4.相棒と市場
翌朝。
荷の点検、馬の蹄、革紐の結び、護符を胸の下に収め直す。
クロード翁はすでに馬車に乗っていた。荷馬車の馬よりも引き締まった馬2頭でひいている小振りな馬車。速そうだ。御者のほかには翁一人だけが乗っている。
(一人乗りの特急馬車って感じかな)
「シャル。カイルを頼む。あれは気のいい男だ。旅の相棒にふさわしい」
穏やかな顔でほほ笑む。
シャルローヌもほほ笑んで頷いた。
「エレナのことはこちらでも調べてみる。あともう一つ。王都に入ったら、私の商館を訪ねなさい。“クロード・マルシャン商会”だ。魔道具のことも役に立てるはずだ」
喉の奥が熱くなる。言葉が、うまく出てこない。
「ありがとう。クロード翁」
「礼は結構。荷馬車を救ってもらったのはこちらだ。私は少し報いたいだけさ。この馬は速いからな、おそらくはこちらが先についておる」
翁が視線を少しだけ動かす。そこにカイルがやってきた。荷を背負って、こちらを見ている。
「クロード翁、どうぞお気を付けて。じゃあ行こうか、カイル」
「ああ。気をつけてな」
「行こう、相棒」
カイルは剣の柄を軽く叩いた。響きが返る。
胸の熱はまだ在る。けど、燃え広がるまえに、きっと“形”になる。王都で。自分に言い聞かせるみたいに、空へ息を吐いた。 王都へ。指輪へ。そしてシャルローヌになった意味があるのだとしたら知りたい。朝の光が街道に伸びて、影を細くする。
ふたりは歩き続け、街道脇の小川で一休みする。カイルがパンを半分に割って、干し肉を挟んでくれる。
「食べろ。歩けなくなる前に食べるのが、旅のコツさ」
「わかる。低血糖は敵。それはなに?」
カイルの飲んでいる薬のようなものを指さす。
「俺の常備薬。胃に効く」
「やっぱり胃痛持ちだろうなって気がしてた」
「なんでわかるんだよ!シャルは、あんまりぐちぐち考えないタイプでしょ。胃薬はいらないんだろうな」
図星で笑ってしまう。彼の良さは、こういうところ。鈍くても、よく見ている。
「エレナのことが心配でさ、つい考えすぎちゃって」
「見た目とはうらはらの繊細さだな」
「失敬な! でも……よく言われる!」
カイルが笑って、すぐ真顔になる。
「シャル。俺はシャルほど強くないし、すぐに胃が痛くなる情けなさだ。でもエレナの無事を確かめるまで弱音ははかない。俺を隣で走らせてくれ」
シャルローヌは頷いた。
「走ろう。――一緒に」
風が、二人の間を抜けていく。シャルローヌは剣の柄を、そっと握った。胸の熱が、いい方向へ燃えるように。誰かを焼かず、自分も焼かず、照らす光になるように。王都で、その“形”を掴む。必ず。
「よーし、走るぞ!」
シャルローヌはひらりと草原に飛び出し、風を切って駆けだした。
「え!?ほんとうに走るのかよ! 物理かよ!」
叫びながら、荷物を背負ったカイルが必死に追いかける。
街道には、身軽な男装の姫と胃薬常備の相棒の足音がいつまでも響いていた。
◇
市場は朝から大にぎわいだった。香草の匂い、焼きたてパンの香ばしい匂い、そして人々の声が入り交じる。
「お、シャル! 見てみろよ、あの肉串!」
「カイル、よだれ垂れてる」
「ち、ちょっと! 垂らしてねぇよ!」
二人の掛け合いに、肩のビジュが「ピルルッ」と鳴いて、笑ったみたいに羽を広げた。
――と、その瞬間。空気が、ぶるりと震えた。
「……魔獣だ!」
誰かが叫んだ瞬間、悲鳴が上がり、あちこちで野菜や果物が転がっていく。現れたのは牛ほどもある黒い獣。口元は涎で泡立ち、背中には棘がびっしり。三つの目がぎょろりと辺りを睨みつけた。
「うわ、絶対ヤバいやつ! なんで市場に魔獣が出るんだよ!」
カイルが腰の剣を慌てて抜こうとするけど……鞘から半分も出ない。
「ちょ、ちょっと待ってくれ! 鞘に引っかかって!」
「待ってくれる魔獣はいないから!」
シャルローヌは自分の腰の剣に手を当てる。クロード翁からもらった剣。その重みと冷たさが、今は頼もしい。
「私が行く」
「はぁ!? ひとりで!?危険だ!」
「大丈夫。ほら、カイルは人を避難させて。石でも投げて援護してくれれば助かる!」
「石!? 俺の役割、それ!?」
抗議する声を背に、シャルローヌは地面を蹴った。
「はぁぁっ!」
剣が唸り、魔獣の棘を弾き飛ばす。獣が吠え、シャルローヌが踏み込む。
だがそのとき。
「――っ!」
逃げ遅れた小さな子どもが、瓦礫の陰に縮こまっていた。魔獣の前脚が振り下ろされる。
間に合わない――!
