第十話 前線砦にて 瓦解する心
一人は、天性の射力と迅速で適切な状況判断を武器に、部隊史上最年少で戦場に駆り出された少年、霆華。
一人は、扱いが困難な複合弓の扱いに長け、左手から放たれる一射で複数の魔軍を纏めて屠る英雄、佐治。
二つの才は交錯し、反響し、高めあい、未来の巨星と目されていた――。
「佐治…お前……その腕…」
絞り出すように声を上げる霆華に、佐治は己の左腕があったはずの場所へと視線を落として答える。
「あぁ、先の大戦でな。持ってかれちまってよ。今はこんな様さ」
表情だけでなく、声色にも何も乗っていない。実に淡々と、どこまでも白く、佐治はそこに立っていた。
スッと、佐治は霆華へ視線を戻すと、強い衝撃で固まる彼へ向け言をつなぐ。
「まったく。俺としたことが…、とんだヘマをやったもんだ。これじゃもう弓は射てねぇっつーことで、今はコレよ…」
佐治は自嘲気味に言いながら右手に持つ木刀を軽く振って見せる。
「まぁ、ぜんっぜん使い物にならねぇからよ…。俺の相手は動きもしねぇあの丸太だけ。ハッ、笑ってくれていいぜ。“左砲の佐治”は死んじまったからよ」
「あららぁ。お前ぇの兄貴、面白いことになってんじゃねぇかぁ」
ニタニタと笑いながら言う馬順を、霆華は横目で睨みつける。
(こんなの…佐治じゃない…)
霆華は未だ整理がつかない頭を必死に回した。
目の前にいるのは確かに、戦場で背中を預けた相手…のはずだ。
しかし、霆華の本能が否定する。目の前で、自分の置かれた現状の過酷さに押しつぶされかけている人間は――、
困難な時こそ冷静に思考を巡らせろ、と自分に諭し、示した人間とは別者であると信じたかった。
「その点、お前はいいよなぁ、霆華」
やめてくれ、と霆華は内心で絶叫する。
これ以上、自分を無様にするな、と。己の尊厳を削り捨てな、と。
そんな思いは、次々と打ち砕かれていく…。
「お前の熊肉で、広間は大宴会の真っ最中。天才ってのは楽だよなぁ。大軍団長様のお気に入りにもなれるよなぁ」
木刀を持つ右手を小刻みに震わせながら佐治が発する。
彼の言葉の節々に滲み出る感情。憎悪、妬み、嫉みまでを霆華は全力で受け止める。
それしか、できなかった。
不意に、怒りと悲しみが同居し紅潮した顔を剥き出した佐治の右手が中空に食い込む。
勢いよく打ち下ろされてくる一撃に対し、霆華は反射的に身を反らす。
ブンッと霆華の目の前を木刀が縦に通過し、砂地の地面にくっきりと跡をつける。
サラッと佐治と霆華の間に細かな粒子が舞い、霆華の頬を鋭く掠め、やがて見えなくなっていく。
息をのむ霆華には、その僅かな時間が凍えたようにも感じられた。
「なんで…なんで…俺だけが、こんな……」
俯いたまま、佐治は奥歯を噛みしめながら呻くように零す。
「佐治。俺は……」
「黙れ。今はお前の顔を見たくねぇ。さっさとここから消えやがれ」
佐治の顔はだらりと垂れ下がった前髪に隠れて見ることはできない。
しかし、痛々しい程の語気に押され、霆華は何も言わず振り返り、来た道を引き返す。
先のやりとりを隣でニタニタと笑いながら傍観していた馬順がそのあとに続いた。
振り返る直前。佐治の複合弓が霆華の目に入った。
鍛錬場の片隅に無造作に放られ、砂にまみれ薄汚れた様が持ち主と重なり、霆華は足早にその場を後にした。
広間に戻った途端、馬順は好奇心に目を輝かせた砦の若者たちに呼ばれて行ってしまった。その後姿を見送りながら、未だ賑やかに催される宴の会場を見渡す。
