第4話 風紀委員は龍の匂い

(いつき視点)


はぁ……。

わたしは、人知れず(といっても、わたしの体質を知る人外にはバレバレだろうけど)大きなため息をついた。


ここ数日で、わたしの大学生活は激変した。

陽キャな九尾の狐(コヨリちゃん)には背後から抱きつかれ、上品ドSな吸血鬼(ルージュさん)には専属料理番に任命され、クールなアンドロイド(ミラちゃん)には護衛名目で手を握られ、癒やし系ドリアード(リラさん)には「土になって」と膝枕され、天真爛漫スライム(サラサちゃん)には「ラムネ味!」と物理的に包み込まれた。

……うん、属性が渋滞しすぎている。


おかげで、わたしはキャンパスを歩くだけで、周囲の人外学生たちから(主に好意と好奇の)視線を浴びまくる羽目になっていた。


(だめだ、緊張してる)


『マルチスピーシーズ心理学』の基本によれば、術者(わたし)が緊張すると、『心の匂い』も不安定になる。それは時に、他者を不安にさせたり、逆に過剰に興奮させたりするらしい。


(リラックス、リラックス……。わたしはただの一般学生……)


そう自分に言い聞かせながら、人通りの少ない、サークル棟と講義棟を結ぶ渡り廊下の角を曲がった、その瞬間。

ドンッ!


「わっ!?」

「――む」


曲がり角で、誰かと正面からぶつかりそうになった。

わたしは体勢を崩し、「きゃっ」と小さく叫ぶ。


(倒れ――)

ない。


ぶつかる寸前、相手が素早くわたしの腕を掴み、引き留めてくれたからだ。


「……前を見て歩け。廊下での不注意は、事故(インシデント)の元だ」


低く、落ち着いたアルト、少し男性的な口調。

見上げると、そこには、わたしより頭一つ分は高い、長身の女子学生が立っていた。


(か、かっこいい……)


きつく結い上げられた、黒に近いダークブラウンのポニーテール。

前髪の間から覗くのは、鋭い、金色の瞳。

よく見ると、その瞳孔は猫のように、いや、もっと爬虫類的に、縦に長く裂けていた。

制服(彼女が着ているのは、黒基調のパンツスーツだ。警備隊の見習いだろうか)の襟元から覗く首筋には、タトゥーのようにも見える、黒く緻密な『鱗(うろこ)模様』が走っている。

そして、額の生え際には、二本の小さな、黒い『角(つの)』。


(龍族……! 半龍(はんりゅう)族だ!)


薄暮市の秩序維持を担う、地龍の一族。

法学部に在籍しながら、警備隊の見習いとして学内の風紀を取り締まっているという、あの――


「……貴様が、白羽いつきか」

「え? あ、は、はい! そうですけど……」

「やはりな」


彼女は、わたしの腕を掴んだまま、値踏みするように、わたしの全身を(物理的に)ジロリと睨みつけた。

その視線は、ルージュさんの「ねっとり」としたものでも、ミラちゃんの「無機質」なものでもなく、もっとこう……「不審物」を見るような、厳格な光を宿していた。


「私は、法学部一年の、ツバキ・ドラグーンである」

「ツバキ、ちゃん……」

「『ちゃん』付けは不要だ」


ビシッ、と言い切られる。

堅物(かたぶつ)。教科書で読んだ、龍族の典型的な『秩序重視』の気質、そのものだ。


「白羽いつき。貴様の周囲では、ここ数日、風紀の乱れが多発しているとの報告(レポート)が上がっている」

「ふ、風紀の乱れ!?」

「そうだ。中庭での過度な接触(コヨリ)、調理室での不適切な専有宣言(ルージュ)、プールサイドでの公然ハグ(サラサ)……等、全て、貴様が原因であると結論付けられている」


(ぜ、全部ご存知で!?)

警備隊の情報網、恐るべし!

