06 さらに事件

 若者3人は救急車に乗せられて行ってしまった。


 俺と老齢のご婦人、そして中年の会社員はスーパーの事務所に連れていかれ、そこで切れ者美人――練川さんの話を聞くことになった。


「あのようなことがあった後で申し訳ありません。再度自己紹介をいたしますが、私は練川ねりかわ有未あるみと申しまして、警察庁の職員です。警察庁というのは本来は警察を監察する組織なのですが、私は特別調査官という立場で、皆様のような一般の方を相手にする役目も持っています」


 彼女の言葉の真偽についてこちらは判断する材料がまったくないのだが、その上で彼女の話は信じてもいい、そんな風に思わせる話し方である。


「そして先ほど襲ってきた動物ですが、今増えている野生動物の被害の原因だと目されています。あの動物については、警察を始め各組織で急ぎ対応を進めているところです。皆様にはそれを知っていただき、今回のことは知人などに知らせるにとどめて、例えばSNSなどを使って広めないでおいていただきたいのです。近いうちに国の方から必ず発表がありますので、それまではどうか、世間の危機感をあおる行為はおやめいただきたいのです」


 彼女がそう力強くお願いをしてくると、俺とご婦人と会社員は、自然と首を縦に振っていた。俺はその直後に、なにか微妙な違和感を覚えた。どうも彼女の声には特別な力があるような気がする。まさか催眠術とかだろうか。


「ありがとうございます。申し訳ありませんが、皆さんのお名前と住所と連絡先をお教えください。何もないとは思いますが、もしかしたら後日ご連絡を差し上げることがあるかもしれません。よろしくお願いいたします」


 練川さんが差し出してきた紙に、俺たち3人はそれぞれ名前などを書いて提出した。嘘を書こうかなどと一瞬だけ思ったが、警察相手に虚偽の申告などできるはずもない。


「ありがとうございました。お気をつけてお帰り下さい」


 練川さんの笑顔に送り出されて俺たちは解放され、そして俺は昼飯を食いそこなった。




 翌日はリモートワーク復活である。


 家でPCを前に仕事をしながら、ふとした合間に昨日のことを思い出す。


 警察庁特別調査官を自称したあの練川さんだが、例のサーベルタイガーもどきについては確かに口止めをした。だがその前の、空間が歪んだような奇妙な現象については一切口にしなかった。


 あの時の言動を考えれば、彼女があの現象に気付いていなかったはずがない。ということは、多分彼女は奇妙な現象については黙殺したのだろう。


 何しろあんな現象、今の科学では説明のしようがない。だったら最初からないことにした方がいい。警察では認知していませんよ。あれは気のせいですよ。だからあなた方も忘れてくださいね、というわけだ。


 もちろんそうは言いつつも、彼女とその背後にある警察庁はあの現象をしっかりと認識しているのだろう。というか、そもそも彼女のような謎の達人があの場所に偶然居合わせた、なんてこと自体が出来過ぎている。彼女らはなんらかの方法で、あの現象の発生場所を感知でき、だからこそ彼女があの場所にいた。そう考える方がはるかに自然である。


「ま、といっても一般人がなにかできるわけでもないけどな」


 と口にして、俺はその素人推理にふたをした。


 夜はいつものトレーニングだ。


 家の前の道を全力で南へ走っていき、ほこらのある林の近くを通り過ぎる。


 バッタもどきはもう長いこと出現していない。一応林の方の気配を探ってみるが、それらしいものはない。


 と思ったら、バッタもどきとは違う別の気配が感じられた。


 人間の気配だが、俺の心のどこかがザワついた。あれを見過ごしてはならないという、不思議な焦燥感。


「行ってみるか」


 脇道を行くと、黒くわだかまる林の手前、祠に続く道の前に一台の黒い軽ワゴンが停まっていた。


 ナンバーは県外のものだった。地元民ならともかく、県外からこんなところに来るのは何となく怪しい感じがする。しかも今は夜である。


 ワゴンの中には2人分の気配。しかもそのワゴンの車体は微妙に左右に揺れている。それで俺は察した。おおかた金のない若い男女が、車の中でをしているのだろう。


 と思って立ち去ろうと思ったのだが、俺の鋭敏な聴覚がかすかに中の声を拾ってしまった。


「……やっ、いやだってば……っ! やめて……っ、このクズ……っ!」


「うるせえっ! こんなスケベな身体しやがって……っ。俺を誘ってたんだろ……っ」


「アンタなんか知らないってばっ! こんなことしてタダで済むと思ってるわけ……っ!?」


「タダで帰すわけねえだろ。ホント馬鹿なガキだな……!」

 

 いやまさかそういう場面に出くわすとは驚きだ。しかも女の子の方の声には聞き覚えがあったりもする。


 見なかったことにできるはずもなく、というよりさすがに義憤のようなものも湧き上がり、俺はワゴンに近づいてその後部座席のドアに手をかけた。鍵がかかっていたようだが、バキッと破砕音がして難なくドアは開いた。


「なんだてめえっ!?」


 予想通りそこにいたのは人相の悪い30前後の男と、15歳くらいの制服姿の女の子だった。女の子は着衣が多少乱れているものの、まだ事に及ばれてはいない感じであった。


 反対に男の方は下半身丸出しで、見たくないものが見えてしまっている。


「婦女暴行の現行犯だな。一般人でも逮捕できる案件だ」


「クソがっ、ふざけんなっ!」


 問答無用で殴りかかってくる男。なんとも遅いパンチだ。俺はその手首をつかんで男を車の外にひきずり出した。


 男は外にでると、下半身むき出しのまま襲い掛かってきた。しかもいつ手にしたのか、右手にはナイフが握られている。


「危ないっ!」


 と叫んだのは襲われていた女の子だ。どうやら外に出てきたらしい。


「おらッ! 死ねおっさんがッ!」


 いやお前も十分おっさんだよ、と心の中でつぶやきつつ、突き出してきたナイフを右の指二本で掴む。まさにマンガの主人公がやる技である。


「なッ! なんだそりゃ!?」


 まあそういう感想になるよな。自分でやってて俺も若干引いてるくらいだ。


 俺はそのままナイフを引っ張る。


「おわっ!?」


 手を離せばいいのだが、普通の人間はこういう時につかみ続けてしまうらしい。男はつんのめるようにして体勢を崩した。


 殴ってもよかったが、俺がやると軽くしても殺してしまう可能性があった。


 なので手首を掴み、そのまま後ろ手に関節を極め、男を地面にうつ伏せにして上から押さえつけた。


「痛えっ、離せクソがっ!」


「静かにしろ」


「あがっ!?」


 黙らせるために腕をねじり上げる。ちょっと間違うとそのままねじ切ってしまいそうだ。


 俺は振り返り、こちらの様子をうかがっている女の子に声をかけた。


「君はお隣の那乃なのちゃんだろう。大丈夫だったかい?」


「えっ!? あっ、もしかして渡のおじさん……?」


「そうだよ。たまたま通りかかってよかった。とりあえず家に連絡はできるかい?」


「あ、うん、できる……できます」


 乱暴されかかっていた割には受け答えがしっかりしているので、とりあえずは大丈夫そうだ。


 さて、俺の方は警察を呼ばないといけないのだが、しかしこんな短期間に連続で警察と関わるとは思ってもみなかったな。


 まあ婦女暴行未遂事件くらいでは、昨日の練川さんは出てこないだろうが。

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