9.王都へ近づいていく

 夜。宿場町の灯がちらほら瞬く中、三人は小さな宿の一室に身を寄せていた。温かいスープと硬いパンをつつきながら、ばあやがふと口を開いた。


「……本当なら、あのまま王都に残るつもりでございました」


「えっ? じゃあなんで宿場町に?」

 カイルが不思議そうに首をかしげる。


「姫様をお送りしたあと、私はずっと自分を責めていました。あのとき、もっと必死に姫様をお守りできていればと……。姫様は周りの方を癒せても、ご自分に力を使うことはできませんから」

 皺だらけの手が膝の上でぎゅっと握りしめられる。その横顔に、シャルローヌは胸がじんわり熱くなった。


(……ばあや。そんなふうに思ってくれてたんだ)


「でも、こうしてまたお会いできた。あの白い光に包まれて消えた姫様が、いま目の前で笑っておられる……もう感謝しかございません」

「ばあや……」シャルローヌの声も少し震えた。


 ◇


 翌朝、街道を歩きながら。しばらく沈黙が続いたあと、ばあやがぽつりと口を開いた。


「……そういえば。シャルローヌ姫が結婚をいやがっておられた理由、思い出しました」


「えっ、そんなのあったの?」

「黒太子と呼ばれるお方は……黒髪に黒衣、冷酷非情で切れ者、なんて。そんな噂ばかりが先に届いていました。そして『聖女』を手に入れるため政略結婚をすると公言なさっておいででした」


「うわ……」カイルが肩をすくめる。「そりゃ泣く。俺も黒太子の顔は何度か見たことあるが、無表情で人間味がない」」


「ええ。姫様は泣きました。“いやです、そんな方のもとには行きたくない”と」

「ひえぇ……」


 けれど、ばあやはふっと微笑んだ。

「ですが、実際にお会いして思ったのです。あの方は不器用ながら、誠実なお方だと。整いすぎた顔立ちで表情が変わりにくく、言葉も少ないお方ですが……姫様を大切に思っておられるように見えました」


「ほんとですか……?」カイルが眉をひそめる。


「ほんとうです」ばあやはきっぱりと言った。「私は長く人を見てきましたから」


 そして、少し声を落とす。

「姫様は早くに母君を亡くされました。大公様は姫様を見ると愛していた夫人を思い出されるから、あまり会おうとなさらず……ご兄弟とも接点が少なく、お寂しかったでしょう」


 カイルが痛ましそうにシャルを見た。けれどシャルローヌは笑って言う。

「でも、わたしにはばあやがいたから! 大好きよ」


 ばあやは静かに微笑んで、そっと頷いた。


「モンテリュー公国は小さくとも豊かで、平穏な国でした。だからこそ政略の道具として狙われやすかったのです。姫様が隣国に嫁げば、黒太子殿下の立場は盤石になる――そう多くの者が考えていました」


(……政略結婚。“わたし”は、盤石なんて言葉のために泣いてたのか……)


