町とカガク
第7話 身分
食事を終え、与えられた部屋に戻る。
このまま図書館へ向かってもいいが、まずは頭を整理したかった。
「とりあえず、何とか生きてるな。三回くらい死線を抜けたか」
前世で一度死に、この世界でもまた死にかけた。
もう一度生き返る保証なんて、どこにもない。
前世は科学の後継者として、今世はカガクの開拓者として歩む。
それにしても、なぜあの人は俺をここまで優遇する?
助けてもらったうえに、図書館の閲覧許可まで与えるなんて
あまりにも、俺にとって都合がよすぎる。
まぁ、深く考えても仕方がない。
さて、この後の予定だ。
とりあえず、この町でしばらく過ごしていこう。
この町にいる間は、今のところ安全と見ていいだろう。
次に「科学」について。
これは未知数が多い。
自分がどこまで操れるのか。
この世界の元素構造は前と同じなのか。
そもそも、同じ「物理法則」が通用するのかすらわからない。
それから資金面いずれ働く必要がある。これは早めに決めないとな。
……よし。
今後の方針は、おおよそ決まった。
「屋敷の外に出てみるか。図書館は後回しでいいだろう」
そうつぶやいて、俺は着替え、部屋を後にした。
町の名前は「シャーレ」。
偶然か、それとも何かの皮肉か。
前の世界で、俺たちが実験に使っていたガラス器具と同じ名だ。
シャーレはシルフォニア領内で三番目に大きな町らしい。
海産物、魔物の素材、武具、飲食店、宿屋
人が生きるために必要なものは、ほぼ揃っている。
中でも中央広場のバサールは圧巻だ。
潮風に混じって香ばしい肉の匂いが漂い、
行商人たちの声が四方から飛び交っている。
「中世ヨーロッパも、こんな感じだったのかな」
そうつぶやきながら、俺はオークの串焼きを片手に歩いていた。
最初は食べる気なんてまったくなかった。
魔物の肉なんて聞けば、普通は引く。
だが屋台の主人が、無言で一本差し出してきた。
仕方なく一口かじった瞬間――世界が、少し変わった。
「うまいな、これ」
香ばしい脂の香り。
繊維は粗いが、旨味が詰まっている。
血の匂いも少なく、しっかりと熱変性している。
筋繊維の構造が地球の哺乳類とほぼ同じ……?
そんなことを考えているうちに、気づけば二本目を手に取っていた。
ちなみに金のことだが、領主様から少し渡されている。
ただし、この世界の貨幣は俺の想像とは少し違った。
「マジックペイ」と呼ばれる支払い方式が主流らしい。
金貨や銀貨の代わりに、魔力を封じたカード状の魔具を使う。
支払いの瞬間、淡い光が走り、店主の持つ石板のような端末に数値が転送される。
仕組みは不明だがどう見ても電子マネーだ。
「……はは、文明レベルがぐちゃぐちゃだな」
笑いが漏れる。
魔法は衰退したと思っていたが、実際には生活の中に深く根づいていた。
戦いや大規模な術式には使われなくなっても、
便利さに関しては、魔法がしぶとく生き残っているらしい。
市場の露店の九割がマジックペイ対応だった。
串焼き屋の親父も笑いながら言った。
「現金払い? 珍しいな兄ちゃん、旅人か?」
「そうですね、最近来たばかりなんですよ」
「そうか。じゃあそのカード見せてみな」
出かける前に屋敷の使用人から渡されたカードを取り出す。
「これですか?」
「それだ。それをここにかざしてみろ」
かざした瞬間、カードがふっと光った。
やがて光が収まり、親父が笑って言う。
「はい、もういいぜ兄ちゃん。支払い完了だ」
「……無知な俺に教えてくれて感謝する」
「おうよ!」
文明と魔法が奇妙に混ざり合う光景に、
俺はまた一つ、この世界への興味を深めた。
中央広場を抜けると、冒険者ギルドが見えた。
そういえばリンが言っていた。
冒険者の登録や魔物素材の取引をする場所だと。
身分証の代わりにもなるらしい。
ギルドの扉を押し開けた瞬間、空気が変わった。
外の賑わいが遠のき、代わりに鉄と革の匂いが鼻をくすぐる。
壁一面に貼られた依頼書、剣の鈍い光、
そして木の床を踏みしめる音――まるで工房のような雰囲気だ。
「……まるで職業訓練所みたいだな」
カウンターの奥では、白髪まじりの男が帳簿を睨んでいた。
その腕は丸太のように太く、
まるで拳で世界を動かしてきたような男だ。
「おう、新顔か? 登録ならそっちの用紙に記入してくれ」
声は低いが、どこか温かい。
怒鳴られるかと思っていた俺は、少し拍子抜けした。
「えっと、身分証は――」
「ない? なら仮登録だな。あんたの名前と、得意分野を聞こう」
「得意分野……?」
「戦う、癒やす、作る、運ぶ。
どれもできねぇなら、“サボらない”って書いとけ」
正直、迷った。
「カガク」なんて書けるわけがない。
そもそも、そんな職種が存在しない。
魔法と書くのも危険だ。目立ちすぎる。
ふと目に入ったのは、“作る”の文字。
(そうだ、生産職ってことにすればいい)
「じゃあ、作るにしておきます。少し道具の扱いには自信があるので」
「ほう。じゃあ、こっちのテーブルで軽く見せてもらおうか」
カウンターの奥から、男は古びた魔道具を取り出した。
歯車が半分欠け、内部の魔石はひび割れている。
「最近じゃ魔法細工師も減ってな。直せりゃ助かる」
挑戦的な目。
久しぶりに、実験前の高揚が胸の奥で灯る。
「わかりました。少し時間をください」
前世で、器具の修理や電子部品の交換は散々やった。
この勝負、負けるわけにはいかない。
机の上の工具を手に取り、
異世界のテクノロジーとカガクの境界線を、
俺は静かに、踏み越えた。
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