21.戦闘後の余韻

 廃墟の奥。鎖につながれていたのは十人ほどの娘たち。どの子もシャルローヌと同じ金の髪を持ち、怯えと疲労で顔はやつれていたが、命は奪われてはいない。食事も水も与えられていたようで……ただ「生かされたまま」繋がれていた。


 リオネルが眉をひそめる。

「……妙ですね。なぜ殺さなかった?」


 アレクサンドルの目が暗く光る。

「殺すのではなく――“飼って”いたのだ」


 娘たちは震えながら口々に語り出す。

「黒い影が来て……心を覗かれるような感覚に……」

「寂しい気持ちを……吸い取られるんです。力が抜けていって……」

「疑う心とか、怒った気持ちとか……楽しそうに舐めて……」

「馬車で外に連れ出されて、家族の泣く顔を見せられて……それを笑って……」


 その言葉に、胸の奥がざわついた。

(心を……喰らっていた?)


 アレクサンドルが吐き捨てるように言う。

「魔族だ。奴らは人の心の陰を糧にする」


「魔獣と違うの?」シャルローヌが思わず問う。

「ああ。魔獣は獣だが、魔族は知恵を持つ。人に似た姿で、人の心に潜り込む」

 説明というより、アレクサンドルの声には冷たい怒りがにじんでいた。


 リオネルが小さく付け足す。

「さっきの兵どもは人間ですよ。魔族に縛られて、いいように操られていたんでしょう」


 「……だからって、こんな……!」

 カイルが強くエレナを抱きしめる。

 震える声で、エレナが答えた。

「馬車で外に連れ出されたとき……ハンカチをそっと落としたの。誰かが見つけてくれるかもって……」


「すぐにわかったぞ。エレナのハンカチだって」

 カイルの声に、エレナの瞳が潤む。

「……あなたが迎えに来てくれるなんて、思えなくて……でも、思いたくて……ありがと……」

 彼女は言葉を続けられず、ただ涙に顔を埋めた。


 私は彼女たちを見回し、胸の奥で静かに誓う。

(もう二度と、こんな目に遭わせない)


 夜明け前の風が吹き込み、廃墟の匂いを洗い流していった。空が白み始め、娘たちの瞳にもかすかな光が戻っていく。

 

 ◇

 

 廃墟の奥から鎖に繋がれていた娘たちを助け出し、騎士団を呼んで全員を送り届けさせた。シャルローヌとアレクサンドルたちはエレナを連れ、王宮の客間へと戻り、ばあやの入れてくれたお茶を飲みながらようやく場の空気が落ち着いてきた。エレナはまだ震えながらも、カイルの握ってくれる手をしっかり握り返している。


「……エレナ、もう大丈夫だ。俺がいる」

 必死にそう繰り返すカイルに、彼女はかすかに首を振った。そしてぽつぽつと一生懸命言葉をつむぎはじめた。


「……わたし……ずっと心配だったの。カイルは優しいけど……わたしには一度も、はっきり“好きだ”なんて言ってくれなかった。周りのみんなには楽しそうに話してるのに……わたしだけ知らないままで……」

 カイルが驚愕の表情でエレナを見る。


 話しながらしだいにエレナは涙声になってくる。

「婚約したとたんに……王都を離れてあちこち遠くへ仕事に行ってしまうし……わたし寂しいっていうか、不安っていうか、カイルを信じ切れていなくて……きっとわたしのなかのそういうよくない気持ちにつけこまれたのだと思う。ほんとうにごめんなさい」

 

 カイルの顔から血の気が引いた。

「そ、それは……! 俺は、ずっと思ってたんだ、誰よりも大事だって……! でも、いざ本人を前にすると……仕事で遠くに行っていたのは、エレナに花嫁衣裳とか結婚式とかそういうのをどんと贈りたくて」

 言い訳のようにしどろもどろになる。


 ばあやが大げさにため息をついた。

「はあ……殿方というのはどうしてこう、大事なところで黙るのですかね」


 シャルローヌも驚いた顔で言う。

「あんっなにのろけていたのに、肝心の本人には伝えてなかったなんて!」


「の、のろけ……!? 俺そんなに言ってた!?」

「さんざん!」

 周囲が一斉に突っ込む。ばあやが言う。


 「わたくしが初めてお会いした日には、大事なんてもんじゃねえ! エレナの笑顔は世界最強だぞ。あれ見たら魔獣も牙を抜かれる。しかも気が利くし、飯もうまいし、胸も立派だしぼんきゅっぼん、声は鈴みたいにかわいいし、俺がヘマしても『カイルならできる』って励ましてくれるし――とおっしゃっていました」

