23.お茶会

 王宮の薔薇の間は、百の花の香りに満ちていた。色とりどりの菓子が並び、銀のポットからは湯気が立つ。王妃マルゲリータが自ら主催するお茶会――その席に、ヴァレンシエールの王太子と、リリオス王国の姫イサドラが並んで座っていた。


 イサドラは、年頃の娘らしく華やかだった。白金の髪をゆるく結い上げ、唇には艶のある紅。同じ年頃の王太子を、飾りのように扱う余裕を漂わせながら、潤んだ瞳で見つめている。


「ねえ、殿下。こちらの花はリリオスから取り寄せましたのよ」

 イサドラは嬉しそうに声を上げ、傍らの花籠を差し出した。

「ヴァレンシエールでは見かけないでしょう? とても高貴な香りがするのです」


 アレクサンドルは穏やかに微笑んだ。完璧な角度、完璧な間合い――誰が見ても模範的な王子の微笑みだ。


「美しい花だ。王妃殿下もさぞお喜びだろう」


「まあ!」イサドラは頬を紅く染め、両手を胸に当てた。

「殿下にそう言っていただけるなんて……! ねえ、王妃殿下、殿下のお声があまりにお優しくて――」


 王妃マルゲリータは扇の陰で静かに笑った。

 (やれやれ、かわいいこと。少し愚かなくらいの方が扱いやすいわね)


 近くには、シャルローヌも聖女として招かれて座っている。

 周囲ではささやきが飛び交っていた。


 「婚約者の姫を二人とも同席させるなんて」

「やはり王妃殿下の采配は抜かりない」


 当のシャルローヌは、アレクサンドルとイサドラの様子を、満足そうに眺めていた。

(よかった……アレックスが笑ってる。リリオスの姫は大人っぽくてお綺麗だし、明るい感じだし、アレックス、きっと幸せになれる)


 イサドラは、やがて話題を変えた。

「それにしても、シャルローヌ様のご活躍といったら! 魔獣を斬ったですって? 伝説の剣豪聖女……ふふ、想像していたより可愛らしい方」


 嫌味を含んだ優雅な声。だがシャルローヌは気づかず、素直に頭を下げる。

 「ありがとうございます。私など、まったく伝説じゃないですけれど」

 

 イサドラは嫌味が通じなかったことを察し、一拍置いて、扇で口元を隠しながら囁くように続けた。


「魔獣だなんて、恐ろしくてわたくしなら気を失ってしまいますわ。けれど――殿方の前で剣を振るうなんて……いささか、品がないのではありませんこと?」


 場が少しざわめいた。その瞬間、マルゲリータの扇の動きが止まる。

 (この娘、直截すぎる……少し頭が軽いのかしら)


 だがアレクサンドルは、微笑んだまま動じない。穏やかに言葉を返す。


「剣を振るう姿にも、気高さがある。この国は彼女に救われた。その事実を、誇りに思っている」


「まあ……殿下がそうおっしゃるなら、わたくしも学ばなくてはなりませんわね」

 イサドラはわざとらしく頬を染め、アレクサンドルの腕に触れようとした。その瞬間、彼の指先がさりげなく椅子の肘掛けを掴み、かわす。動作はあまりに自然で、誰も気づかない。


 リオネルだけが、離れた席からその一部始終を見ていた。

(……出たな、“仮面の笑み”。完全に社交モードだ。黒太子、今日も麗しい)


 リオネルは内心でため息をつく。

(表面は完璧、心は凍りついてる。あの顔を向けられたらどんな姫だって惚れるかもしれないけど……俺なら魂まで凍りそうだ)


 イサドラは無邪気に笑い、さらに甘ったるい声で言った。

「ねえ、殿下?今度の婚約式、こちらの聖女に祝福を賜りたいわ。よろしいでしょう?」


 その場の空気がぴしりと張り詰めた。

「婚約式にもう一人の婚約者の祝福を?」

「前代未聞だ……」


 アレクサンドルは、ふっと微笑を深めた。

「聖女の祝福がなくとも、盛大な婚約式になると聞いている。過剰な演出はかえって興ざめになるかと」


 だがイサドラは引かない。

「だってこちらの婚約式は黒や白だけの質素なものなのでしょう?せめて祝福くらい派手にしてもらわないと」


 シャルローヌはくすくす笑う。

(祝福が景気づけの花火代わり?面白いな、イサドラ姫)


 アレクサンドルはそのシャルローヌの笑みをちらっと見た。

 

「――たしかに。それもよいですね」

 低く落ち着いた声で答える。

「“黒”とは、光があってこそ映える色ですから」


 その言葉に、場が一瞬静まる。マルゲリータの目がわずかに細められた。

 (祝福のことにかこつけて、聖女を光と呼んだのね……この場で)


 シャルローヌは気づかない。

 ただ「なるほど、いいこと言うなあ」と感心しているだけだった。


 イサドラは意味もわからず拍手してはしゃいでいる。

「まあ素敵! なんて詩的なお言葉! わたくし感動しましたわ!」

 満面の笑みを浮かべて、自らのわがままを通したことで、シャルローヌに勝った気になっているようだ。


 アレクサンドルはその声に微笑を返す。美しい、完璧な、氷のような微笑。誰も見抜けない。

 ――その笑顔の下で、彼の胸に沈むのは苦い痛みだけだ。


(これでいい。国のためだ。聖女のためだ。……心など要らない)


 笑みを保ったまま、彼は立ち上がる。

 その姿を見て、女官たちが息を呑み、貴族たちはそろって頭を下げた。


 

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