思考よりも早く、胸の奥の熱が爆ぜた。
シャルローヌの剣から、金色の光が弾け飛ぶ。ふわりと子どもを包み込み、魔獣の爪を弾き返した。
「な、なんだ今の……!」
人々のざわめき。
子どもは涙目でシャルローヌを見上げ、無事なまま母親の腕に抱き寄せられた。
「ありがとう、ありがとう……!」
シャルローヌは短くうなずき、再び剣を構える。
頭上からカイルの絶叫。
「くらえぇぇっ!!!」
石が飛び、魔獣の第三の目にパチンと命中。
「ぐぉぉぉっ!」
巨体がよろめく。
「おおお、当たった!? 俺すごくね!?」
「ナイス石投げ!」
「マジか!?」
「効いてる効いてる! ほら次もお願い!」
「マジかよおおおお!」
半泣きになりながらも、カイルは必死で石を投げ続ける。二つ目、三つ目……偶然とはいえ全部ヒット。
「俺、石投げの天才かもしれん……!」
「よし、カイル! とどめは私が!」
シャルローヌは剣を構え、巨体の足を蹴って駆け上がる。狙いは額、三つ目の真ん中。
「これで……終わり!」
剣先が突き刺さり、魔獣は地響きを立てて倒れ伏した。
静寂。
やがて、あちこちから拍手と歓声が沸き起こった。
「すごい……! あの剣士、強いぞ」
「今の光……剣が守ったのか? まるで魔法剣士みたいじゃないか」
肩の力を抜き、シャルローヌは剣を納めた。その横でカイルがへたり込み、呻く。
「……俺、石しか投げてない……」
「その石がなかったら、私はやられてたよ」
「う、うそつけ……」
「ほんとほんと! あれがなかったら今ごろペシャンコ」
「……そっかぁ」
カイルは涙目になりながら、ちょっとだけ胸を張った。
市場のおばちゃんが野菜をどさっと抱かせた。
「これ持っていきな! 命の恩人にただじゃ帰せないよ!」
「いやいやいや! これ全部!? 持てないってば!」
両手にかぼちゃやら大根やら押し込まれて、あっという間に荷物の山。
「そっちの荷物持ちの兄さんに持たせときな」
「もしかしなくても俺ですね、はい、荷物持ちカイルです」
人を守れた喜びは確かにあった。だが同時に、胸の奥を針で突かれるような痛みが走る。
(っ……痛い……? 護符が熱い……!)
胸元の護符がじりじりと灼けるように熱を帯び、胸の奥の“熱”がごうっと逆流した気がした。思わず足がふらつき、壁に手をつく。
(船で指輪があったときは……こんな痛み、なかったのに。やっぱり魔道具がないと、力がちゃんと流れないんだ……)
剣を握る手が震える。守れた安堵と同時に、力の危うさが背筋を冷やす。
(護符がなければ……きっと今ので、自分が焼け尽きてた)
カイルが駆け寄ってくる。
「シャル! 大丈夫か!?」
「……うん。ちょっと疲れただけ」
必死に笑って答える。だが胸の奥では、まだ熱が暴れるように渦を巻いていた。
乱れた呼吸を整えながら、首元の革紐を手探りする。村で受け取った護符――小さな赤い袋が、じんわりと冷たい感触を返してきた。触れた瞬間、胸の熱が少しずつ落ち着いていく。
(……やっぱり、護符がなかったら危なかった)
少し離れた切り株に腰を下ろすと、カイルが果実水を差し出してきた。ありがたく一口含むと、喉の渇きが和らいだ。
「このところ市場に見回りの兵が少ないんだってさ。魔獣がここまで来たのはそのせいじゃないかって」
「兵が少ない? なんでだろう」
「どうやら、この前の嵐で難破した船の生き残りを探すのに、人手を取られてるらしい。黒太子っていわれてる王子が、行方不明の誰かを必死で探してるってさ」
どきっとした。
(わたしのことだよね……。わたしのせいで兵が減って、魔獣が市場にまで出るようになったなんて、つらい。しかも結局、わたしが退治してるし……これってマッチポンプじゃん!)
思わず頭を抱えたくなる。
(くわー、黒太子……ほんと諦めてないんだ)
護符の冷たさがじんわり広がり、胸の奥の熱はようやく静まっていった。けれどその冷えを確かめるほどに、決意が新たに胸に芽生える。
(……やっぱり護符だけじゃ頼りない。魔道具を、指輪を探さなくちゃ。王都に行くしかないんだ)
夜空を仰ぎ、ひとつ息を吐いた。胸の奥の熱は、もう怯えるものじゃない。向き合うべき道を照らす炎になっていた。
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