「ちょ、ちょ、ちょ、ちょっと待って!」カイルが叫ぶ。

「あら。違いましたか?昔は記憶力がよかったのですが……さすがに寄る年波にはかないませんわね」


 全員が、今後この老女の前でうかつなことを言わないと心に誓ったのだった。


 エレナが顔を赤くして聞く。

「カイル、ほんとうなの?あの、その、そんなふうに思っていてくれてたの?」

 カイルは顔を真っ赤にしてエレナを見つめた。

「エレナ! 俺は本当に……ずっと好きだった! ちゃんとエレナにむかって、言葉にできなくてごめん。でも、心から……!」


 涙をにじませたエレナの頬に、ようやく柔らかな笑みが戻る。

「……ありがとう。助けに来てくれるってちゃんと信じられなくて。でも、カイルは来てくれた。それだけで……もう、何も怖くない」


 ふたりが強く抱き合う姿に、誰もが優しい気持ちになった。シャルローヌは胸の奥が温かくなるのを感じながら、小さく笑った。

(よかった……しあわせになれ、ふたりとも)


 カイルとエレナが会えずにいた間の話をしている。そうしているうちにも、エレナの表情に生気が戻ってきている。


 「でも……」と、エレナが指先をもじもじさせながら口を開いた。

「カイルは、こんなお綺麗なシャル様と旅をしてたんでしょ? 比べたら、わたしなんて……」


 シャルローヌが慌てて手を振る。

「ちょ、ちょっと待って! わたしとカイルは、全然そんな関係じゃないよ。カイルは……お兄ちゃんみたいなもんだから。安心して、エレナ」


 その言葉に、アレクサンドルの表情がふっと緩んだ。

(しっかり聞き耳を立てていたな、アレックス。顔に出てるぞ)とリオネル。


 しかしエレナはまだ視線を落としたまま。

「でも……」

 欲しいのはカイル自身の言葉だった。


 カイルは一瞬たじろぎ、次に顔を真っ赤にして必死に叫んだ。

「そうだよ! たしかにシャルは綺麗かもしれない! でも俺にとっては、エレナがこの世で一番なんだ! 俺がときめくのはおまえだけ! 信じろ!」


 そして胸を張り、ドヤ顔でとどめを放つ。

「シャルの水浴び姿を見たって、なんにもドキドキしなかったぞ! エレナ、おまえだけだ! 」


 エレナの頬がぱあっと赤くなり、嬉しそうに笑みを浮かべた。


 その直後――。


「……いま、聞き捨てならないことを聞いた気がするが」

 低い声と共に、黒いオーラがもやもやと立ち昇った。アレクサンドルが氷点下の気配をまとい、空気を震わせる。


 カイルが「はっ」と我に返ったが遅い。

「ひ、ひえっ!? ちょ、ちょっと待ってください殿下! 落ち着いて!」

 リオネルが慌ててアレクサンドルの腕を押さえ込む。

「抑えろ、アレックス! カイル、死にたいのか!」


 当のシャルローヌはというと、半泣きで叫んでいた。

「どーせわたしなんて! “ぺったんこ”で、エレナと比べたら全然女らしくないんだから!」


 リオネルとカイルが同時に「そこじゃない!」と突っ込む。


 (だいたい、剣を振るうには余計な邪魔がないほうがいいんだから! 帯刀無心流はシンプルが美学! ……って、なに自分で慰めてるのよぉぉ!)

「アレックスだって、ぼんきゅっぼんがよいんでしょ!?」


 勢いあまってシャルローヌが口走ると、背後でばあやが「まあまあ……殿下のお好みが気になるのですね」と嬉しそうに頷いていた。


「い、いや、俺は……!」

 アレクサンドルは完全にうろたえ、普段の冷徹さなど欠片もない。

「たとえ、つるぺたであろうとも……」


「そこまで言ってないし!」

 シャルローヌが真っ赤になって叫び、広間は爆発するような笑い声と慌てふためく声で包まれた。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る