(この喧騒を、平穏に身を置く声を、佐治は聞いてたのか…)
先ほどまではこの喧騒が羨ましく感じられていた。しかし、今の霆華はその光景を猜疑の念をもって傍観している。
(なぜ、苦しむ仲間を差し置いてこんなに笑っていられるんだ…)
苦々しく広間を人間を見渡す視線を知ってか知らずか、高斎が霆華に駆け寄る。
「よう、霆華。そのー。佐治には会えたか?」
「あぁ。驚いたよ。本当に、驚いた…」
気づかれないように体の陰で拳を握りしめながら、霆華は努めて平静に返す。
「そうか…。佐治はあんな風になって以来、毎日毎日死ぬ気で剣を振っているよ。まともに声もかけられぇね…」
いつもは軽い口調で囃し立てるように話す高斎とは対照的な、静かで丁寧な口調。
佐治の状況、そして霆華の状態を慮るその声色に、霆華は思わず言を漏らす。
「なぁ、ここの奴らは、どうしてみんな笑っていられるんだ。佐治は…仲間じゃなかったのか」
目の前の笑顔が辛い。そこから目を背けるように、霆華は高斎をまっすぐに見上げる。
自分に向けるものと同様に佐治へもその配慮を向けられないのか、と言外に霆華は訴える。
「――仲間だよ。お前も、佐治も。だからこそ、今はこうしていることが正解なんだと思う」
「おい、それってどういう――」
「うおぉぉぉい!ガキぃ。ちょっとこっち来いよぉ!」
霆華が続けて問いを投げる前に、少し遠くから馬順が呼ぶ声がした。
「行ってこいよ、霆華。仲間は大事にするもんだぜ」
そう言い残して、高斎はその場を離れる。馬順が座る卓では、先ほどの若者たちの他にも人が集まり、その周りを囲んでいた。
ため息をつきながら、混乱する頭を整えるように霆華は小さく頭を振り、卓へと歩み寄る。
「どうした。なんの話をしていたんだ?」
「いやぁ、実はな。こいつらが俺の力の秘密を知りてぇってんで煩くてよぉ」
迷惑そうに語る馬順だが、どことなくその頬は緩んでいる。そのニヤケ顔のまま、霆華へ向けられた視線が、誤魔化すのを手伝え、と訴えてくる。
「よかったじゃんか。こんなにたくさんの戦士に褒められることなんか滅多にないぜ。教えてやれよ」
「ちょっ!それは出来ねぇこと、お前も知ってんだろぉ!?」
ぶっきらぼうに話す霆華へ馬順が投げ返した言に、周りからは非難めいた声が上がった。
「えー。馬順さん、そんなに隠すことないじゃないですか!俺たち、馬順さんみたいに強くなれるなら結構無茶できますよ」
「だぁーかぁーらぁー。さっきから言ってんだろぉが。俺は、お前らとは、違ぇの!」
周りの声がまた一段と大きくなる。
(これも“強者の苦悩”ってやつか)
質問攻めにあう馬順を若干の憐みの目で見つめながら、霆華は道中の会話を思い出していた。
「あのぉ~」
沸き上がる声の波紋を押さえつけるように放たれた一声に、皆がシンッとその主に視線を向ける。
「あ、いや。すみません。ちょっと思ったことがあって……」
なんとも気弱そうな、料理着を纏った少年がもじもじと声を上げる。
「なんだよ、ガキ。さっさと言えよぉ。皆お待ちかねだぜ?」
「は、はいっ!えーと。馬順さんの戦うところ、改めて見てみたいなぁって。その…ダメ、ですか?」
なかなか出てこない二の句に、たまらず馬順が急かす。慌てたように放たれた言葉に、その場にいた全員の好奇の目は一層の輝きを増したのを、霆華と馬順は敏感に感じ取っった。
