第二話 娘のあとを追って
「―雪焔様が行方不明となりました」
伝令隊員の言を聞いても、静焔はすぐには反応できなかった。武人として常に、揺らぐことのない凪のような精神性を維持している彼ではあるが、愛娘の突然の悲報は、凪ぐ水面に投じられた巨石のようなものだったらしい。この時の静焔―歴代最強との呼び声も高い大軍団長―の様子を、頭を下げているようで垂れた前髪の隙間からチラチラと盗み見ていた伝令隊員は、死の間際まで孫たちに語り聞かせていたという。
「本当に、雪焔が居なくなったというのか」
生涯を通じた話のタネを幸運にも手にでき、喜びにほくそえむ目の前の伝令隊員へ、静焔はしぼりだすように尋ねる。
「はい。嘘偽りない、真実にございます」
伝令隊員は本来の職務に舞い戻り、毅然とした態度で告げる。静焔の様子をチラッと見ると、右手を顎に持っていき、何やら思案している様子であった。
「ふむ。これは警戒態勢をもう三段ほど引き上げねばならんな…。雪焔は歳こそ若いがあいつを攫うなど、俺でも無理だ。まさか、前線に甚大な被害が…。敵軍の戦力が増大したか、それとも新たな術を用いた殲滅作戦か。まさに多勢に無勢。前線の守りは壊滅し、雪焔も捕虜として捕らえられたということか。それほどの戦力差だった、いや、これはもはや圧倒的な蹂躙であったのだろう…」
「だ、大軍団長様?大丈夫でいらっしゃいますか」
そこそこに長めの思案であることで、心配になった伝令隊員が静焔に呼びかける。呼びかけに応えるように自身へ向けられた視線からは憎悪と、そして憐憫の情が見て取れた。
「お主も命からがら、ここまでたどり着いたというわけか。服の汚れが少ないところを見ると、部隊の中で最も戦働きに向かないお主が希望を託され、砦の者たちが文字通り命をとしてお主を逃がしたのだろう。この窮状を私のもとへ一刻も早く届けるために…。お主は見事にその務めを果たした!でかしたぞ。辛かったろう」
かわいそうに、と目で訴えかけてくる静焔の言動を聞き、恐る恐る口を開く。先ほどまでの毅然とした態度はなりを広め、かなりびくついた様子で答える。
「あ、あのー大軍団長様。大変申し上げにくいのですが…」
「すまぬが、これから緊急で魔軍の侵攻を止めるべく話し合いを設けねばならん。何せ、堅牢であるはずの我らが前線砦が、魔軍によって完膚なきまでに叩きのめされたとあっては、もはや一刻の猶予もない。お主との話は歩きながらにしよう。しばし待たれよ」
そういうやいなや、静焔は戸を閉めると、すぐに刀とラフに着崩した着物をまとって会議の場へ足早に歩を進めはじめる。途中、他の幹部らへも緊急会議の伝令を出し、ついてきている伝令隊員にも前線の様子を詳しく聞いてみようと静焔は振り返った。
「お主、つらい記憶だろうが今一度、前線が壊滅するに至る経緯を詳しく教えてはもらえないか。対策をしようにも、情報が足りなくてな」
「はい。大軍団長様。実は―」
「おおー!静焔殿。何やら急を要する事態だそうじゃな!!」
伝令隊員の言に割り込むように、朝には似つかわしくない荒々しい大声が響く。視線の先にはひげ面で寝間着姿の偉丈夫が手を振りながらドスドスと向かってきていた。
静焔は伝令隊員との会話を打ち切り、熊のようなその男に向き合う。足もとから徐々に視線を上げ、自分よりも頭二つ分ほど上にあるその目を見上げながら静焔は小さくため息をつきながら諭すように言う。
「豪角殿。早くに火急の報せで大変心苦しく思っているが…。寝間着のままというのはいかがなものなのか。正装とまでは言わんが…」
「なぁに、そんなこと気にするでないわ!静焔殿からの火急の報など、何をおいても飛んでくるのは当然でござろう?それに…なにやらきな臭い匂いがあの報からは感じられたのでな。細かいことは気にせず、とっとと対策を固めようではないか」
