32.夜会
王の回復を祝う夜会は、久しぶりに宮廷を笑顔で満たしていた。
誰もが、太陽のごときギヨーム王の回復を心から喜んでいた。
金と紅の燭台が揺れ、音楽が流れる。
貴族たちは盃を掲げ、口々に王と王妃、そして“聖女シャルローヌ”への感謝を捧げていた。
その中央で、シャルローヌは慣れない社交の渦に戸惑いながらも笑顔を見せていた。
真白の衣が金の灯に照らされ、彼女の周囲だけが柔らかな光に包まれているようだった。
――その光の端で、紅のドレスがわずかにきしんだ。
イサドラである。
グラスを持つ指先に、白い跡が残るほど力がこもっていた。
「……まるで主役気取りですわね。聖女さまは」
つぶやきはほとんど吐息のようだった。
だが、それは音楽が一瞬途切れた瞬間に、静まり返った空気へと溶け落ちた。
誰もが息を止める。
アレクサンドルが振り向き、低く問う。
「今、なんと言った?」
イサドラは一歩前へ出た。瞳には涙ではなく炎があった。
「聖女がどれほど称えられようと、王家にふさわしいのは血筋の者ですわ。
殿下が感情で国を動かすなど、あってはなりません」
広間の空気が張りつめる。
アレクサンドルの眉が動き、青い瞳が冷たく光った。
「……イサドラ、それはこの場で言うべきことか」
「今だからこそ申し上げますわ!」
イサドラの声は震えていた。
「殿下はわたくしを“政のため”とおっしゃいました。けれど、政のための婚約でさえ、わたくしには愛がほしかった!」
会場がざわめく。
「それを奪ったのは――その“聖女”ですわ!」
シャルローヌがはっと目を見開く。
(わたしのせい……?)
胸の奥が痛んだ。
けれど、横に立つアレクサンドルの表情を見て、彼女は静かに息を吐く。
「違う。奪ったのは俺だ」
アレクサンドルの声が広間に響く。
「俺は、そなたを政治の駒としてしか見ていなかった。
リリオスの名も、美貌も、外交の札にできると考えていた。
……だが、駒には“心”があることを、俺は忘れていた」
イサドラが息を呑む。
一瞬、その瞳に痛みの色が宿った。
そのとき、ギヨーム王の杖が床を叩く音が響いた。
「もうよい」
全員が王を見た。
「イサドラ姫よ。そなたの気持ちも、アレクサンドルの愚かさも、今聞いた。
――だが、王家を支えるのは“血”ではなく“心”だ」
低く響く声に、広間の空気が震える。
「そなたは己の心にとらわれるあまり、場もわきまえず聖女の成し得たことへの感謝も足りぬ。他者への心なき高貴さは、ただの虚飾。王を支える器ではない。
よって、この婚約をここに破棄する」
どよめきが走る。
だが王は続けた。
「そもそもこの婚約は、我が誤りから始まった。
ラザールの言葉に乗せられ、息子の意に沿わぬ約を交わした。
その責を、王としてここに正す」
王妃マルゲリータが一歩進み出る。
「陛下のお言葉、わたくしも賛同いたします。
――このシャルローヌ姫は、陛下の命を救い、わたくしたちの国を救いました。
それが真の“高貴”というものです」
場の貴族たちが静まり返る。
イサドラの顔から血の気が引いた。
それでも、すぐに唇の端を上げ、気高く言い放つ。
「つまり殿下は、わたくしを選ばないのね」
アレクサンドルがまっすぐに応じる。
「選ばなかったのでも選んだのでもない。シャルローヌしかあり得ないだけだ」
一瞬、イサドラの瞳に揺らぎが走った。
だが次の瞬間、紅いドレスの裾がふわりと翻る。
「結構ですわ」
微笑みは涙よりも誇りに満ちていた。
「リリオスの女は、誰かに選ばれるために生まれたのではありません。
――わたくしが、あなたを選ばなかっただけのことですわ!」
そのまま踵を返し、背筋を伸ばしたまま去っていく。
足音が遠ざかるたび、広間の空気が静まり返っていった。
沈黙を破ったのはリオネルだった。
「……リリオスの薔薇、棘がすごいな」
王妃マルゲリータが扇をたたみ、ふっと笑った。
「でも――少し惜しい方でしたわね。
あの方の華には、孤独の香りがいたしました」
シャルローヌは少し黙ってから、真っ直ぐに言った。
「でも……わたしにとってアレックスは、誰かと“共有”できる人ではありません」
その言葉に、アレクサンドルが驚いたように振り向く。
シャルローヌは自分の言ったことに顔を真っ赤にしながらも、逃げずに続けた。
(アレックスはあんなにはっきりわたししかいないって言ってくれたもの)
拳を握って宣言する。
「わたし、アレックスを独り占めしたいんです」
瞬間、広間の空気が凍りつき、次の瞬間に爆発したようなざわめきが起こる。
アレクサンドルの顔が一気に真っ赤になった。
「な、なにを公衆の面前で……!」
「だって、アレックスだって!」
シャルローヌも真っ赤なまま言葉を詰まらせた。
シャルローヌの指輪が、わずかに震えている。
(あ、また……!)
アレクサンドルの黒い魔力も反応し、二人の間にかすかな風が生まれた。
(くっ)
周囲の廷臣たちが「おお……?」と身を引く中、
リオネルがワクワク顔で呟いた。
「来るぞ、来るぞ……今度はどんな派手なのが――」
しかし光の爆発は起きなかった。
「無理するな、シャルローヌ」
アレクサンドルが一歩近づき、思わず彼女を抱きしめた。シャルローヌも必死に抱き返す。
互いの指輪が光り、制御の限界を超えそうな熱が走る。
二人は魔力をやり過ごそうと、互いに強く抱きしめ合う。
――静寂。
だが周囲から見れば、広間の真ん中で王子と聖女がずっと抱き合っている構図だった。
王妃マルゲリータがそっとため息をつく。
「……まったく」
マルゲリータの扇がひらりと舞い、指先が合図を送る。
すぐに楽士たちが心得たように弦を鳴らし、舞踏の旋律が流れ出した。
人々が笑みを浮かべて踊り始める。まるで抱き合う二人を包み込むように。
ギヨーム王が笑って言った。
「さすが我がマルゲリータよ。何度でも惚れ直させるものだな」
王妃は扇で口元を隠しながら、少し頬を染める。
「もう……陛下ったら」
王が手を差し出した。
「一曲、いかがかな?」
「――喜んで」
光の輪の中、王と王妃がゆるやかに踊り出す。
そのすぐ傍らで、抱き合ったままのシャルローヌとアレクサンドルが、ようやく顔を見合わせ、少し照れくさそうに笑った。
弦の音が高く鳴り響いた。
宮廷に、久しぶりの温かい夜が戻っていた。
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