異界大戦

@Azuki_Yuki

第一話 これは、終わりの日から始まる物語

 ―いくつだ―

 金属を切り裂く感覚が、掌から駆け上がってくる。

 ―俺は、いくつ―

 業物を振るう彼の腕は、徐々にその感覚を失っていく。

 ―いったいどれだけ―

 幾度振るったのか、彼の周りには数十、数百の金属塊がうずたかく積まれていた。

 ガキン、という音が響き、金属塊がまた一つ追加される。次に彼を包んだのは静寂だった。そして彼はじっと自分の手を見る。何百何千の敵を死地に送り込んだ愛刀「泡沫」と、何千何万回それを振るい、今また酷使されて小刻みに震える手だ。

 ふぅ、と彼は大きく息を吐く。そして、返り血一つついていないその手を、彼は一度握りしめて震えを止め、後に「魔軍大戦」で史上最恐の激戦区と呼ばれる場所をゆっくりと歩き出した…。

 

 「いやぁー。今回も、危ういところでしたな!」

 やけにゴツゴツとした湯呑になみなみと注がれた酒。透明で一見して水のようだが、そこから立ち込めるアルコールの匂いが横に5席ほど離れた彼のもとにまで届き、彼は思わず顔をしかめる。

 「いや、まさに天晴!というほかございませんな!よくぞあの戦場から戻られたものだ。後始末に行かせた者たちから聞いた話では、あれほどの魔軍の屍なんぞ、目にした今でも信じられないと言うておった」

 「あんなに頭の固い検分畑の役人がなんと、起きてみる夢とな!いつの間にそんな戯れを申すようになったか。それはよっぽどの光景であったのだろうな」

 おそらく超ド級であろうアルコール水をジャバジャバと口に流し込みながらひげ面の男がいう歯が浮くような賛辞に、キツネ目の色白男が反応する。まったく、なんともつまらない会話だ、と内心で呆れ返りながら、屍の山を築いた彼は目の前の熱すぎるほうじ茶が冷めるのをじっと待つことにした。その湯呑は美しい流線を描く。まるで我が世を流れる九十九川のように右に左にと規則正しく蛇行し、その動的な模様の中にどこか凛とした静寂さも感じさせ、まるで湯呑に引き込まれていくような―

 「―の。―殿。……静焔殿!」

 湯呑に気を取られていた彼―静焔と呼ばれたその男の意識が急速に体内に戻っていく。

 「お、おぉ…。これは失敬。して、何用かな」

 いくら急いで気を引き寄せても、結局誰が話しかけてきたのかわからない静焔は、とにかく人がいっぱいいるほうへ大きめに答えてみる。

 「何用かな?ではござらん。まったく、我らが世の大軍団長ともあろうお人が一体何にそれほど心奪われておいでなのか…。まぁ、何はともあれ、此度も凄まじいご活躍!天晴!うむ、天晴ですな!ガハハハッ」

 どうやら話しかけてきたのは、いつの間にか三本目の酒の栓を開けたひげ面の熊男のようだ。天晴という言葉がお気に入りらしい…。

 「いや。私ごときの剣一本で切り抜けた戦場というわけでもござらん。皆、一様に死地を切り抜け、今回の魔軍大戦も切り抜けることができた。そして今、こうしてまた皆で酒を飲みかわせることがうれしい」

 「うむうむ!まっことそのとーりじゃな!ところで、おぬしはいつになったら酒を飲めるようになるんじゃ~」

 「いやはや私は下戸で―」

 だる絡みする熊男という精神的凶器をあしらおうとしたところで、背後から強烈な閃光と水しぶきを感じた。

 「なんだなんだ。雷と雨かいな。こんな時に…」

 

 屋敷の廊下を歩きながら、止む気配のない豪雨と雷鳴が生み出される黒雲を、静焔は静かに見上げた。興がそがれた、と言って酒宴はお開きになり、各々が自室に引きこもるところだ。静焔もそれに倣うが、目の前にあった湯呑の流線を思い出し、そして、この黒雲の先、天にある川にも思いをはせる。周りに人がいないかと見渡し、静焔はゆっくりと刀の柄に右の手をかけた。わずかに上半身を左へ回す。眼光は鋭く、黒雲を一点に見つめている。少しずつ鞘に覆いかぶさりそうなほど体を丸め、より大きく体を捩じりこむ。あとは右足を一歩前へ踏み出すと同時に自身に溜まった力を解き放つだけだ。

 (一閃を究め極閃と成し、遂に龍閃へと至る。龍なれば黒雲も断ち切れるだろうか。そして龍と流の邂逅もまた叶うものか…)