 ばあやの声が少し柔らかくなる。

「でも私は思うのです。政略以上のものが、そこにはあるのだと」


「……ほんとに、そう見えたの?」シャルローヌが不思議そうに見返す。

「ええ。間違いなく」


 横でカイルが小声でひそひそ。

「なあシャル、ばあやさんがそう言うなら本当なんじゃ……黒太子はシャルに惚れてたんだよ」

「うーん。実際に会って確かめないとね。惚れてるとかそういうの、よくわかんない!」


 二人のやりとりに、ばあやは「まあまあ」と笑って肩をすくめた。

 「ただ、今は……」

 ばあやは小さく首を振り、柔らかな笑みを見せる。

「王都は不穏な空気が漂っていて、危うい時期に見えます。しばし殿下からは距離を置きましょう」


「わかった。黒太子とはまだ会わないように動くわ」

 シャルローヌの返事に、ばあやは深くうなずいた。


 王都へは男装のままで行き、まだ黒太子には存在を知られずに魔道具を手に入れようということになった。


 ◇


 宿場町に着いた。今夜はここに泊り、明日はいよいよ王都に入る。


 木の香りのする小さな食堂に、湯気の立つ食事が並んだ。焼き魚、香草スープ、柔らかなパン、そして……添えられた赤い粒々。


「……あっ!!!」

 シャルローヌの目がぎらっと光った。


「どうしたんだよ、そんな戦場みたいな声出して」

 カイルが眉をひそめる。


「これ! めんたいこ! うわあああ、めんたいこだーっ!」

 両手を合わせ、うるうるした瞳で赤い粒々を見つめるシャルローヌ。


「メンタコ?……何それ?」


「わたしの大好物! うわぁ、食べていい? 食べていいよね!?」

 ばあやがにっこりとうなずいた瞬間、シャルローヌは一口でごっそりかき込んだ。


「ん~~しあわせっ!!!」


 カイルは半眼になり、ぽつり。

「よくそんな派手な色の食い物が好きになれるな」


「なに言ってるの。赤は元気になる色なんだよ!」


 得意げに言い切ったあと、ふと顔を上げる。

(そうだ、王子も黒い服ばっかり着てないで、明るい色を着ればいいのに……。このめんたいこみたいに鮮やかな赤とか……あっ!)


「黒太子が……明太子っ!」


 自分で言ってツボに入ってしまった。

「ぷっ、ふふっ、はははは! あっははははは!」

 お腹を抱えて転げまわる勢いで爆笑するシャルローヌ。


 呆然とするカイル。

「……頭、大丈夫か?」


 ばあやが静かに手を合わせた。

「姫様は昔から、このように“おかしいのに説明できないこと”で笑い転げておられました」


「だって! おかしいんだもん! でも説明できない!」

 涙目になって笑い続けるシャルローヌ。


(……この笑いを誰かと分かち合いたい。日本のみんなに話したい。ああ、帰りたい……)

 転生してから初めて、日本が恋しくなった。


 ◇


 今度はカイルが胸を張る。

「俺さ、エレナを大切に思う気持ちは誰にも負けない!」


「大事な人なのよね」

 シャルローヌがそう返すと、彼の顔は一気にゆるんだ。


「大事なんてもんじゃねえ! エレナの笑顔は世界最強だぞ。あれ見たら魔獣も牙を抜かれる。しかも気が利くし、飯もうまいし、胸も立派だしぼんきゅっぼん、声は鈴みたいにかわいいし、俺がヘマしても『カイルならできる』って励ましてくれるし――」


 惚気の嵐が吹き荒れ、シャルローヌとばあやは思わず顔を見合わせる。

「……すごいですね」

「……すごいわね」

「まだ語っていますね」


 そしてカイルは胃を押さえ、胃薬を飲む。


(エレナのことを想うと心配で胃が痛むんだろうな……)

 「王都で消息が途絶えた」と聞いていたエレナのことを、改めて思い出す。この人の好いカイルの大切な人がどうか無事でいますように。


「ふーん。エレナは……胸が大きいのか」


 思わずぽつりとつぶやいたシャルローヌに、カイルが即答する。

「でっけえぞ! 俺の両手でも足りねえ!」


「~~~~っ!!!」

 シャルローヌの顔が一瞬で真っ赤に染まった。


(ぼんきゅっぼん……やっぱり男の人って、そういうのが好きなのかな。もしわたしが王子と――)


 そこまで考えて、ぶんぶん首を振った。

「な、なに考えてんのわたし! とー! とーっ!」


 立ち上がって剣を抜き、無意味に素振りを始める。

「ちょ、危ない! こんなところで剣振るな!」

 カイルが大慌てで避ける。


 ばあやは穏やかに微笑んでいた。

「姫様は昔から、恥ずかしいとこうして突然別のことをなさってごまかされました」


「ごまかしてない! 修行だから!」

 真っ赤な顔で必死に振り回すシャルローヌ。


(……やっぱりわたし、恋とかに向いてないんじゃ……?)


 ビジュがばあやの肩で小首をかしげる。


 王都はすぐそこに近づいていた。


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