20.エレナ救出の戦い
月が雲間に隠れたり現れたりする夜。王都の大通りから外れた道に、一行は身を潜めていた。先日見た黒塗りの馬車は、必ずまた夜に動く。噂を頼りに、この通りで張り込むことにしたのだ。リオネルのほか、選りすぐりの近衛兵も数名同行している。背後ではアレクサンドルの近衛隊がひそかに配置につき、ばあやは城で皆の無事を祈ってくれている。
カイルは石垣に身を寄せて、手のひらを何度も開いたり閉じたりしていた。
「エレナのハンカチの場所が手がかりだ」
リオネルが短く応じる。
「この辺りで娘の失踪が集中している。狙いは外れていない」
シャルローヌは背に剣を負い、呼吸を深く刻んだ。緊張で唇が乾く。それでも胸の奥には熱が積み重なっていく。
(絶対に助ける。エレナも、消えた娘たちも――全部だ)
闇の中でカイルが小さくもらした。
「……エレナに会えたら、俺、なんて言えばいいんだろう」
伏せた目。噛みしめた唇。
「たぶん……『遅くなってごめん』って、謝るんだろうな」
シャルローヌは声をかけかけて、やめた。代わりに拳を軽く握って、彼の肩を小突く。
「だったら、その言葉をちゃんと届ければいい。今は考え込む暇なんてない」
カイルは目を瞬かせて、それから口の端をかすかに上げた。
「ああ……そうだな」
(でも……会ったときのことを考えるだけで力が出るのも確かなんだろう)シャルローヌは胸の奥でそう思った。
少し離れた場所、黒いマントをまとったアレクサンドルが腕を組み、月を仰いでいた。
「……焦りは命取りだ。声を殺し、動きを合わせろ」
冷静な声。しかし横顔の張り詰め方で、彼も同じ緊張を抱えているのが伝わってくる。
やがて、夜の静けさをかき乱すように、かすかな車輪の軋む音が近づいた。一行の耳が一斉にそちらへ向く。
「来た……!」
カイルが囁き、皆の背筋に稲妻が走る。黒塗りの馬車が闇を押し分けるように現れた。
黒塗りの馬車はゆっくりと通りを進んでいく。御者は前を向いたまま、まるで周囲の視線を気にも留めない。その異様さが、かえって不自然さを際立たせていた。
「ついて行くぞ」
アレクサンドルが短く告げる。一行は闇に紛れて距離を取りながら尾行した。石畳から土の道へ。灯りの少ない裏道を抜け、やがて馬車は郊外へと向かう。
夜露に濡れた草を踏みしめながら、カイルが息を殺して囁いた。
「郊外に出る気か……」
シャルローヌは剣の柄に手をかけ、視線を細める。
(どんな場所でも行く。止まる理由なんてない。見つけ出すんだ、必ず)
やがて馬車は古びた建物の跡に入った。崩れかけた石造りの壁、ひび割れた鐘楼。しかし入口には無骨な鉄扉が取り付けられ、松明を持った兵が立っていた。
「ただの廃墟ではないな」
リオネルがつぶやく。
合図とともに扉が開き、馬車は中へ。私たちは外壁の陰に体を滑り込ませた。
「中に娘たちが……?」
カイルの吐息がこぼれる。
アレクサンドルは剣の柄に手を添え、低く告げる。
「確かめるしかない。――行くぞ」
シャルローヌは仲間たちと共に頷いた。闇の中、リオネルを先頭に、彼らは静かに廃墟の奥へと踏み込んでいった。一行は息を潜め、廃墟の壁の隙間から中を覗いた。
そこには――松明の明かりに照らされた空間。石床には鎖が引き延ばされ、何人もの娘たちが繋がれていた。その中に、痩せこけた顔で座り込むひとりの少女がいた。
「……エレナ!」
カイルの声が、抑えきれずに漏れた。
鎖の音がしゃりと鳴り、少女が顔を上げる。疲弊しきった瞳の奥に、かすかな光が宿る。
「……カイル……?」
カイルはもう我慢できなかった。シャルローヌの制止も聞かずに駆け出し、膝から崩れるように彼女の前に座り込んだ。
「エレナ! 無事で……よかった……!」
少女の指が震えながら伸びる。
「……まさか、来てくれるなんて」
カイルの目に涙がにじみ落ちた。
「遅くなってごめん」
その言葉に、エレナの目尻からも一筋の涙がこぼれた。シャルローヌは二人の姿を見つめ、胸の奥が熱くなるのを感じていた。
(よかった……本当によかった……!)
