15.国王への拝謁と口さがない人たち

 翌日。今日は王への拝謁の日だった。

 シャルローヌはアレクサンドルとばあやに伴われ、王宮の控えの間へ案内された。長机には金細工の茶器が整えられていたが、湯気の立つ茶は誰も口にせず、静かな緊張が場を支配している。


(国王陛下はたしかご病気だったっけ。大丈夫なのかな)


 やがて侍従が扉を押し開いた。

「お入りください」


 広間には王がいた。

 金の冠を戴き、玉座に腰かけるその姿は威厳に満ちている。だが、杯を持つ王の指先が一瞬かすかに震えた。痩せた頬と影を帯びた眼差しに、目に見えぬ瘴気のようなものが漂っているように感じられる。


 アレクサンドルは一歩前に進み、膝をついて頭を垂れた。

「父上。シャルローヌ姫をお連れしました」


 王は鷹揚にうなずき、声を張る。

「よく来たな、モンテリュー公国の姫よ。其方が嵐の海から助かったことは誠に重畳であった。さらには王都に混乱をもたらす魔獣を退けたと聞く。勇ましきことだ」


 その声に力はあった。だがシャルローヌの胸には、あの指先の震えと瘴気のような違和感が重なり、不安が芽生えていた。

(ご病気のせいかな……でもなんだか何かがおかしい気がする。うまく言えないけど)


 周囲の廷臣たちは「陛下はご壮健だ」と口々に称え、王の病を隠すかのように振る舞っている。


 ◇


 王宮の回廊を歩くと、厚い絨毯が足音を吸い込んでいく。けれど歩みは軽くならなかった。

 すれ違う廷臣や侍女たちの視線がちらちらと彼女を追い、ひそやかな声が背後で重なる。


「……あの方が異国の姫か」

「黒太子殿下の庇護を受けているらしい」

「剣を振るうとか。聖女の力も持つのだと」


 シャルローヌは視線を逸らし、歩を速めた。だが囁きはなお耳に届く。

「王妃殿下にとっては……目障りでは?」

「さりとて、殿下の御寵愛とあらば」


 胸に小さな棘が刺さったように痛む。黒太子との関わりを、思いがけぬ形で囁かれていることに気づかされる。

(……うーん、なにこれ、めんどくさい!)


 廊下に響くささやきを聞き流しながら、シャルローヌは心の中で盛大にため息をついた。


 ◇


 そのころクロード邸では――。


「シャルは大丈夫かなあ」

 カイルがソファに寝転がり、天井を見上げながらつぶやいた。


「案ずるな。あの娘は肝が据わっておる」

 クロード翁は椅子に腰を下ろし、湯気の立つカップを傾ける。


「それにシルベットもついておる」

「シルベット?」

「シャルローヌ姫の乳母だ」

「……よく名前覚えてるな」


 カイルは目をぱちぱちさせて身を起こした。翁はひげを撫でてにやりと笑う。

「忘れるものか。幼い姫を抱いて宮廷を歩いていたあの頃から、変わらずしっかりした人よ」


「へえ……そんな昔から知ってたのか! ってなんか、お二人お似合いなんじゃね?」

 カイルがぽろりとこぼすと、翁は盛大にむせた。

「ごほ、ごほっ! な、なにを言うか!」


 だがその頬がほんのり赤いのを見逃さず、

(まじ? そうなの? そうなの?)

