役立たずと追放される僕、調合スキルの最大効率で逆転します!

まけない犬

竜の咆哮団

 僕はアムス。【竜の咆哮団】の調合師だ。


 ここはケーツ大陸、アーナ王国が誇る第一都市――冒険者ギルド【アックス&スペルズ】。

 僕はいま、そこで――。


「アムス。俺のパーティーにお前は必要ない。出ていけ」


 追放された。


「えっ……カ、カイル? 何を言って……冗談、だろ?」


 状況が飲み込めない。狼狽する僕に、カイルは言った。


「冗談に聞こえたか?」


 四人がけの丸テーブルに、僕らは座っていた。

 アイアンオーク製の素朴な造りで、色は塗られていない。

 木目の模様が、やけに鮮やかに見える。


 テーブルを挟んで僕の正面には、【亡国の聖剣】を携えた勇者カイルが座っている。


 彼の柔らかな金髪が揺れ、深海を思わせる碧眼が僕を刺すように睨みつける。

 侮蔑を隠そうともしないその表情が、冗談ではないと物語っていた。


「そんな! 待ってくれよ、カイル!」


 このギルドにおいて――いや、この都市においてナンバーワンと評される冒険者パーティ【竜の咆哮団】。

 その末席を、僕はいま、失おうとしている。


「……もう、決まったこと……」


 魔女マーリンが言った。

 いつも通り、椅子には座らず、テーブルの上に腰を下ろしている。

 行儀は悪いが、彼女はいつもそうだ。

 そして、無口な彼女が自ら口を開くのは珍しい。


 やはり……本気なのか?


「そんな……フィ、フィアナっ! キミがふたりを説得してくれっ! ヒーラーである僕はパーティーに必要だろう!?」


「……」


 左から見て、マーリン、カイル、フィアナの順に並んでいる。


 フィアナは何も言わない。言ってくれない。

 口を開く代わりに僕をちらりと見やり、そのまま目を伏せた。


「フィアナ……?」


 なぜ? どうして? キミも……なのか?


「おい、見苦しいぞアムス。このパーティーのヒーラーはフィアナだ。聖女だぞ? 調合師に過ぎないお前がヒーラーを名乗るな」


「だ、だけど……僕の回復ポーションは役に――」


「くどいっ! 大体オマエは戦闘もろくにできないだろう! マーリンの攻撃魔法は敵を焼き尽くす! フィアナは回復だけじゃなく、対アンデッドで無敵だ! お前は何ができる? 言ってみろ!」


 僕は戦う術を持たない。

 パワーもスピードも並以下だ。武器も扱えない……調合スキルだけ……それが僕のすべてだ。


「勇者である俺はどうだ!? 何ができると思うか言ってみろ?」


「……キ、キミは……なんでもできる……」


 僕と違って――何でもだ。


 攻撃も防御も、パーティーの指揮も、その気になればバフも回復もできるだろう。

 人との交渉だってそうだ。

 自信満々で、いつだって尊大で、でも誰もが彼に好意を抱く。


 だって彼は、“勇者”だから。


「話は終わりだ。消えな」


 カイルが冷たく言い放った。


「だけど、他に行く当てなんて……」


 白い……頭の中が真っ白だ……。

 必死に言葉を絞り出す僕。カイルは鼻で笑った。


「知るかっ、それはオマエの問題だろ?」


 僕の問題……?

 そうか、悪いのは僕……なのか?


 そういえば、ここはどこだっけ?

 何をしていたんだ?


