第28話 教授たちの評価
割れんばかりの拍手の音が、大講義室の天井から降ってくる。
それは、もう、嘲笑や、好奇の響きではなかった。
純粋な、賞賛と……わたしの心の匂いに共鳴した、多幸感に満ちた温かい音だった。
わたしは、まだ、目から溢れる涙を止められないまま、教壇に立ち尽くしていた。
隣で、ミラちゃんが、そっと、わたしの手を握り返してくれた。
「イツキ。ミッション、コンプリートです。……涙の塩分濃度が上昇しています。水分補給を推奨します」
「……うん。うん……!」
わたしが、泣き笑いで頷いた、その時。
拍手を、一身に浴びる、わたしたちの元へ、一斉に、駆け寄ってくる、五つの影があった。
「イツキィィィィ!!」
(わっ!?)
一番早かったのは、コヨリちゃんだった。
彼女は、客席から、ステージまで、一気に跳び上がると、わたしの胸に、全力で、ダイブしてきた。
「んぐっ!?」
「凄かった! 凄かったじゃん! イツキ、最高に、カッコよかった! 『七倍の幸せ』とか! なにそれ、プロポーズ!? ウチ、オッケーだし!」
「こ、コヨリちゃん、重い、重い!」
「お離しなさい、子狐! 淑女の凱旋に泥を塗る気ですの!?」
ルージュさんが、優雅なステップで、ステージに上がってくると、コヨリちゃんの首根っこを、ひょい、と摘み上げた。
そして、わたしに向き直ると、深紅の瞳を、細め、
「……まあ、わたくしの『被験者』としては、合格点を、上げてさしあげますわ。……良く、言えました。わたくしのかわいい、イツキ」
そう言って、わたしのおでこに、そっと、唇を寄せようと――
「させん!」
ガシッ!と、その間に、ツバキちゃんの、鍛えられた腕が、割って入った。
「貴様! 公衆の面前だぞ! 節度を持て!」
「あら、堅物の、番犬さん」
「誰が番犬だ!」
ツバキちゃんは、わたしの前に、立ちはだかると、その黒い角を、誇らしげに(?)振りながら、わたしを、振り返った。
「……まあ、その……。貴様の理論……。……『秩序』の新たな解釈として、興味深かった。……良かった、ぞ」
(……ツバキちゃんが、最大限の、デレだ!)
「イツキちゃーん! 論文とか、よくわかんなかったけど、凄かったー! サラサ、超感動した!」
「いつきさん……。お花、咲きました……。とっても、温かい、匂い、だった、なの……」
サラサちゃんが、わたしの足に、抱きつき、鉢植えの、リラさんが、わたしの足元で、嬉しそうに、葉を揺らしている。
わたしは、ステージの、ど真ん中で、六人に、完全に、包囲された。
(あはは……。これこそが、わたしの、研究成果、そのもの、だ)
わたしの、心の匂いが、この上ない、安心感と、達成感で、満ち満ちていく。
「――コホン。……白羽くん。ミラさん」
その幸せな包囲網を割って声がかけられた。
わたしをこの世界に、導いてくれたケンタウロス族の教授だった。
彼は、その巨体に似合わない柔和な笑顔を浮かべていた。
隣には、学内でも一番厳しいと噂の人間の法学部の老いた女性教授(ツバキちゃんの、指導教官らしい)も、立っている。
六人が、ハッとして、わたしを守るように、一歩、身構えた。
(だ、大丈夫だってば!)
ケンタウロス教授は、わたしたち(というより、わたしを庇う六人)の様子を、興味深そうに見て頷いた。
「……素晴らしい発表だった」
「え……」
「正直に、言えば」と、教授は、続けた。
「わたしは君が、最初にこのあまりにも前代未聞なテーマを提出してきた時、頭を抱えたよ」
(やっぱり、そうだったんだ……)
「『特異体質者による、多角的恋愛の実践』? 馬鹿げている、と。それは、心理学ではなく、君の個人的な願望の吐露に過ぎない、と」
「……」
「だが、君は違った。……そして、ミラさん」
教授は、ミラちゃんに、視線を移した。
「君が提出した被験者(六人)のストレス及び幸福パラメータの詳細な時系列データ。……あれは、圧巻だった。論理的に完璧だ」
「はい。データは嘘をつきません」
ミラちゃんが、胸を張った。
「そして」
と、今度は、厳しい法学部の老教授が、口を開いた。
彼女の視線は、ツバキちゃんとルージュさんに、向けられている。
「……わたしは、先日の『秩序友の会』との一件の報告も受けている」
「「っ!」」
ツバキちゃんと、ルージュさんが、身を固くした。
(あ。あの、ルージュさんの権力介入とかも、バレてる……?)
「……ドラグーン(ツバキちゃん)の、法に則った毅然とした対応。……カーマイン(ルージュさん)の、水面下での迅速な情報戦。……そして、九尾(コヨリちゃん)の証拠収集能力。……全て、見事だった」
(え、ええ!? 怒られるんじゃなくて!?)
老教授は、そこで初めて、ふっと口元を緩めた。
「……そして、何より、白羽いつき。貴女が最後、彼らに『暴力』ではなく、『対話』と『受容』の場を設けたこと。……あれこそが、この薄暮市における、多種族共生の、法の理想だ」
「……!」
ツバキちゃんの、目が、見開かれた。
自分が一番尊敬する師からの最大の賛辞だったからだ。
「……ありがとうございます……!」
ツバキちゃんが、深々と、頭を下げる。
ケンタウロス教授が、温かく、頷いた。
「……もう、分かっただろう、白羽くん。……君が、やっていることは、遊びでも、願望でもない。……立派な、『学問』だ。いや学問になり得る可能性か」
「……教授……」
「君のその体質と、……何より、その勇気と誠実さが、このマルチスピーシーズ心理学というまだ曖昧だった分野に、一本の確かな『道』を作った」
教授はそこで、大きく両手を広げた。
「困惑はしている。正直に言うと、まだ理解しきれていない部分も、多い。……だが、今日の君の発表と、その『被験者』(……いや、『家族』かな)たち全員の、あの幸せそうな顔! アレを見せられては、我々は認めるしかない。私たち研究者は、畢竟、多種族すべての幸せのために、日々研究を重ねているのだから」
「……白羽いつき。君の研究は、薄暮学院大学、今期の最優秀論文として、受理されるだろう。……おめでとう。君こそが、この新しい分野の第一人者になる日も近い。そう願っている」
第一人者。
わたしが幼い頃から、ずっと目指していた「みんなと、仲良く、幸せに」という、漠然とした、素朴な、夢(願い)。
それが、今、『学問』として、認められた。
(……やった)
(……やったよ、みんな……!)
わたしは、もう一度、涙で、ぐしゃぐしゃになりながら。
わたしを、支えてくれる、六人の、温かい、体温の中で。
ただ、ただ、幸せに、頷くことしか、できなかった。
わたしの、心の匂いが、これまでの人生で一番誇らしげな、甘い香りを放っていた。
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