言うや否や、丸太のような腕を静焔の肩へ回し、半ば引きずるように廊下を進み始める豪角に、敬意って何だろう、と自問自答しながら伝令隊員はあとに続く。
合議の場に入りほどなくして、静焔を含めた5名が円卓に集った。皆、それなりにきちんと身なりを整えての迅速な集合だ。豪角の寝間着が一段と異彩を放っている。自身の存在がとても場違いなものと感じながら静焔の後ろに立ち控える伝令隊員にとって、今の豪角は数少ない自分の同志のように思えて、豪角を常に視界の隅に留めようと努めた。今も大口を開けてあくびをしている。
「して、静焔殿、此度は何用で我らを招集したのかね」
「はい。実はこの伝令隊員より火急の報せが入り、どうやら前線の砦が多大な被害…いや、言葉を濁すのはふさわしくないですな。前線砦が壊滅したため、今回皆様をお呼びしました」
静焔の言に集められた5人の顔からは表情が消えていた。しかし、その顔が何を雄弁に語っているのか、伝令隊員にもわかる。何を言っているのかわからない、と。
「せ、静焔殿…。それは誠の話なのか?」
「残念ながら事実と思われます。この伝令隊員、早馬のように数里を駆け、明け方私の部屋に参り、はっきりと申しました。『雪焔が行方不明だ』、と」
「なんと、あと雪焔殿が…。まさか、敵軍に攫われて…」
「私も、そのように考えております。我が娘ではありますが、それを抜きにしてもあいつの剣技は突出している。魔軍らに後れをとるなど万に一つもござらん。考えられる理由は、砦を壊滅させるほどの武力によって押し切られた、ということ以外にありません」
「うむ。もっともだ。伝令が戻ってこられたからこそ、この事実を知ることができた。例年では此度の大戦は終結しているが、今回は事情が異なる。こちらから北方の大森林へ出陣すべきか」
そこから紛糾する議論に、伝令隊員は軽くめまいのようなものを感じ始めた。自分が伝えなければいけないこと、一刻も早くお伝えしたい、しかし、今自分が声を上げるべき場面ではない。伝えなければならないのに―真実を。そう葛藤しながらフラフラとした意識を何とかつなぎとめていると、不意に野太い声が場の空気を変えた。
「まぁ、皆落ち着かれよ。まずは、伝令の話を詳しく聞いてみようではないか。先ほどから口をパクパクさせておるぞ。何か申すことがある様子じゃ」
先ほどまで視界の隅に入れているだけだったヨレヨレの寝間着がどんな上等な鎧よりも輝いて見える。そういう錯覚に陥りそうなほど、伝令隊員にとってこの瞬間の豪角は間違いなく英雄であった。
ふと我に返ると、豪角、静焔ら歴代5人の豪傑たちがじっと伝令隊員に視線をやる。先ほどまで暴れ牛が引く台車の車輪もかくやとばかりに回っていた口が、今や嘘のように静かだ。皆、伝令隊員の言葉を待っていた。
「は、はい…。そ、それ、それでは!も、申し、申し上げ…ます……」
緊張で声が震えていることを自覚しつつ、伝令隊員は絞り出す。自分の職責はなんだ、ここで言葉を出さなければ、自分が存在する価値はない。そう、一世一代の大勝負が今なのだ。
「せ、雪焔様が未明に行方不明となりました。大森林の方向へ消えて行ったのは間違いございません」
あぁ、と落胆のため息が聞こえたような気がした。人が、というよりはこの場の空気が音を発したような気分であった。
「して、行方不明となった直前の状況ですが…」
全員が固唾をのんで聞き入る。果たしてどれほどの被害なのか、敵の数は、主力となる術は、生存者は望める状況なのか、続く敵軍の侵攻は…。
「大戦終結直前、敵軍は前線砦へ攻めてきました。数はおおよそ100」
100。これは局地戦としても少ない数だ。静焔は考える。つまり、数による蹂躙ではなく新たな、そして強力な術による蹂躙…まさか、試運転のようなものだったのか、と。