 そうだ、ここはギルドで……目の前……テーブルの上には金貨が無造作に置かれている。

 クエストの報酬……そうだ、今日のひと仕事を終えて、報酬の山分けの最中だった……。


 僕は金貨に手を伸ばした。


「おっと? なんのつもりだ?」


 僕の手をせき止めるシャッターのように、カイルの腕が金貨を覆った。


「……僕の取り分を……」


 彼が五分、マーリンとフィアナが二分ずつ、そして僕が一分。

 たったそれだけ、それが僕の価値。


「ふざけるな。お荷物が分け前だと? おい、マーリン!」


「……悪いわね……」


 漆黒のグローブに包まれた手が、僕の金貨袋を掴んだ。

 しなやかなマーリンの指先からは想像できない力で、乱暴にむしり取られた。


「な、何を……?」


「これは迷惑料だ。これまで散々迷惑かけられたからな」


 カイルはマーリンから金貨袋を受け取ると、そう言った。


「でも、それだと僕は生活が……!」


 少ない取り分、薬の素材も自腹だ。

 僕はいつも金欠で、毎月の家賃の支払いに追われている。


 というか、最近の物価向上で家計は火の車だ。

 ギルドに近い住まいを引き払って、遠くても安い場所に引っ越しを考えていたほどだ。


 その金貨袋は……僕の死活問題そのものだった。


「だから、オマエの問題だ。知るかよ。さっさと行け! 野垂れ死んだら手紙でもくれよ! はははっ!」


 カイルの無慈悲な笑いがギルドに響いた。

 辺りの喧騒をかき消すような、大きくて冷たい笑い。


「……(クス)……」


 マーリンも冷たく笑った。


「……」


 フィアナの表情は見えない。

 でも、きっと嘲笑っているのだろう。


 どうしよう。


 どうすれば。


 いろいろな想いが頭の中をぐるぐると駆け回る。

 まるで感情のダンスパーティーだ。


 僕は身動きできないまま固まった。

 石化のスペルをかけられたみたいに、カチカチだ。


 喉はカラカラで、でも真っ白だった頭は次第に色を取り戻してきている。


 よしっ。だったらやることはひとつだっ。


「断わる!」


 僕は三人を――勇者カイルを見つめ、叫んだ。


「はぁ!? なんでだよ!」


 カイルが椅子を蹴り、声を荒げた。


「このパーティーには僕が必要だからだよ!」


「なにぃ!?」


 カイルの眉が吊り上がる。


「だってそうだろ? フィアナは聖女でヒーラーだと言うけど、いつも前衛まえに出てるじゃないか! 回復してるの見たことないよ!」


 僕が指さす先、テーブル脇に立てかけられたメイスは、赤黒く変色していた。


「……そ、そんなっ! わたくしは……そんなつもりは……」


 フィアナが小さく身をすくめる。

 そして、天に向かって十字を切っている。


「つもりはないだろうね! 殴るのに夢中すぎて! 敵が肉片になってもやめないくらいに夢中だもん!」


「ば、馬鹿野郎! フィアナもお前がいなくなれば、自分の役割をこなすに決まってんだろ! なぁフィアナ! そうだよな?」


「……」


 カイルが怒鳴り、フィアナの名を呼ぶ。だが彼女は黙ったままだった。


「フィアナ?」

 

 カイルが不安げに声をかける。だがフィアナは答えず、視線を逸らすように天井を見上げていた。


「マーリンもだぞ!」


「……はぁ?……」


 マーリンが不機嫌そうにため息をついた。


「魔法の加減を知らないから、いつもカイルを巻き込んでるじゃないか!」


「……くっ!……」


 マーリンの頬がぴくりと動く。唇を噛みしめる。


「彼が勇者じゃなきゃ即死してるぞ!?」


「おいやめろ! マーリンもお前がいなくなれば、丁寧に魔法を使うに決まってるだろ! なぁマーリン! そうだよな!?」


「……」


 カイルが机を叩き、反論する。だが彼女は黙ったままだった。


「マーリン!?」


 カイルが不安げに声をかける。だがマーリンは答えず、視線を逸らすように天井を見上げていた。


「それにカイル! キミもだよ!」


 僕の声が震える。勇者である彼にこんなことを言う日がくるなんて。


「はぁ!? 何を言ってんだ? 俺は完璧だ。弱点なんてない!」


 カイルが胸を張る。その態度に僕は食い下がった。


「わかってる! キミは勇者だ! それは変えようがない! でも、その聖剣だよ!」


「はっ?」


「それ、聖剣なんて呼ばれてるけど、一国を滅ぼした邪剣だろ?」


「……」


 カイルが一瞬、言葉を失う。


「僕は一応、支援職だからね。解析アナライズのスキルでステータスのチェックができるんだ。キミのステータスは呪われすぎている! 本来の半分の実力も出せていないんだよ! 気づいてるかい!」


