第11話 尻尾お手入れ会
わたしたちのハーレム運用ルールが本格稼働して二週目の火曜日。
今日はコヨリちゃんの担当日だ。
「イツキ、遅い!」
放課後、中庭のベンチに向かうと、彼女はもう待っていた。三本の尻尾が大きく揺れ、全身で「待ってました」を伝えてくる。太陽と稲穂の、香ばしくて温かい匂いがした。
「ごめん。講義が少し長引いちゃって」
「もー。今日のために朝からシャンプーして、気合入れてきたんだよお」
彼女はわたしの手を引いて座らせ、くるりと背を向け、わたしの膝の間にちょこんと収まる。
目の前に亜麻色の狐耳とうなじ、そしてふわふわの尻尾が三本、扇のように広がった。
「さあ、イツキ。思う存分、梳いてよし」
「任せて」
コヨリちゃんのために用意した獣毛用の高級ブラシを手に取る。
今日のリクエストは尻尾お手入れ会。最初の一撫でには、いつも少し緊張する。狐族の尻尾は第二の心臓ともいわれるほどの急所で、神経が細やかに走っている。マルチスピーシーズ心理学の教科書にも、狐族との信頼構築にはグルーミングが最も効果的だとある。
まずは一番外側の尻尾の毛先から。
シャッ、シャッ。乾いた心地よい音が中庭に満ちる。
「ん……」
肩が小さく震えた。ブラシは一度も引っかからない。今朝どれほど丁寧に手入れしてきたかが分かる。じんわりくる。
「すごい。完璧に整ってる」
「へへ。まあね。イツキに触ってもらうのに、ボサボサはありえないっしょ」
「偉いなあ」
わたしの好意が心の匂いになって、ふわりと背中に流れる。
彼女にとって、わたしの匂いはあたたかな日向。信頼する相手のグルーミングと同時に届けば、効果はてきめんだ。
「ひゃ……」
体から力が抜け、彼女はわたしの膝にもたれかかる。尻尾も重力に負けてゆるく垂れた。
「ごめん。気持ちよさそうで、つい」
「気持ちよくないわけ、ないっしょ! イツキの匂いとブラッシングの合わせ技、脳みそ、バカになっちゃう!」
シャッ、シャッ。
言葉は控えて、手を丁寧に動かす。毛並みに逆らわないよう根本から梳かし、指先で付け根をそっと撫でる。そこは彼女たちの力の源であり、同時に急所でもある。
「んっ……!」
琥珀色の瞳がとろんと潤み、頬は熱を帯びる。狐耳は力なく寝て、完全にとろけモードだ。
――すごい。
これが狐族にとって最大の信頼と愛情表現。
わたしはこのあたたかく柔らかな生き物を、心の底からいとおしいと思う。心の匂いは彼女の好きな日向の香りになって、優しく、強く、途切れずに満ちていく。
「もう、だめ。ウチ、イツキの匂いがないと生きていけない身体になっちゃう!」
「大袈裟だよ」
「大袈裟じゃない。ねえ、イツキ」
ぐでんとしたまま首だけをゆっくり振り、潤んだ瞳でまっすぐ見上げてくる。
「大好き」
ブラシを持つ手が止まる。
あまりにも真っ直ぐで、不意を突く。
「ウチ、イツキが大好き。ルージュ先輩やミラやツバキなんかより、ずっと大好き」
「コヨリちゃん……」
「だから」
空いているほうの手をぎゅっと握られる。
「次の気持ちのメモ、書くこと、ないかも」
「え」
「だって今、イツキはウチだけの匂いがするから」
にひひ、と最高にデレた笑顔。
心臓を射抜かれたわたしは、ありがとうと返すので精一杯。頬が彼女につられて熱くなる。
――そのとき。
ふわ甘な空気を裂くように、五つぶんの声と視線が落ちてきた。
「あらあら」
「……」
「ふうん」
「ぷにー?」
「じーっ」
顔を上げると、いつの間にかベンチの周りを、残りの五人がぐるりと囲んでいた。
「み、みんな。いつの間に」
「ちょっと! 担当日は邪魔をしないこと、ってルールだったし! これ、どういうこと?!」
コヨリちゃんがプンスコ、わたしの膝の上で小さく跳ねた。
ルージュさんが日傘をくるりと回し、温度のない笑みを浮かべる。
「べ、別に邪魔していませんわ。たまたま通りかかっただけで」
「あり得ない!! 五人同時に、たまたま!?」
コヨリちゃんの指摘は完全に正しい。
「解析します」
ミラちゃんが一歩進み出る。
「現在のイツキから発生する心の匂いの波形は、コヨリのデレ顔と同期し、極めて高品質かつ強レベルの多幸感アロマとなっています。生物学的に言って、吸引されることは完全に不可抗力です」
ミラちゃん、あなた、アンドロイドでは?
「つまりどういうこと?」
「つまり」
無表情のまま、ミラちゃんはコヨリちゃんの手からブラシをすっと奪う。
「私もイツキにグルーミングされたい。私の髪は人工毛だが、ブラッシングという接触データは、J値の安定に有益であると判断する」
100%煩悩だった。
「わ、わたしも」
リラさんが自分の緑の髪を指で梳き、控えめにアピールする。
「葉っぱだから、お手入れされると嬉しい、かも」
「サラサも。髪ないけど、体、磨いてほしい。ぷにぷに」
「おまえたち、順番を乱すな。白羽、そのブラシは衛生的にどうだ。龍族の鱗にも使用可能か」
ツバキちゃんまで、腕の鱗模様をそわそわ撫でている。
「もーっ!」
コヨリちゃんがわたしの膝から立ち上がり、全員に仁王立ちで向き合う。
「今日はウチの担当日。絶対にイツキは渡さない」
「あら、それはどうかしら」
ルージュさんが優雅にわたしの隣へ腰掛ける。
「ねえ、いつき。わたくしの黒髪、あの子狐の毛より、よほど梳き甲斐があると思いませんこと?」
「わ、わわわ……」
結局、コヨリちゃんのはずの二人きり担当日は、全員参加の第一回・いつきによるお手入れ選手権に姿を変えた。
六人の圧に挟まれながら、わたしは遠い目をする。
――今夜の気持ちのメモ、すごいことになりそう。
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