18.王宮を出て街へ行く

 朝の王宮。窓から射し込む光は明るいはずなのに、シャルローヌの胸の中はどこか重苦しかった。

 (道場で一本取ったあとに、でも誰も笑っていない、あの妙な空気に似てる……)

 王の不調、娘たちの行方不明。胸の奥に、どんどん余計な「重り」をぶら下げられていく感じがする。構えをほどいたのにまだ肩がこわばっているような、あの嫌な圧だ。


 机を叩く音に、思わず背筋が伸びる。カイルが立ち上がった。

「もう待てない! じっとなんかしてられるか。俺はエレナを探しに行く!」


 その声はまるで弦を限界まで張り切った弓。今にも弾け飛ぶんじゃないかと、見ているほうまで緊張する。


「カイル……」

 ばあやの低い声には、抑えようのない焦りがにじんでいた。

 (だよね、私だってじっとしてられない)


 シャルローヌは椅子から立ち上がり、正面からカイルにうなずいた。

「そうだね。行方不明の娘たちのことも、エレナのことも……見過ごせない」


 その一言で場の空気が固まった瞬間――。


「勝手に動くな」


 鋭い声に振り向けば、扉の前にアレクサンドル。黒いマント、コバルトブルーの瞳。

 (ああ、これは……強い対戦相手が道場に入ってきたときの、あの空気だ。呼吸の仕方まで変えさせられる)


「王妃派の連中が虎視眈々とお前を狙っている。軽率な行動は――」


「軽率でも行く!」

 カイルが食い気味に叫んだ。その必死さに、シャルローヌの身体も自然と前に出ていた。

「アレックス、私も行きたい。黙ってはいられないの」


 アレクサンドルの視線が真一文字に私をとらえる。

 (強い目!……見据えられると、逃げ道がなくなる気がする。って逃げたいのかな、わたし。なんで???)


 やがて彼は小さく吐息を漏らした。

「……なら、俺も行く。俺の監視下で、だ」


「え?」

「どうせお前たちは止まらない。なら俺が共に行き、目で確かめる」


 (監視ねぇ。ほんとにそう思ってるのかな。前も同じように言ったとき結局は守ってくれようとしていたっけ。それに……)

 気を張って見ていたせいで「アレックス」と呼んだときに一瞬声が揺れたのを、シャルローヌは聞き逃さなかった。

 (あれは……呼ばれ慣れてないんだ、きっと)


 ◇


 出立の時刻は早朝と決まった。

 王宮の人々の目をあまり引かぬうちに城を出るためだ。


 シャルローヌはばあやに手伝ってもらいながら、鏡の前で外套のフードをかぶる。

 「……これなら大丈夫かな」

 「姫様、髪も隠しましょう。金の色はどうしても目立ちます」

 ばあやが布を巻きつけて金髪を押さえ込んだ。……道場で面の下に髪を押し込むのと同じだ。

 

 カイルが腰に剣を差しながら、にやりと笑った。

「よし、完全に冒険隊のノリだな」

「遊びじゃないのよ」

 私は小声で突っ込む。(でもちょっと遠足前の準備みたいでワクワクしてる自分がいる……)


 そこへアレクサンドルが姿を現した。黒いマントを羽織り、フードを深くかぶっている。

 ……地味な服装のはずなのに、立ち姿だけで稽古場の師範クラスの圧。隠そうとしても隠せない。


「殿下は、どうしても目立ってしまいますね……」とばあや。

 リオネルが肩をすくめて「まあ、ただものじゃない雰囲気がダダ漏れですからね」と茶々を入れる。


 アレクサンドルは無表情のまま言い切った。

「口数を減らせばよいだろう」

 (そんなのでごまかせるなら、警護なんて誰も苦労しない。貴賓は、どれだけ変装しても“貴賓の空気”がにじみ出るんだから)