「何をバカなことを……俺は負けたことねーぞ……!」


 声を張り上げるが、どこか焦りを感じる。

 しかし、彼が無敗なのは事実だ。


「元が強すぎるからね! でも怪我が絶えない! 怪我が絶えないのにフィアナは回復しない!」


「あああっ! 主よっ! お許しください!」


 フィアナが両手を組み、祈るように叫ぶ。


「そんなキミを……君たちを回復してるの誰だよ! 僕でしょ!? それをなんで追放するんだよ! 納得できない!」


 僕の声がギルドに響いた。


「うるさい! もう決めたことだ! 従えっ!」


 カイルが怒号を返す。


「断わるっ!」


 僕も負けじと叫ぶ。


「拒否権はない!」


 カイルが拒絶する。


「拒否権ある!」


 その拒絶を僕は拒絶する。


「ねぇよ!」


「ある!」


「ないって!」


「ある!」


「ない!!」


 カイルと僕の言い争いは百かそこら続いた。

 これじゃあ、埒が明かない。


 こんな無駄な言い争いは不毛だ。


「そんなに追放したいなら、納得のいく答えを聞かせてくれ。それまで僕はここを動かないっ!」


 断固として動かない。

 理由を聞くまでは、梃子テコでもオークでも僕を動かすことはできない。


「くっ……」


 カイルが苦悶の声を漏らす。


「……カイル……」


 マーリンが小さく彼の名を呼んだ。


「……カイル様」


 フィアナも不安げに手を握りしめる。


 カイルの表情が曇った。

 その顔をマーリンとフィアナが心配そうに見つめている。


「なんで…………だよ」


 沈黙の中、カイルがぽつりと呟いた。

 しかし、聞き取れなかった。


「何? 聞こえないけど?」


 僕は首をかしげる。


 もういちど言ってくれ。

 モゴモゴしてて聞き取れなかったんだ。


「だから……なんで……だよ」


 聞こえない。ぜんぜん聞こえない。


「聞こえないよ? もっとハッキリと言ってくれる?」


 カイルの体がプルプルと揺れている。

 顔はオーガだ。色も表情も、真っ赤な彼らによく似ている。


「なんで“座薬”なんだよ!!」


 カイルの絶叫が、ギルド内に雷のように落ちた。

 一瞬、空気が止まった。


「ん?」


 僕はきょとんとした。


「なんで、お前の回復薬は座薬なんだよ!」


 カイルは何を言っているんだ?


「そんなの効率が良いからに決まってるだろ?」


 僕が当然のように答えると、カイルのこめかみがピクピクと跳ねた。


 本当に何を言っているんだ?

 それ以外に、何の理由があるというんだ?


「おまっ……! 戦闘中に尻を差し出す俺らの身にもなってみろっ!」


 カイルが叫ぶ。

 その言葉に、マーリンは顔を真っ赤にして背を向けた。

 フィアナはますます顔を伏せ、今にもテーブルに額をつけそうな勢いだ。


「直腸投与は理にかなっているだろ?」


 僕は真剣に返す。


「は……直ちょ?」


 カイルが眉をひそめる。


 そうか、彼は天才だ。頭も良い。だが、調合は僕の専門分野だ。

 きちんとした説明が必要なのだろう。


 そうすれば彼は理解してくれる筈だ。


「いわゆるポーション瓶などによる経口投与は、吸収までに十五分はかかる。そこから回復は始まる。一分一秒を争う戦闘で、それは致命的だよ。直腸投与なら三分以内だ。胃を通さない分、即効性が高いし、魔力剤の成分が熱変性しない。理論的に最速かつ、最大限の効果が得られる」


