03 急な訪問
日曜日、朝飯を食い終わって近くの山にトレーニングにでも行こうかなどと考えていると、スマホに電話の着信があった。相手は登録していない番号だ。
「はい渡です」
『お世話になります練川です』
警察庁特別調査官からの突然の連絡。俺の背筋がピンと伸びてしまう。
「先日はお世話になりました。何かありましたでしょうか?」
『今日は公務での連絡ではありません。突然で大変申し訳ありませんが、本日お会いできないでしょうか?』
「は……ああいえ、お会いするのは大丈夫ですが……」
『ではよろしくお願いいたします。午後の4時に自宅にお伺いしたいと思うのですがいかがでしょうか』
「わかりました、その時間なら問題ありません。お待ちしています」
電話を切ってから、俺は
午後4時きっかりに車が家の前に停まった。
もちろんやってきたのはポニーテール眼鏡美人の練川さんだ。
玄関先に立つ彼女は今日はスーツではなくカジュアルなパンツルックで、その姿だと彼女がまだ二十そこそこの若さであることがわかる。
彼女は玄関口で、美しい所作で一礼をした。
「急に申し訳ありません。どうしても渡さんにお話ししたいことがあってお邪魔いたしました」
「わざわざお疲れ様です。とりあえずどうぞお上がりください」
一瞬若い女性が男の一人住まいに入るのはどうかとも思ったが、彼女は強いのでそこは問題ないのだろう。
リビングに案内して椅子に座ってもらう。ペットボトルのお茶を出して対面に座ると、彼女は改めて一礼した。
「ありがとうございます。渡さんはもしかして今日ご予定が?」
「いえ、一日家でゴロゴロしていただけです。むしろ話し相手が来てくれて嬉しいですよ」
ちなみにここで「練川さんのような美人とお話しできて」なんて口にしたらセクハラである。
「それならよかったのですが。しかし渡さんにはあまり面白いお話ではないかもしれません」
「それはもしかして、あの変な空間とか、サーベルタイガーみたいな動物の話ということですか?」
「ええ、もちろんそのお話もありますが、今日は渡さんに私のことを知っていただきたいと思って来たのです」
聞きようによっては告白にも聞こえる言葉だが、もちろんそんな艶っぽい意味でないだろう。そもそも彼女と顔を合わせるのは3度目でしかない。
「わかりました、お聞きかせください」
「ありがとうございます。ただ私のことをお話する前に知っておいていただかないことがありますので、まずはそのお話をさせていただきます」
「はい」
「最初はあのスーパーやレストランで起きた現象についてです。あの空間が歪む現象を、我々は『異層化』と呼んでいます。我々、というのはもちろん私が所属する組織という意味です」
「警察庁のことですね」
「そうなります。そしてその『異層化』は、今のところ異なる世界につながる現象ではないかと考えられています。とは言っても、その詳細はまったくわかっておりません。わかっているのは、その異なる世界から『異層体』、すなわちあの獰猛な生き物がやってくるということだけです」
「私が体験した通りということですか」
「はい。そしてその『異層化』は、少なくとも昭和の中ごろには発生が確認されていました。ただその出現頻度は少なく、一年で数件という程度のものでした」
「その存在は表に出るほどではなかったと」
「もちろん国が隠していたというのもあります。そしてここからが問題なのですが、実はその『異層化』は、今日本に存在する裏の事象の一つにしか過ぎません」
そこで練川さんは、俺の顔をじっと、何かを探るような目つきで見つめてきた。
眼鏡の奥のブラウンの瞳は吸い込まれるような奥行きがあり、ともすると目が離せなくなりそうな魅力がある。
……ああ違うな。この感じは恐らく、スーパーの事務室で聞いた、人を従わせる声と同じなんらかの『技』だろう。
彼女は俺に変化がないことを確認したのか、三度頭を下げた。
「申し訳ありません、渡さんを試しました」
「……試すというのは? 何もされていないと思いますが」
思考を高速化して切り抜ける。
ここで「私には効きませんよ」なんて言ったら、俺に力があると白状しているのと同義である。
練川さんは小さく息を吐き出してから続けた。
「すみません、私の勘違いのようです」
「大丈夫ですよ。それよりお話の続きを。日本にはさらに多くの裏があるというお話でしたが」
「そうです。この日本には、というよりこの世界には、一般に知られていない存在や現象が思っている以上に多くあるのです。例えば『悪魔』、ですね」
そこで再び探るような眼を向けてくる練川さん。先日警察も調べに来たし、当然疑われているのだろう。もちろんここもとぼけ一択だ。
「『悪魔』というのは神話や伝承などに出てくるようなものですか?」
「……人間に化けて、何らかの悪事を働いている者たちです。彼らは一人一人が猛獣などよりはるかに強い力を持っています」
「練川さんでも勝てないのですか?」
「一対一なら辛うじて勝てるでしょう。相手が三体以上だと逃げるしかありません」
あの『悪魔』たちはそこまで強かったのだろうか。練川さんのスピードなら……いや、同等くらいの速さはあったか。
「それは恐ろしいですね。出会わないことを祈りますよ」
「私も同じです。ただ、任務上出会ったら対処しないわけにはいきませんが」
「くれぐれもお気をつけください。ちなみに『悪魔』以外ではどのような存在がいるのでしょう?」
「……例えば超能力者、吸血鬼、地下組織の強化人間、ゾンビ……色々あります」
「そんなに?」
さすがにそれは俺も驚いてしまった。冗談なのかと思ったが、練川さんの表情は真剣そのものである。
となるとバッタもどきとかダンジョンとかも、もしかしたらその中に含まれているのかもしれない。もちろん
「もっともそれらの存在は絶対数が少ないですし、人間社会に溶け込んで共存している者も多くいます。はっきり言えば、普段は大した問題にはならないのです。……地球が今までの通りなら」
「というと?」
「『異層化』が最近急速に頻度を増しているのです。そしてそのことは、遠からず今の人間社会に大きな変化を及ぼすでしょう。そうなったとき、今まで闇に隠れていた存在が、自らの力を伸ばすために
「混乱に乗じて台頭するつもりということですか」
「はい。そして私は、というより私が生まれた練川家は、そういった存在から国や人々を守ることを存在意義とした家なのです。なので私は、渡さんに見ていただいたようなことをしているのです」
「なるほど……。それはご苦労なことですね」
彼女については普通の人ではないとは思ったが、そんな家が現代日本にあるというのは驚くしかない。
しかもそういった裏の話をこのような形で聞かされることになること自体も驚きである。一体彼女は俺に何を求めているのだろうか。
そう思いながら次の言葉を待っていると、練川さんは上半身をテーブルの上に乗り出してきた。
「私は、渡さんもまた特別な訓練を受け、闇の存在と戦ってきた人間ではないのかと思っているのです。渡さんは正体を悟られまいとしているように思えますが、もし渡さんが私を同じような立場にあるなら、私たちは協力しあえると思うのです」
「は、はあ……?」
「渡さんが人知れず力を振るうことを好まれるのであれば、それはもちろん尊重いたします。警察や国家権力と距離を置きたいというのであればそれも尊重いたします。ですからどうか、私個人に協力をしていただけないでしょうか? もちろん渡さんにメリットがないというのであれば、他になにかお礼を差し上げることもできると思います」
「……」
こちらの力を探られるのは想定していたが、まさかそういう話になるというのは予想外だった。
言っている言葉を信じるなら、確かに彼女は警察庁の特別捜査官ではなく、練川家の一員としてお願いに来たという感じのようだが……。
俺は困った顔を作りながら、さてどうしたものかと、高速で頭を巡らすのであった。
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