 瑠璃子の記憶で呆れるシャルローヌ。


 カイルが思い出したように首をかしげた。

「ダダ漏れといえば、殿下の周りに漂う黒っぽいもやもや、あれって何なんですか?」

 リオネルが即答する。

「あれは殿下の魔力。ちょっと制御できなくなったときに漏れちゃうんだよ」


 アレクサンドルがぎろっと睨む。……その一瞬の視線で(リオネルが斬られちゃう!)と思う。


「へえ。人によって魔力の色が違うんですね」カイルが感心している。

 ばあやがぽろりと言った。

「黒と金といえば――結婚式の色合いですね」


 え、結婚式って黒と金?(へぇ……この世界ではそうなの? 知らなかった)

 一瞬、空気が止まった。


「無駄口はそこまでだ。行くぞ」

 アレクサンドルが背を向け、マントを翻した瞬間、場の空気ごと引き締まった。

 (全身がしゃんとした。余計なことを考える暇はない。ここからはただ集中あるのみ)

 ビジュがすっとシャルローヌの肩にとまった。出発だ。

 

  ◇


 王宮を抜け、城門を過ぎれば、そこはもう王都のざわめきだった。朝の市場はすでに活気づき、荷馬車の車輪が石畳を鳴らし、露店の呼び声が飛び交っている。香ばしい焼き菓子の匂い、干した香草の香り、鉄を打つ槌音――ありとあらゆる匂いと音が混じり合い、王都の日常を彩っていた。


 シャルローヌは王宮とは違う雰囲気に少し気持ちがふわっとなる。

(このごったがえしている全部、暮らしているって感じがして好き)


 けれど、通りすがりの人々の視線がちらちらとこちらに向かってくる。

「見た? 金の髪の綺麗な人……もしかしてあの姫様?」「剣を振るうんですってね。聖女とも……」

 シャルローヌが何もしていなくても、勝手に視線が集まる。


(もしかしなくてもわたしって貴賓?さっきはアレックスに“貴賓は空気でバレる”なんて偉そうに思ったけど、ブーメラン返ってきた!)


 苦笑しかけた瞬間、肩をすっと強い手が引いた。

「安易に人目を引くな」

 アレクサンドルの低い声。フードを深くかぶせ直され、シャルローヌはこくりと頷くしかなかった。

(……まったく、言い返せない)


 リオネルが後ろで苦笑している。

「殿下、もう少し柔らかく言ってあげればいいのに」

「……必要ない」

 ぶっきらぼうなその声に、逆にざわめきが静まる。ちらちらとアレクサンドルを見る人たち。

(やっぱりこの人は目立つ。うーん、わたしもなのかな。でもアレックスほどじゃないはず!)


 なんとか人混みに紛れながら、シャルローヌたちは街を歩きはじめた。


 まず足を運んだのは賑やかな酒場だった。昼間から酔客で混み合うそこは、噂話の宝庫だ。

 声が耳に自然と飛び込んでくる。


「また娘が消えたらしい」「夜ごと黒塗りの馬車を見たって話だ」

「表向きは慈善の施設に出入りしてたそうだ」

「でも、戻ってきた者はいない……」


 低い声で交わされる噂に、カイルの拳が震えていた。

「……エレナも、同じように」

 その背に、シャルローヌはそっと手を置いた。


 次に立ち寄ったのは井戸端だった。水を汲む女たちが、口をそろえて言う。

「娘を持つ家は夜明けまで戸を閉ざしてるのよ」「あの馬車に目をつけられたら最後」

 恐怖にこわばった顔が並ぶ。


 さらに露店の親父は声をひそめた。

「金の髪をした見目のいい娘が狙われやすいって話だ」

 一瞬、視線がシャルローヌに向かい、ばあやがとっさに庇う。

「ただの噂にすぎませんよ」

 きっぱりした声に、親父は気まずそうにうなずいた。


 歩みを進めるほどに、噂はひとつの輪郭を描きはじめる。

 ――夜、黒塗りの馬車が動いている。

 ――慈善を掲げる施設と関わりがあるらしい。

 ――若い娘ばかりが狙われている。


「……やっぱり、偶然なんかじゃない」

 シャルローヌは低く呟いた。


「組織的に動いているな」

 アレクサンドルの声も硬い。

「目的が何かはまだ見えんが……これ以上、放置はできない」


 シャルローヌは、街のざわめきの奥で、異質なものが息を潜めているのを感じた。

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