 静焔は静かに息を吐き、集中を極限に高める。降りしきる雨音が遠く感じ、雨靄が立ち込めるほど強く細かい雨脚。静焔の眼はその一粒一粒を切り分けて認識した。その刹那―。

 キンッ、と甲高い音を立てて静焔が放った一閃は、しかし黒雲には届かなかった。振りしきる雨の中を刃が通過し、その軌道上を通った雨粒はその抜刀の速度ゆえに衝突の瞬間にまるで礫のように硬質化し、わずかな反抗をみせた。それでも、静焔が望む光景は広がらず、目の前の雨は周りよりも一瞬遅れて地面に落ちたが、すぐにまた規則正しい雨音を響かせる。一瞬を境に前と後。確かに切り取られた光景は、その事実を覆い隠すかのように変化を見せない。静焔は静かに納刀しながら呟く。

 「ふむ。やはりまだまだ龍閃には程遠いな」

 「すっげーな!やっぱり静焔の大頭はバケモンだ!」

 突然聞こえてきた声に静焔は素早く振り向く。目の前の襖の先には何も見えない…。部屋の隅でろうそくの炎が揺れているくらいか…。いや、何かが居た。座っているのか視界の下にいたため、すぐには見つけられなかったようだ。静焔はその影を見て脱力のため息をつき、襖を思いっきり開けながら同時に右足を突き出す。

 「ぎゃ!ひどいっすよ大頭ぁ。俺は褒めたんですぜ?」

 「驚かせやがって。お前の部屋、もっと奥だろうが!なんでここにいるんだ!」

 「だって、大人たちばっかり楽しそうでつまらねーんだもん。ここは戦うやつらの屋敷だから、同年代なんて、大頭の娘さんくらいなもんですぜ。ちょっとぐらい近くにいてもいいじゃねーですか」

 「そうはいっても、危うく切りかかるところだ。もし襖を切ったりなんてしたら、お前が弁償代払う覚悟はできてんだろうなぁ!霆華!!」

 霆華と呼ばれたその少年は、年のころは15。戦場では誰よりも遠距離武器の扱いに長け、若いながらも砲撃部隊の最右翼となっていた。いまだ目の前でギャーギャー喚くこの少年を、もう少し年を取ったら部隊長。果ては自分の後任に大軍団長に据えてもいいと思う傍ら、そんな時期まで今の大戦が続いてほしくないと、静焔は日ごろから勝手に自己矛盾の檻に閉じ込められている。

 「だいたいよぉ~、大頭」

 急に口調が変わった霆華へ、静焔は目線だけを送る。

 「龍閃なんて、本当にあるのかよ?」

 「ぶふっ。お、おま、なんでいきなり…」

 「えー?だって、さっき大頭、言ってたじゃんか!『ふむ。やはりまだまだ龍閃には程遠いな』って。やー、やっぱり稀代の大軍団長様は違うねぇ~。おとぎ話の中にしかないものを目の前に生み出そうってんだから。さっきのだって、並みの魔軍だったらよゆーで3匹くらい真っ二つっすよ。俺も一度くらい言ってみたいもんですぜ。『ふっ、まだまだ屠龍を打つには程遠いか…』なんつって。大頭はそんなでもまだ上を目指すってんですか?言っちゃあ悪いがそろそろ40歳…」

 霆華はそこまで言って静焔の様子を窺うように顔を上げ、身を凍らせる。スッと、ただでさえ切れ長で鋭利な眼光がより研ぎ澄まされたように感じる。見つめられただけで真っ二つにされてしまいそうだ。霆華はようやく、自分が言い過ぎたことに気づき、星になった父と母に持っていくお土産話を考え始めたころだった。

 「……あるぞ」

 ぽつりと、静焔は呟く。霆華は慌てて、見ているようで見ていなかった静焔へ焦点を合わせ、言葉の続きを待った。

 「龍閃はあるぞ。それに俺はまだまだ強くなるしな。この前だって、戦いながら新しい足さばきを見つけたんだ。これで今まで以上に効率的で体力の消費を抑えながら動けるし、攻めの後隙もより抑えられる!詳しく説明するとだな―」

 「あーー!もうわかった!分かりました大頭ぁ!だから、その武術の話題で言葉を決壊させる癖、やめてください!」

 先ほどまで名工の業物のようであった眼が猫のようにまん丸な形に変化したのを見て、先ほど以上の恐怖を感じた霆華は必死に静焔を止める。ここで夜明けを迎える気はないのだ。