「その100に対し、雪焔様をはじめとする砦の者たち全員が応戦。そして―」
次こそが核心に迫る部分だと、もはや息をすることさえ忘れて皆が伝令隊員の言葉を待っている。
「撤退する数体の残党を雪焔様は追いかけて行かれました!!!!!」
言い切った。ようやくいうべき事項をすべて報告できた。初めに報告した際に大軍団長様が何やら大げさに考え始めた。さすが長たるものは常に最悪の事態を想定するものなのだと学ばせてもらった。正直あの場ですぐ、無理やりにでも指摘、訂正すべきだったかもしれないが、一介の伝令隊員にとって大軍団長なんて雲の上の存在だ。おいそれとお考えを真っ向否定なんてことになったらどんな目にあうか…、なんて考えてたら、さっさと軍議の流れになるし、道中意を決して申し上げようとしたら豪角様に遮られるし…。豪角様の姿を見ながら、自分がすべてを伝えきれていないことに対して「本当の敬意」とは何かを考えてたりしているうちに、ここまで大きくなってしまったが、兎にも角にもちゃんと伝令できた!今日はもう何もしない!大戦は無事終わりを迎えているのだ!たくさん飲んでたくさん寝るんだ!重圧から解放された伝令隊員の目からは大粒の涙があふれていた―。
伝令隊員が下がったのち、合議の場には重い空気が漂っていた。誰も口を開こうとしない…。さっきまで大笑いをしていた豪角だけは、今も口元をおさえてクスクスと笑いを堪えている。
前線の砦は今も堅牢のまま、そして雪焔は攫われていたのではなかった。ただ…自ら進んで敵地に単独で侵攻をしている、という状況。最悪の事態は回避されたが、それでも新たな悩みの種は生まれるものだ。
「―どうします?この状況」
「どう、と申されますのは?」
「いや、だから雪焔殿を救出?お迎え?に向かうのか否か、ということです」
「そりゃあ、こちらから人を遣わすべきだとは思うが…。もし―」
二人の議論を遮り、静焔が声を上げる。
「もし、あのお転婆ウシ娘が敵軍の藪を突いたりすれば、また苛烈な攻めを我らは受けるかもしれない。そうなると、こちらの守りも固めつつ人を派遣することになる。少数…1~2名程度でよいだろう」
「たしかに、こちらの守りを薄くするのは危険ですな。では、だれを遣わします?」
「俺が行こう」
皆が目を丸くして発言の主を見やる。手を挙げた者―静焔は静かに周りを見回した後に続ける。
「俺が行けば最少人数で済む。俺が一人で行って一人でバカ娘を連れ帰ってくる。帰りの道中でみっちりお仕置きのフルコースだ」
「し、しかし。大軍団長が不在となるとこの陣が…」
「そんなものはどうにでもなろう。お主らがいるではないか。藪を突くく前に引っ張ってくるよう急ぐので安心されよ」
「まぁ、そこまでおっしゃるのであれば…」
静焔の迫力に押され、その場にいる皆が静焔派遣で話がまとまりつつあった。
「待ちな!」
決定直前の弛緩しかけた空気を切り裂いたのは太く力強い声であった。
「豪角殿。何か気に入らぬことでも?」
「静焔。てめぇは自分の娘だから自分が行くと言っているのか。それとも大軍団長としての責務として言っているのか。どっちなんだ」
鋭い眼光で静焔を見る豪角。いつもの馴れ馴れしくはあるものの一応の上下関係を守る口ぶりとは大きく異なる、不遜だが有無を言わさぬ迫力を蓄えた口調に、静焔は慎重に考え、口を開く。
「―娘を死地より救いに行く。これは父としての私の責任だ」
「なるほどな。よぉく分かったぜ。静焔。半刻の後、演習場に顔を出しな」
それを言うと、豪角は乱暴に立ち上がり、合議の間を出ていく。それをきっかけにこの話し合いはお開きとなった。
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