 カイルは自分で言い出しながら驚いていた。


 窓の外で風が木々を揺らし、柔らかな音が広間に広がった。クロード邸の空気は、王宮のざわめきとは正反対の温かさに満ちていた。


 ◇


 王宮の長い回廊。

 昼下がりの光が差し込み、磨き込まれた大理石の床が眩しく光っていた。シャルローヌは案内役の侍従とばあやに伴われ、ゆるやかな歩調で進んでいた。


 数名の廷臣が立ち止まり、彼女を値踏みするように見やる。その視線はあからさまに冷たい。


「これが……異国の姫か」

「黒太子殿下に庇護されているそうだが」

「聖女だと聞いていたが――どこが、だ?」


 年配の廷臣がわざとらしく鼻で笑う。

「王宮に剣士など不要。礼法も今はきちんとできているようだが……いつまで続くことやら」


 刺すような言葉に、周囲の廷臣たちもくすくすと笑いを漏らす。


 シャルローヌは深く息を吸い、背筋を正した。

「……剣は人を傷つけるためではなく、守るために振るいます。宮廷にあろうとなかろうと、それを忘れることはありません」


 一瞬、笑い声が途切れた。だが廷臣は口の端を吊り上げ、「口も達者だな」と皮肉を残す。


 そのとき、背後から響いた声に空気が一変した。

「――お前たちの目は節穴か」


 振り返ると、アレクサンドルが廊下の奥から歩み寄ってきていた。コバルトブルーの瞳に氷の光を宿し、冷ややかに廷臣たちを射抜く。

「聖女の力も剣の技も見抜けぬとは。無能を晒すために口を開くな」


 声は抑制されているのに、吐き捨てるような冷たさがあった。廷臣たちは蒼ざめ、慌てて頭を垂れる。

「も、申し訳ありません、殿下……!」


 逃げ去る背中に、氷の棘が突き刺さっていた。


 残されたシャルローヌは安堵の息をつきかけたが、周囲からの視線に気づく。

「黒太子殿下は、あの姫を特別扱いしている」

 ――囁きはすぐに広がっていく。


(……守ってくれたのに、逆にまた噂が広がっちゃった)

 シャルローヌは心の中で苦笑し、ほんの少しだけ肩をすくめた。


 廷臣たちが去った後も、廊下の空気は冷ややかだった。シャルローヌが歩を進めると、今度は彩り豊かな衣装をまとった令嬢たちが一団で立ちふさがった。


「まあ……これが噂の姫様?」

「剣を振るうなんて下品ですこと。女らしさの欠片もないわ」

「殿下が“庇護”してくださるのも、きっと同情でしょうね」


 視線は突き刺すように鋭く、唇には意地の悪い笑みが浮かんでいた。彼女たちの眼差しは嫉妬と敵意で燃えている。


(……うわぁ。これが“強火担”ってやつ? 本当に、めんどくさい!)


「殿下は私どもの希望であられるのに。異国の田舎娘風情が隣に並ぶなど――」

 ひときわ声の大きい令嬢が、冷ややかに言い放った。


 そのとき、背後から低い声が落ちた。

「――誰が、隣に並ぶ者を決めると?」


 青い影が割り込む。アレクサンドルが一歩前に出て、令嬢たちを冷ややかに見下ろした。


(また現れた!)


 怯んだ彼女たちは慌てて裾をつまみ、形ばかりの礼をして退く。去り際も悔しげに振り返りながら。


 廷臣や令嬢たちが去り、廊下に静けさが戻ったころ。ばあやがそっと歩み寄り、思い切ったように口を開いた。


「殿下。あの……ひとつお願いがございます」


「なんだ」アレクサンドルが振り返る。


「かつて姫様が身につけておられた首飾りのことです。救出された折、兵士たちに持っていかれ、今もなお殿下がお預かりくださっているかと存じます。……どうか、お返しいただけませんでしょうか」


 シャルローヌはきょとんとして首を傾げた。

「えっ、首飾り? そんなの持ってたんだ、わたし」

 肩をすくめて苦笑する。

 (持参金の類かな。別に、なくても困らないけど)


 ばあやはそれでも視線を逸らさず、真剣な声音を崩さない。

「どうか……ご検討を」


 アレクサンドルはわずかに目を細め、答えをすぐには返さなかった。

「……今は返せぬ。考えておく」


 低く抑えられた声は、断りながらもどこか迷いを含んでいた。




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