12.クロード翁との再会

 少年に導かれ、夜の路地を抜けてたどり着いたのは、意外にも広大な屋敷だった。高い石垣と鉄の門、奥には並木と庭園まで備わっている。


「……これがクロードさんのお屋敷?」


 シャルローヌは驚いて足を止めた。想像していたよりずっと大きなお屋敷だ。

(たしかに、この剣を初対面で与えてくれるくらいの人のお屋敷だわ……)

 

「これなら、逃げている途中で迷惑かけたお詫びもなんとかなりそうかも!」

「人の金を当てにするな!」とカイルに突っ込まれる。

 (あう。ごめんなさい)


 迎えの従僕に通され、三人は応接間で腰を落ち着ける。張りつめていた緊張がようやくほどけ、ばあやは胸を押さえ、カイルは深く息を吐いた。


「……助かったな」


 そこへ、クロード翁自らが現れた。


「よく来たな。無事で何よりだ」


「クロードさん!」

 (この世界で知っている顔に会うのって嬉しい)


「早速王都で騒ぎを起こしたと聞いて驚いたが」ニヤリと笑うクロード翁。

 (早耳!)とちょっとごまかし笑いになるシャルローヌ。

 そしてしっかりと真面目な顔で、深々と頭を下げた。


「本当にありがとうございます……助けてくださって。剣もすごくよくて」

「礼は要らん」

 クロード翁はさっと手を振り、目尻に皺を寄せ、優しく笑んだ。


「よくここまで来た。そちらは?」

 ばあやに目線を送る。


「シルベットと申します」

 ばあやは言葉少なに名前だけ伝え、すっと目を細めた。


(シルベットさんって名前なのか!)カイルは心の中でつぶやいた。


 ひとしきり再会の喜びを交わし、ここまでの道中の話で盛り上がり、そしてようやく一息ついた頃。


 翁は手を鳴らした。屋敷の者が小さな箱を持ってきてクロード翁に差し出す。


「開けてみなさい」

 そこには指輪が入っていた。淡い黄色の石が優しく光っている。


「これは……」

「そうだ、魔道具の指輪だ。これを探しに王都までやってきたのじゃろ?ここまでたどり着いたのだ、お前のものだ」


 シャルローヌは驚きに顔をあげた。

「そんな……いいのですか? 貴重なものでしょう?」

 (太っ腹すぎる!)

「たしかになかなかそのレベルの物を見つけるのはたいへんだったがな。まずははめてみなさい」


  促され、シャルローヌは指輪をはめた。

 指に触れた瞬間、ひやりとした感触が走り、石の奥からかすかな鼓動が伝わってくるように思える。


「……じゃあ、少しだけ」

 そっと両手を胸の前で合わせ、祝福の言葉を紡いだ。


 ぽうっと金色の光があふれ、花弁のように広がって応接間を包み込む。

 光が触れたテーブルの上の薔薇はふわりと揺れ、しおれていた一輪がみるみるうちに色を取り戻し、瑞々しく咲き誇った。

 また、傍らに控えていた使用人の手の小さな切り傷がすっと閉じ、本人が息を呑んで目を見開く。


 それだけではない。金色の輝きが空気に溶け込むと、室内の空気が澄みわたり、春の野に立つような清らかな香りが漂った。重かった空気が洗い流されるように軽くなり、誰もが思わず深く息を吸い込んでしまう。


「……きれい」

 小さな声に、シャルローヌは自分の胸の奥にこもっていた熱が、光とともに外へ流れ出していくのをはっきりと感じた。

 息をつくと、身体が羽根のように軽くなり、心まで解きほぐされる。


 だが次の瞬間、宝石は強く脈打ち、光があふれて指輪全体が震え出した。


「どれ見せてみなさい……うーむ」

 クロード翁は低く唸った。宝石が脈打ち、光が強くなる。

「まさかこれほどの魔力とは。この石でも、質が追いつかぬか」


 ばあやは息を呑み、胸元を握りしめた。(……あの首飾りの宝石ならきっと)言いかけて、しかし口をつぐむ。


「クロード様。ひとつお聞きしたいのです」

 ばあやが恐る恐る口を開いた。

「いま宮廷はどうなっているのですか」


「陛下は病で床に伏して久しい。政務は、王子殿下を推す“王子派”と、王妃殿下を推す“王妃派”に割れておる」


「王子派と……王妃派」

 シャルローヌは眉をひそめ、思い出す。


「じゃあ、さっき大通りで黒太子殿下とは別に追ってきた兵は……」

「王妃派の差し金でしょうな」

 翁は重々しく頷いた。

「少しでも優位に立ちたい。たとえば噂の金髪の剣士を手に入れたいのじゃろう」


 クロード翁が強い視線でシャルローヌを見る。


「隣国から迎えられるはずだった王太子妃が行方不明となり、王妃派が勢いを盛り返しておる。今や一触即発だ」


 シャルローヌは一度大きく息を吸い、顔を上げた。


「……クロードさん。実は、その“行方不明の王太子妃”は、私です」


 ばあやとカイルが同時に目を見開く。翁は一瞬黙したが、やがて小さく笑んだ。


「やはり、そうか。あの村であったときから、薄々そうではないかと思っていた。――この魔力量は、さすが聖女だ」


(気づいていたのね。でも黙ったままで。剣も、それにわざわざ指輪も探してくれて……)


 その親切は、見えない糸が空気に張り渡されているのを察した瞬間の、あの研ぎ澄まされた気配に似ていた。

 相手の呼吸と自分の呼吸が重なり合い、攻め合いのただ中で生まれる緊張感――踏み込めば必ず応じるものが返ってくる。

 翁と自分をつなぐ糸もまた、そうして確かに結ばれていると感じられた。

 だからこそ、いつかは必ず応えなければならない。剣を合わせた者としての礼のように。

 

 しばらく誰もが言葉もなく、時が過ぎ。やがてカイルがクロード翁に尋ねる。


「翁……もうひとつ、教えてください。……エレナのことは、何かわかりましたか?」


 翁の表情がわずかに揺れた。答えるまでの間が、やけに長く感じられる。シャルローヌも自然と息を止めてしまった。


「……まだ見つかっておらぬ」

 翁は低く言い、深く首を振った。

「エレナだけではない。若い娘が他にも行方不明になっていることは確かだ。だが、調べてもつながりや詳しい事情までは分からなんだ。……すまぬ」


 翁の声には悔しさがにじんでいた。必死に探っても成果を得られなかった無念さと、目の前の若者を気の毒に思う気持ちが混ざっているように、シャルローヌには聞こえた。


 カイルは重く息を吐き、拳を膝の上で握りしめる。

「エレナ……」


 その背を見ているだけで、胸が痛んだ。シャルローヌは思わず隣に身を寄せ、そっと手を置いた。ばあやも静かに彼の背を支える。


「きっと見つけよう」

 シャルローヌは自分に言い聞かせるように言った。

「エレナさんも、きっと待っていらっしゃいます」ばあやの声も優しい。


 カイルはしばらく俯いていたが、やがて顔を上げて大きく頷いた。

「……ああ。待ってろよ、エレナ!」


 その言葉に、シャルローヌも強くうなずく。カイルの真っ直ぐな思いに応えるように、自分も心を奮い立たせる。

(絶対に……見つけ出す。わたしも、一緒に)

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