 僕は静かに言い切った。

 これは、常識中の常識だ。


「ばかやろう! 飲む方が簡単だろうがっ! 戦闘中だぞ!?」


「そうは言うけどね? 頭部へのダメージは危険だ。防御を固める必要がある。具体的にはヘルムだ。それも顔全体を覆うフルヘルムが良い。そうするとどうなると思う?」


「どうなる――」


 カイルを遮り、僕はさらに言葉を続ける。


「口が塞がっているから経口投与は難しいだろ? ならば直腸投与――当然の帰結だよ」


「アホか! 尻を出す方が大変だろうがっ!」


「ふむ……フルヘルムよりズボンを下ろす方が簡単だという意見には賛同できない。けれど、更に改善できる点はある。それについては僕もそう思っていた」


 まさか、その話がここで、このタイミングで必要になるとは思わなかった。

 だが、鉄は熱いうちに打て。

 誰でも知っている先人の知恵を借りよう。


「あっ?」


「Oバック」


「なに?」


 カイルの動きが止まる。顔の筋肉がピクリと動いた。


「今後はOバックの着用をパーティールールとするのはどうだろうか?」


「オマエは何なんだよっ! いまはオマエの追放の話をしてるんだぞ!?」


 たしかにっ! 僕は一瞬で我に返る。


「……すまない。急に過ぎたね。後日、資料をまとめようと思う。可能な限り数値は用意するし、KPTの設計も――」


「プレゼンしようとすんな!」


 カイルの怒鳴り声が響く。


「いや、しかし……カイルはブリーフだし、マーリンはガーターベルトだし……脱がせにくいのは事実としてあるんだ。せめて、フィアナのようにTバックにしてくれれば――」


「アムスさん!」


 僕の言葉を遮るように、フィアナが勢いよく立ち上がった。

 何故だか分からないが、顔が真っ赤だ。声も震えている。


「フィアナ、どうしたんだい?」


 思わず問い返す。もしかして……泣いていたのか……?


「違うんです! あの……あの下着には深い意味はなくて……あ、あの! 普通の下着だと修道服に下着のラインが浮いちゃうから……!」


 もじもじと、フィアナは右の人差し指と左の人差し指をすり合わせながら囁いた。

 視線は定まらず、明後日の報告に向けている。


 フィアナはなぜこんなにも慌てているのだろうか?


「そういう理由だったの? 僕はてっきりカイルの趣味なのかと。そして、そのことは僕には関係ないよ。むしろ、直腸投与しやすくてありがた――」


「なんで私の下着の話にカイルさんが出てくるんですか!?」


 またも僕の声を遮り、フィアナが声を荒げた。

 控えめで慎ましい彼女が、こんな行動に出るのは珍しい。


「そうだぞ、アムス。俺とフィアナはそんな関係じゃあない。フィアナは聖女だぞ? 不敬だぞ、その発想は……」


 そうなのか?

 僕はてっきり……。


 確かにカイルの言う通りだ。

 彼はイケメンだ。男の僕から見ても眩しい。

 口は悪いが、時折見せる少年のような笑顔。

 僕ですら、ドキドキしてしまうんだ。


 だから、もしや……そう思ってしまった。

 だけど、たしかにうがった考えだった。


「すまない。そんな訳なかったよな。キミには故郷に残してきた幼馴染がいるんだもんな」


 僕はカイルと同郷だ。その娘とも会ったことがある。

 とてもおおらかで、美人……というほどでもないけど、おおらかで素敵な娘だ。

 将来、結婚するならあんなおおらかな娘がいいなと、思うくらいにおおらかだ。


「おい……そのことは今はいいだろ……」


 カイルは頭のてっぺんの髪の毛をクシャリと握り潰す。

 それから、何となくバツが悪そうにボヤいた。

 彼はいつもそうだ。あの娘の話になると、いつも恥ずかしそうにしている。


 毎週のように手紙を送りあっていることを、僕は知っている。

 もし彼がそのことに気づいたら、どんな顔をするんだろう?


「アムスさん、わたくしの大事なところは誰にも見せたことはないんです……」


 フィアナが先ほどと変わらず、もじもじもじもじ、もじもじもじもじ、しながら言った。

 ちょっと、言ってる意味は理解できないが。


「アムスさん以外には……」


 フィアナの声がしぼむ。

 大事な所……? はて?

 突然なんのことだ……?


 しかし、冷静にこれまでの会話の流れから察するに――。


「肛門のこと?」


「「「アムスっ!」」」


 三人の声がハモった。


「確かに肛門は人体にとって大事な部分だ。恥ずかしい気持ちも理解できる。けれど、僕は調合師で、医療行為として必要なことをしているんだ。恥ずかしく感じる必要はない」


 たしかに僕も配慮が足りなかったかもしれない。

 投薬のためとはいえ、彼女の衣類を捲るまえに伝えるべきだったかもしれない。

 次からはそうしよう。


「もう! そういうことじゃありません!」


「えっ?」


 そういうことでは……ない?