「俺が戦うとこぉ?まぁ、構わねぇが、相手になる奴はいるか?あのおっさんレベルだと手加減も難しいが、もう少し弱い奴は…」
馬順は取り囲む戦士を改めてじっくりと、品定めのように見渡す。その目が霆華と合ったところでピッとその動きを止めた。
「あ、あの。言い出しといてなんなんですが、ここの砦の人はやめておいた方が…任務に支障が出ると…その…」
「あぁ、分かってるよ」
そういって馬順は自分が座っていた卓から降りると、霆華の目の前まで近づく。
「そういうこった。どうだぁ?ガキ。俺といっちょやろうじゃんか。手合わせってやつ?」
「おいおい。俺がお前に勝てるわけねぇじゃん」
んー、それもそうか…。と馬順は腕組みをして唸る。そして、急に顔を上げると霆華に向かい提案を出した。
「それならよぉ。俺はちょっと手加減してやるよ。そうだなぁ…俺の攻撃は右腕だけ、しかも白戦に限るってのはどうだ」
いや、でも…。と逡巡する霆華の態度とは裏腹に、周りの戦士たちは期待を込めた眼差しで眺めている。
「なんでぇ。結局おめぇもあいつと同じかよ。ウジウジと閉じこもる腰抜けなのかよ…」
煽る様に放たれた言葉をきっかけに、霆華の内心でどす黒く燃え始める何か。
頭の芯まで熱を帯びる感覚で、眩暈に似た浮遊感を感じる。
目の奥で佇む佐治。
その左腕を包んだ布は、抵抗を受けることなく風に靡き、空ろを強調する。
ガッと、気が付くと霆華は、反射的に馬順の胸倉をつかんでいた。
「おい、馬順。てめぇ、自分が何言ってんのか分かってんだろうな」
怒り、憎しみの炎が霆華の目の奥で燃えるのを認め、馬順は小さく舌なめずりをした。
「お?やる気になったかよ。いいねいいねぇ。そんじゃ、今すぐやるかぁ」
「覚悟しとけよ、馬順。佐治を馬鹿にしなこと、後悔させてやるよ」
右手で胸倉を掴みながら、霆華は左手を腰のナイフに落とす。それと呼応するように、馬順の右手が軽く握られた。
一触即発。すでに怒りの臨界点を越えている霆華の次なる動作がこの手合わせの開始を意味することを、この場を見守る者たち全員理解する。
「ちょ、ちょちょちょっと!待って!待ってぇぇぇ」
急に気が抜けるような声が響いたと思った途端。霆華と馬順の間に割り込む形で、高斎が突撃した。
「お二人とも、待ってくだせぇ。今はまだ日が変わってないっす。魔軍の侵攻の可能性があるっす」
「なんだよ。別にいいじゃねぇか」
「ダメなんっす。絶対に、油断してはいけねぇっす。どうしてもってんなら、せめて、あと半刻だけお待ちくだせぇ」
全力で頭を下げる高斎に、霆華は己の視野の狭さ、思考の矮小さを呪う。
(俺は、自分の感情に流されて…)
馬順を懸命に説得する高斎の後ろで、先ほどまで馬順に掴みかかっていた右手を血が滲むほど握りしめた。
「わぁーたっよ。そんじゃ、半刻後、佐治が居た鍛錬場に来いよ」
最高潮に不機嫌な雰囲気をまき散らしながら、そう吐き捨てて馬順は歩み去る。
「あ、あの…すみませんでした。僕のせいで、こんな…」
「いいんだ。佐治を馬鹿にされて感情的に手を挙げたのは俺だし…。それじゃあ、半刻後に」
(だめだ。一人ではもう何も前に進める気がしない…)
踵を返し、ツカツカとその場を離れた霆華は、怒りか、嫉妬か、猜疑か…この如何とも形容できない綯交ぜの感情に囚われる自分に困惑しながら歩く。
せわしなく動くその目は、無意識に静焔を探していた――。
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