 「ところで大頭。一体いつまで俺たちは今日みたいな戦いをしなきゃいけねぇんですか」

 「なんだ、藪から棒に…」

 一通り他愛ないことを話していたが、霆華が急に神妙な面持ちで話し始めたのを見て静焔は押し黙り、先を促す。

 「いや。敵さんの大将もわからねぇまま、もう30年って聞いてますぜ。今や敵なしの大頭が俺よりちっさかった時から始まってる。こんなに長い間やりあってるのに、あちらさんの目的も、何者なのかも分かっちゃいないってのは、一昨年から戦場に入っている俺ですら疑問に思う。大頭も実はそうなんじゃないかって…」

 「魔軍大戦か…」

 

 魔軍大戦

 始まりは30年前。突如として北の大森林より、白い甲冑に身を包んだ者たちがやってきた。彼らは言葉を解してはいたものの、見たこともない武力でこの世界を蹂躙し始めた。彼らの武力―何も無い空間に火や水を出現させたり、大地をまるで波のように揺らしたり、風の刃で我々を切り刻んだり―を、彼ら自身が“マホウ”と呼んでいた。こちらは意味が分からなかったのだろう。正体が見えない相手を皮肉って、『魔を砕く』という意味で『魔崩』と名付けたらしい。まったく、昔から精神性は最強だったようだ。

かくして、最初の魔軍の侵攻は3年続き、圧倒的な武力に成す術がない我々の世界は、その人口が10%にまで落ち込んだと見込まれているそうだ。散り散りに住んでても次の侵攻であっという間に絶滅させられるのは火を見るよりも明らか。そこで、人類は決断をした。『戦えるものを集め、徹底的に鍛え上げ、その子にも幼い時より修練を積ませる』と。まさに悪夢の3年が終わり、彼らはまたも唐突に北の彼方へ消えて行った。そしてその3年後、再び彼らはやってきた。今度は先の大戦の倍の兵力を引き連れて…。そして3年間、人類はすべての英知、武力、財力、死力を尽くしてわずかな被害でその脅威を跳ね返した。以来、3年の侵攻と4年の空きという周期で奴らは攻めてきている。今回で第5次侵攻だ。それも、明日で終わる……。


 「俺たち、割とジリ貧じゃないっすか?こう、なんとか持ちこたえてるっていうか…」

 大戦の大まかな歴史をおさらいしたところで、結局は、何もわからんけど危機的状況なのはわかる、程度の結論しか出ない。静焔が戦場に出るようになってからも、こうやって当時の年寄りたちが同じ結論に達しているのを何度も見た。

 「本当に不思議っすよね~。敵さんのあの甲冑も、中身は人間じゃなくて、なんかこう、変な管みたいなのがいっぱいで…。気持ち悪いっすよ。遠距離部隊でよかったーって感じっす。間近で見たら…多分吐きます。まぁ、もう今日はここまでは来ないっすよね。なぜだかは知りませんが、敵さん、日付変わってから夜明けまではやってきませんから。今、警戒しっぱなしなのは大森林近くの前線配属でしょ。持ち回りとはいえ、あそこはきついっすよ。なのに相手は妙に健康的ですよね。睡眠時間?なんっすかね。人じゃないのに…。でも俺が思うに―」

 霆華が話続けようとするのを、静焔が手で制した。俺の武術話は遮るくせに、お前の魔軍考察論は永遠と突き合わされてたまるか、と言わんばかりに静焔は霆華をじっと見る。霆華はもっと話したそうな唇をぐっと噛み、その欲求を抑え込んだ。

 「まぁ、なんにせよ、戦わなければこっちが死ぬ。全滅する。何せ建物とかは破壊せず、まっすぐ人間だけ殺しに来ている連中だ。ごちゃごちゃ考えてねぇでさっさと寝ろ」

 そう言って静焔はちらっと部屋の隅のろうそくを見る。だいぶ短くなってきた蝋は、あと一時間ほどで燃え尽きるだろう。燃え尽きるということは、日付が変わる、ということだ。

 自室に戻る霆華の背中を見送りながら、いつの間にか月明かりが浮かぶ空を見上げる。あと一時間…。今日が終わるまで、もうさほど時間はない。前線にいる我が娘の無事を、静焔は静かに願っていた。


 翌日、朝日が昇る前に起床した静焔は、自分をたたき起こした伝令隊員を恨めし気に睨みつけていた。


 「前線よりご報告です!未明より、雪焔様、行方不明!」


 不意に飛び込んできた娘の名が、静焔には昨日切った雨粒のように思えた。

 

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