「それに……アムスさんには後ろだけじゃなく……別の所も……見られて……」


 フィアナの紅潮した頬がさらに朱に染まる。

 視線は泳ぎ、声が震えている。

 まるで何かをこらえるように。


「性器のこと?」


「「「アムスっ!」」」


 三人の声がハモった。


 僕は「ふぅ」と、ため息をひとつ落とす。


「だから、恥ずかしがる必要はないよフィアナ。あくまでも治療。医療行為なんだから、キミの尊厳は少しも傷つけられてはいない」


「そんなっ……!」


 やはり、今後は気をつけないと。

 彼女の――マーリンに対してもそうだが、女の子の下着を剥ぐときはしっかりと説明を……。


 僕の視線がマーリンを追ったとき、マーリンも僕を見ていた。

 視線が交わると同時に、彼女は腕を組み、心底呆れた表情を浮かべる。


「……ひとの心ないの?……」


 その冷たい声に、場が凍りつく。

 フィアナがテーブルに突っ伏し、「ワー」と声をあげて泣き出した。


「もうお嫁にいけませんっ! 責任とってくださいっ!」


 お嫁……?

 何を言ってるんだろう?


 体の部位を見られたことと、婚姻に何の因果が?


 それに、彼女は“聖女”だ。主と契りを交わした聖職者。

 結婚はしたくてもできないだろう。


 しかし……「責任」か……。

 彼女がそういうのなら、責任は取らないとな。


「わかった。フィアナ、責任を取るよ」


「なに!?」


 カイルが椅子をガタリと揺らす。


「……まじ……?」


 マーリンも腕を組んだまま、身を乗り出した。


 ザワザワ……ザワザワ……。


 周辺のテーブルに座る冒険者たちが、小声で囁き合っている。

 すこし前から、こちらの様子をうかがっているのには気づいていた。


 パーティーの揉め事の大半は、些細なすれ違いから始まる。

 他人の揉め事ほど美味い肴はない。


 だが僕は調合師で、ヒーラーなんだ。

 傷の治療だけじゃない。メンバーのメンタルケアも仕事のうちだ。


「あ、アムスさん……本当ですか?」


 フィアナがうるうると涙を浮かべて僕を見つめる。

 流石、百年に一度の逸才と言われるだけはある。

 その金糸のような髪は光を受けてきらめき、その瞳は聖水のように澄んでいた。


「カイル、やはり僕は出ていかない。君たちを“調合スキル”で支え続ける。それが僕の“責任”だ!」


「なんでだよっ!」


「うわーんっ!」


 フィアナがまたも泣き崩れた。

 マーリンはそれを見かねたように駆け寄る。


 周囲のざわめきはさらに大きくなる。


「こいつが言ってるのはそういう責任じゃねーだろ! よく考えろっ!」


「考えているさっ! だから僕は追放されるわけにはいかない! 要は座薬が嫌なんだろっ!?」


「……ッ! お、おう……そうだ……」


「確かに最高効率は座薬なんだ。それは疑いようがない事実。しかし、キミらがそれほど嫌がるなら考慮は必要だ。それは理解した」


「おっ、おう……そうか? オマエも普通のポーション薬を調合できるよな……?」


「もちろんさ。座薬とはどうしても大きさが異なるから、分量の調整は必要だけど、そんなの基本中の基本だよ。できない訳がない」


「だったら……俺も考えなおしても――」


「しかし、ポーション瓶は太いからね……スライムオイルを調合しなきゃ、肛門への負担が……」


「尻じゃねーかっ!!」


 カイルが椅子をバタンと鳴らして立ち上がった。

 丸テーブルに両手を叩きつける。木の表面にヒビが走る音が響いた。


「尻から離れろって!」


「いや、しかし、それだと効率が……」


「効率厨かボケっ!」


 カイルがついに掴みかかってきそうな勢いで身を乗り出す。


 刹那――


「――待ってくださいっ!」


