6.男装だってばれました
旅を続けて数日。王都まであとわずかという頃だった。川辺で一息つこうと馬車を止め、カイルが荷を下ろしている間に、シャルローヌは「汗を流したい」と水浴びに向かった。長旅の埃と緊張を落とすためだった。
川辺のせせらぎは、いつもなら耳に心地よいはずだった。しかしそのときのカイルには、鼓膜に届く音は全部「ドンドコドンドコ」と自分の心臓の太鼓に上書きされていた。
水辺で背を向け、身を清めているのは――シャルローヌ。
いや。いま見えてしまった姿は、どう取り繕っても「男」ではなかった。
「……お、おんな……?」
自分の喉から漏れた声に、カイル自身がぎょっとして口をふさぐ。ずっと男だと思っていた。剣をぶんぶん振るし、飯ももりもり食うし、声も低めで頼りになる。だが、目の前の光景はそれらの前提を粉々に打ち砕いた。頭が真っ白になったあと、脳内を埋め尽くしたのは「怒り」だった。
(なんで隠してたんだ! 俺は仲間だと思って信じてたのに……!)
視線のやり場に困って顔を真っ赤にしながら、カイルは荒々しく背を向けた。服を着る音が止むのを待つ間、怒りは風船みたいに胸の中でふくれ続けていく。
(問いただす。絶対に逃がさない……!)
――やがて、川辺から戻ったシャルローヌの前に仁王立ちしていたのは、眉間に皺を寄せ、腕を組んだカイルだった。まるで怒れる父親そのもの。
「ど、どうしたの?」
おそるおそる尋ねる声に、ドカンと怒鳴りが返ってきた。
「どうしたもこうしたもあるかーっ!」
普段は温厚なカイルの怒声に、シャルローヌはびくっと肩をすくめた。
「お前、女だったのか! なんで隠してた! 俺を信じられないってことか!」
シャルローヌは困ったように頬をかき、少し言葉を探すように口を開いた。
「……信じてなかったわけじゃないの。ただ、“シャル”として男になりきろうと思ってて……できれば言わなくて済むなら、そのままやり過ごしたかったんだ」
カイルの眉間の皺がさらに深まる。
「やっぱりな。めんどうだから言わなかったんだろ!」
「……っ」図星を刺され、シャルローヌは思わず目をそらす。
「そういうことをめんどうくさがるな! 仲間だと思ってたのに、黙ってるなんてひどいだろ!」
叱責の勢いに押され、シャルローヌは観念したように両手を上げた。
「わかった! わかったから、ちゃんと全部話す!」
そうして、あっけらかんと語り出す。
「わたし、隣国モンテリュー公国の聖女シャルローヌ姫なの。黒太子の婚約者として王都に送られるはずだったけど、嫌で泣いて反対してて……。結局、嫁入りの船が嵐で沈んで、ばあやとも離れちゃって、指輪もなくしちゃってさ」
「……はあ?」
カイルは口をぽかんと開ける。
シャルローヌは、ふいに「あ、自分で自分を聖女って言っちゃった」と、頬を赤くして口を押さえた。
「いや、いまそこ恥ずかしがるところかよ!」
カイルが即座に突っ込む。
「と、とにかく……市場で噂になってた“黒太子が探してる行方不明の婚約者”って、わたしのこと」
カイルは数秒間、ぽかんとしたまま固まっていたが、やがて腕を組んでうんうんと頷いた。
「なるほどな……姫君で聖女ともなりゃ、そりゃ剣の腕も別格ってわけか。納得だ」
シャルローヌは「いや、そういうことじゃ……」と小さく抗議しかけたが、カイルの妙な納得顔に遮られて、結局言葉を飲み込んだ。
カイルの表情は徐々に強張りを失い、最後には深いため息に変わった。
「……姫様だったのか。しかも聖女で。事情があるとは思ったが、そこまでとんでもない話だとはな……」
そしてしみじみと見つめ、ぽつりとこぼす。
「姫様が男装までして旅をして。苦労したんだな」
「いや、そこまででもないよ。旅は大変だったけど――強い魔獣とも戦えたし、クロード翁からすごい剣をもらえたし、親切な人たちにもいっぱい会えたし。だから、けっこう楽しかったんだよ」
シャルローヌがくったくなく笑うので、カイルは拍子抜けしたように眉を下げ、ふっと息を吐いた。
「魔獣と戦ったのが楽しかったのか……おまえはそういうやつだよ、うん」
納得したように頷いた次の瞬間、再びビシッと人差し指が突きつけられる。
「でもな! 一緒に旅してきて、黙ってるなんてひどいだろ! 俺だって頼ってほしかったんだ! 支えるつもりでいたのに!」
怒鳴り声というより、悔しさのにじんだ叫びだった。
シャルローヌは、瑠璃子の頃に兄たちに叱られたときの感覚を思い出し、胸の奥が温かくなるのを感じていた。
「ごめん!」
素直に謝ると、カイルは鼻を鳴らした。
「そんな満面の笑みで嬉しそうに謝るやつがいるかよ!」
「だって……ごめん!」シャルローヌは心底嬉しそうに笑った。
「まあな……でも、正直言うと、最初からずっと俺の方が守られてる気もするしな」
カイルは頭をかきむしる。
「それでも! これからは俺も、お前を守る。男とか女とか関係なく、仲間だからな!」
真っ直ぐな言葉に、シャルローヌは静かに答えた。
「……ありがとう、カイル」
川のせせらぎがふたたび耳に届く。今度は二人の間に、穏やかな調和をもたらしていた。
次の宿場町。薄暗い路地裏から、荒い声が響いた。
「婆さん、財布を置いていけ!」
「やめてください……!」
シャルローヌとカイルが駆けつけると、数人のならず者が年老いた女性を囲んでいた。震える背中、小柄な体。
「カイル、いくよ!」
「おう! なんだてめえら、お年寄りによってたかって!」
シャルローヌは迷わず飛び込んだ。
剣先がきらりと光り、ならず者の腕を弾く。もう一人を蹴り飛ばすと、三人目は腰を抜かして逃げ出した。
「はん! まったくよー。大丈夫か?ばあさん?」
砂埃の中に残された老女をカイルが助け起こす。
その顔を見た瞬間――シャルローヌの胸に衝撃が走った。
「ば……あや……!」
「……姫様……!?」
カイルが目をぱちくりするなか、ふたりは互いに一歩踏み出し、次の瞬間、走り寄ってきつく抱き合った。
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