で、生意気で。
でも、もはやその生意気さが心地よかった。
言い合いながら笑える関係が、好きだったんだ。
そう思ってたのは私だけだったのかな。
もう前の関係には戻れないのかな。
胸がズキンズキンと痛む。
ふぅ、と息をついて立ち上がり、パンツスーツを履いた瞬間だった。
メリメリメリッッ!!ビリビリビリッ!!!
「え」
布が裂ける音。かなり派手な音だった。お尻の方から。正確にはパンツスーツのお尻部分からだ。
恐る恐る、鏡で確認する。
パンツスーツが、びっくりするぐらい裂けている。お尻の部分が、見事に真っ二つだ。
裂け目から見えているのは下着。
しかも今日に限って、なぜか選んでしまった、あの色。
…いや、やめとこう。色の話は。
このまま座席に戻ったら、下着が丸見えだ。花森に見られる。
というか車内の他の人に見られる可能性がある。
どうしよう。
ていうか、なんで今日なの。よりによって、花森と最悪の空気で出張してる日に。
神様、今日の私に試練多すぎないか?
まず花森に完全無視され、次はパンツスーツ破壊で下着丸出しって。
私は鏡の中の自分を見た。
パンツスーツのお尻部分に手を当てて、必死に隠そうとする滑稽な姿。
最悪だ。
今日一日、まだ始まったばかりなのに。
頭の中で、花森の冷たい顔が何度もリプレイされる。
あの表情で、この状況を説明したら。想像しただけで胃が痛い。
あの冷たい目で平然と他人のフリをされそうで、怖い。
さっきまでの切ない気持ちは、一気に吹き飛んだ。
今は別の意味で泣きそうだ。
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