 深い森の中、澄んだ静寂に響く小鳥のさえずり。

 そう形容するしかない声が、ギルド内に響いた。


 振り向くと、隣の席でふたりの女性が立ち上がっていた。


「すみません……お話、聞かせてもらいました。アムスさん、私たちには貴方が必要です」


 ひとりはエルフの女性。

 長いエメラルド色の髪を編み込み、同じ色のローブに身を包んでいる。

 腰にはホワイトウッドの杖を提げていた。


「ボクらヒーラー探してたんだっ! この人が必要ないならボクらにくれよぉ!」


 もうひとりは、もふもふの耳と尻尾が特徴的な獣人娘。

 猫のように細いが大きな瞳、健康的に日焼けした肌がレザーアーマーの隙間から覗いている。

 獣的な特徴は抑えつつも、肌はつるつるで――人に猫が混じったような風貌だった。


「なんだオマエら? この辺りじゃ見ない顔だな……? まぁいい。今までの話が聞こえてなかったのか? 尻から回復されるんだぞ?」


 カイルは額に手を当て、半ば呆れたように吐き捨てた。


「関係ありません! ……私たちはまだ弱いから……恥ずかしいなんて言ってられないんです……頼りになる回復なら、むしろ歓迎です!」

「そうにゃ! それに今すぐに回復役が必要なんだっ! ボクらにはもうひとり仲間がいるんだよ! でもあの娘は怪我をしてるから、すぐにでもヒーラーが必要なんだよっ!」


 ふたりの少女――その強いまなざしが僕を射抜く。

 その視線は不安と、そして希望に満ちていた。


 自分たちには無限の可能性がある。何処までだっていける。

 そう信じていた、あの日の僕のように。


「お断りします」


 僕はそう答えた。


「どうして!?」

「なんでにゃ!!」


 ふたりの声が重なった。

 エルフは信じられないといった表情で、両手を胸の前に強く握りしめる。

 隣の獣人娘は尻尾を逆立て、耳をピンと立てたまま身を乗り出していた。


「おいおい、いい話じゃねーか? オマエ、行く宛がないって言ってただろ? こんなバ……素人は滅多にいないぞ? 追放されついでに助けてやれば?」


 素人……か。たしかにそうだ。


「僕は調合師だ。薬というのは単に“回復するかしないか”の話じゃない。種族によって代謝経路も、魔力の流れ方も違う。たとえば猫に人間用の風邪薬を与えれば毒になるように、同じ回復薬でも体内での分解速度や魔力の転換効率は種族ごとに違うんだ。僕の調合スキルは人間の魔力循環と生理構造に最適化されている。だから、エルフや獣人の君たちに投与しても効率は六割……いや、下手をすれば副作用の方が強く出るかもしれない。無理に合わせるのは合理的じゃない。他をあたってほしい」


「……そ、そんな……」


 エルフの顔に、美しい絶望の影が落ちた。

 どうしてそんな顔をするんだ? 募集なんて、いくらでもあるだろうに。


「ほら、向こうのカウンター。そこにリーナって娘がいる。よく気が付く、いい娘だよ。その娘に相談してみたらどうだい? メンバーをマッチングしてくれるさ」


 僕がそう言うと、ふたりはとぼとぼと店の外へ出ていった。

 その道すがら、獣人娘が中指を立てた気がしたが――気のせいだよな?


「おいっ! オマエの“居場所”が行っちまうぞ! 大丈夫なのか!?」


 カイルが妙なことを口走った。


「僕の居場所は“ココ”だよ、【竜の咆哮団】だ」


 ……それに……。


「居場所より“効率”だよ。さて、邪魔が入ったね。話を戻すけど――」


 僕の声が再び場を引き締める。

 しかし、それを遮るように――


「もう勘弁してくれっ!」


 カイルが唸りをあげた。

 怒号というより、悲鳴に近い声だった。


「【竜の咆哮団】の名はくれてやる! オマエは残れっ! 俺ら三人をパーティから追放する!」


 三人? カイル、マーリン、フィアナのことか?

 どういうことだ?