だが感傷に浸る間もなく、背後から足音が響いた。鎧の擦れる音。敵兵の影が松明に揺れた。
「――侵入者だ!」
鋭い叫びとともに、金属の抜き放たれる音が夜気を切り裂いた。
シャルローヌはすでに抜剣していた。銀の刃が松明の光を裂いて走る。
(帯刀無心流――)
槍の穂先がぶれるより速く、一太刀で払う。舞のようでいて、狙いは正確に急所へ。
背後から迫る気配。振り返るより先に、黒いマントが翻り、鋭い音とともに剣が交わった。
「俺の目の前で――俺の女に手を伸ばすな!」
「っ!?!?!?」
思わず動きが乱れる。え、いま……なんて言った?
(お、おれの女!?いやいやいや、ちょ、ちょっと待って!?心臓落ち着け、落ち着け私!)
鋭い一閃が敵を両断し、鮮血が飛び散る。彼の背中は揺るぎないのに、シャルローヌはもう大混乱だった。
「殿下ぁぁ!どさくさに紛れて口に出しちゃいましたねぇ!」
リオネルがわざと大声で笑いながら斬り伏せる。
「え!? い、今の思わずぽろっと本音が!?」
カイルも思わず突っ込みながら敵を蹴り飛ばす。
「う、うるさい!戦え!」
アレクサンドルが真っ赤になりながら叫ぶ。その横顔すら、剣の閃きで隠せない。
私はぶんぶん頭を振る。
(集中!集中!無心――無心!)
意識を整えると、刃が自然に走り、敵の槍をいなして返す一撃で倒す。
「シャルローヌ、右だ!」
「任せて!」
呼吸を合わせるように、互いの死角を補い合い、刃を交差させて敵を薙ぎ払っていく。
リオネルは一歩前へ出ると、大胆に剣を振り抜き三人まとめて斬り伏せた。
(強い!知らなかったー。ツッコミの切れ味くらい見事な剣!)感心するシャルローヌ。
「殿下の影で霞むのは御免ですからね!」
軽口を叩きながらも、踏み込みは近衛隊長の迫力そのもの。
鎖につながれたままのエレナを庇いながら、カイルも必死に剣を振るう。
「エレナを……絶対守る!」
その一撃は、彼にしては驚くほど重く速い。そして――鎖に振り下ろした刃が火花を散らし、鉄を裂いた。
「切れた……!? 俺の剣で……!」
「……愛の力ってやつですかねぇ」リオネルが横目でニヤリ。
自由を得たエレナは、涙ながらにカイルへ抱きついた。
「カイル……ありがとう……!」
その言葉で彼の瞳はさらに燃え、敵を次々と退けていく。
戦況は優勢に見えた。
だが――。
低い唸りが、奥の闇から轟いた。敵兵たちがざっと道を開ける。
現れたのは人の二倍の巨体。赤黒い体毛に、背にはコウモリのような翼。赤い瞳がぎらつき、涎が石床を焼く。
(……ゴリラに羽……!? いや、考えるな!)
「この程度の雑兵で済むとは思っていない」
アレクサンドルが低く呟いた。
次の瞬間、床石を砕いて魔獣が突進する。
「来るぞ!」
轟音とともに鋭い爪が迫る。
シャルローヌは剣を閃かせて受け流した。重い。腕に痺れが走る。巨体の圧力ごと刃にのしかかってきたのだ。
「ぐっ……重っ!」
歯を食いしばり、押し返す。
「脚だ!」
リオネルが回り込み、腱を狙って剣を叩き込む。咆哮とともに魔獣が膝を沈める。
その隙にアレクサンドルが踏み込み、肩を抉るように突き込んだ。青い剣閃とともに血飛沫。
だが、尾が横薙ぎに振るわれ――。
「――っ!」
シャルローヌは吹き飛ばされ、石壁に叩きつけられた。肺から空気が抜け、視界が白く染まる。
「シャルローヌ!」
アレクサンドルの叫び。駆け寄って強く抱きとめられ、その腕の震えが伝わる。
魔獣が再び跳びかかる。振り下ろされる太い腕――その背後には、まだ動けないカイルとエレナの姿。
「危ない!」
シャルローヌが必死に剣を掲げる。瞬間、指輪の青い宝石が熱を帯びた。
黄金の光が爆ぜ、防壁となって立ち上がる。魔獣の腕が叩きつけられるが、光の壁は揺らがず、衝撃を呑み込んで弾き返した。
魔獣が怯んだ刹那――。
アレクサンドルとリオネルが同時に踏み込む。青と銀の閃光が交わり、魔獣の胸を深々と裂く。
断末魔の咆哮。巨体が崩れ落ち、赤い瞳が消えていく。廃墟には荒い息遣いだけが残った。
アレクサンドルは私の肩をつかみ、低く言い放つ。
「二度と、目の前で無茶をするな」
「……はい? えっと? あー……助けてくれて、ありがとうございます?」
小首をかしげる私の肩に、同じように首をかしげたビジュがとまっていた。
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