「……ちょっとカイルっ! なにを言って……!」


 魔女マーリンが声を荒げる。

 フィアナはまだしくしくと涙を流している。


「他に方法はあるか? こんなやべーやつ相手してられるかっ!」


「それは無理だよカイル」


「なんでだよっ!」


「僕ら【竜の咆哮団】のスポンサーは貴族と、そして、この国の王だよ? このパーティの顔はキミなんだよ“勇者カイル”。キミなくして【竜の咆哮団】はありえない……あの連中がそんなことを許すと思っているのかい?」


「関係あるかよっ! 尻に瓶を突っ込まれるくらいならギロチンの方がましだっ! わかったっ、コイツラは置いていくっ!」


 カイルはマーリンとフィオナに指をさした。

 目は血走り、笑っているようで笑っていなかった。


「どうだ悪くない話だろ!? 俺のタイプじゃねーけど、こんな良い女ふたり、国中のどこを探してもいないぞ! 実力も申し分ないっ! 俺なんてカスだ! ゴミクズだっ!」


「カイル様いったい何をおっしゃってっ!」


「……カイルっ! あんたウチらを売る気なの!?」


 ふむ……これは……。


「カイル。キミはいま錯乱状態にあるね? 錯乱というか、情動制御の破綻が見られる。自分自身への過小評価――インポスター症候群――いや、抑うつ的認知バイアス? すべての可能性を絞れないが。メンタルの損傷は肉体のそれよりも、深くキミを傷つける……すばやい治療が必要だ」


「おいっ! やめろアムス、もうオマエは口をひらくなっ!」


 カイルが喚く。

 しかし僕は止まらない。彼に必要なのはカウンセリングではない――薬だ。


「原因の想定は幾つかある。過度の疲労、魔力過負荷、あるいは外因性の……精神異常系のスペルだ。短期的に神経系を安定させる薬が必要だね、まってろすぐに調合する!」


「アムスっ!」


 まってろカイル! 必ず治療してやる!

 僕は自分のバックパックをがさごそと漁った。瓶や乾いた草根がカチャカチャと音を立てる。


「必要なものは【マンドラゴラの乾燥糞】、【ベラドンナの蜜】、【月光の根】、【晶石の微粉末】……そして、少量の火酒だ……ある、全部もってるぞっ!」


「やめろぉ! やめてくれぇ!!」


 カイルは【亡国の聖剣】を振り回し暴れ始めた。

 ギルドはてんやわんやの大騒ぎだ。


 正気を失っているのか、聖剣は鞘に納めたままだ――いや、あるいは僅かに残った正気がそうさせるのか?

 僕にはわからない。だが、僕が今やるべきことはひとつしかない。


「みなさんっ! いま勇者カイルは混乱しているっ! 僕は【竜の咆哮団】の一員として、彼を助けたいっ! 僕にはその責任があるっ! 協力してくれっ!」


 冒険者たちは言われるまでもなく、暴れまわるカイルを抑えようと動き始めていた。

 数十人の屈強な男たちが一斉に飛びかかる。

 それでもカイルの剛力に押し返され、何人もが床を転がる。


「うぉおおおおお! やめろぉおおお! テメーらぁっ! どけぇ! ぶっ殺すぞぉっっっ!」


 床板が軋み、机が弾け飛ぶ。ギルド全体が揺れていた。

 カイルの上には何人もの冒険者が重なり、必死にその巨体を押さえ込んでいる。

 それでもなお、床の下から唸るような力が伝わってきた。


「これ、いただくよ」


 僕はギルドの一角にある雑貨スペース――そこに置かれた大きな回復ポーションの瓶を手にした。

 中身は入っていない、空だ。だが、それが都合がいい。僕の調合した薬を入れるからだ。


 材料を混ぜ合わせ、短く呪文を唱えながら火酒で溶かす。

 淡く光る薬液を瓶へと注ぎ込むと、内側で小さな泡が立ち、静かに沈んでいった。


 調合した薬がなじむように、瓶のつま先を弾く。


 キンキン――屋内に乾いた音が響く。


「……おい……やめろ……アムス、まさか……おまえ……っ!」


 カイルの声が震える。

 僕は何も答えず、瓶を片手にゆっくりと歩み寄った。

 床板が軋むたびに、押さえつけている冒険者たちの肩がびくりと揺れる。

 カイルの顔から血の気が引いていくのが見えた。


「さぁ、カイル。尻をだせ」


 僕はキミを救いたい。


「うわあああああっ!!」


 冒険ギルド【アックス&スペルズ】に勇者の咆哮が轟いた。


 僕はアムス。【竜の咆哮団】の調合師だ。

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