ツバキちゃんは、わたしの腕を掴む手に力を込めた。

筋肉質で、硬い手だ。鍛錬の跡が分かる。


「貴様のその『体質』……『心の匂い』とかいうものは、学内の秩序(オーダー)を脅かす、極めて危険な『災害因子(ハザード)』だ。これ以上の混乱を招く前に、貴様には厳重に――」


ツバキちゃんが、堅物な顔でわたしに警告(お説教)を続けようとした、まさにその時。

ゴォォォッ!!

「「!?」」


渡り廊下を、突風が吹き抜けた。

季節外れの、強い風。

「――まずい!」

ツバキちゃんが鋭い声を出した。

見ると、わたしたちのすぐ横に立てかけてあった、体育祭の広報用(ベニヤ板製)の巨大な立て看板が、風を真正面から受けて、ギギギ、と音を立てて――わたしの方へ倒れてきた。


「きゃっ!」

(ぶつかる!)

わたしが咄嗟に目をつむった、瞬間。

「――危ない!!」

ドンッ!と強い力で突き飛ばされた。

……いや、違う。突き飛ばされたんじゃなくて、わたしの身体を、誰かが抱きかかえるようにして……


ガシャァァァン!!

数秒遅れて、立て看板が床に叩きつけられる轟音が響く。

わたしは……無事だ。

それどころか、なんだかすごく、硬くて、引き締まった「何か」に、顔をうずめている。


「……怪我は、ないか。白羽」

「あ……」


顔を上げると、至近距離に、ツバキちゃんの真剣な顔があった。

彼女が、わたしを庇(かば)うように抱きしめて、床に倒れ込んでくれていたのだ。

わたしは、完全に彼女の腕の中にいる。


「だ、大丈夫です! ありがとう、ツバキちゃん! 助けてくれて――」

わたしが、安堵と、純粋な感謝を口にした、その時。


(あ)

やってしまった。

「助けてくれた」「かっこいい」「ありがとう」

ポジティブな感情が一気に爆発して、わたしの『心の匂い』が、ゼロ距離でツバキちゃんに直撃した。


ツバキちゃんの身体が、ビクンッ!と硬直した。

「な……」

彼女の鼻腔に、わたしの匂いが流れ込む。


鉄と、微かな火薬(?)の匂いしかしないはずの彼女のテリトリーに、嗅いだことのない、甘くて心地よい、そして何故か、張り詰めた神経を強制的に緩ませるような、『鎮静剤』みたいな匂いが満ちていく。


「こ、の、匂い……は……」

金色の、縦長の瞳孔が、驚きと混乱で、きゅっ、と収縮する。

さっきまで「災害因子」と断罪していた、その匂いの発生源(わたし)を、腕の中に閉じ込めたまま。


「……なん、だ……これ……。力が、抜ける……」


ツバキちゃんの声から、さっきまでの厳格さが消え、戸惑いが滲む。

彼女の堅そうな頬が、みるみるうちに、赤く染まっていく。

耳まで、真っ赤だ。息も、心なしか荒い。


「あ、あの、ツバキちゃん……? 大丈夫? それと、そろそろ、離して……」

「――ばっ!」


わたしの言葉で我に返ったのか、ツバキちゃんはそう叫ぶと、まるで熱い鉄でも触ったかのように飛び退き、その反動でわたしを突き放した。

「い、痛っ!」

今度は本当にお尻を打ってしまった。


ツバキちゃんは、慌てて立ち上がると、制服の乱れを(必要以上に)バシバシと叩いて直し始めた。


「き、き、貴様はっ! 危機感が足りん!」

「ええ!? わたし!?」

「そうだ! 看板が倒れてくる予測もできんのか! 警備責任者(わたし)の手を煩わせるな!」

(え、え、え、すごい理不尽!?)


でも、その声は、明らかに上ずっている。

顔は、まだ真っ赤なままだ。

「(ぐるる……)」

ツバキちゃんのお腹(?)から、なんだか龍が唸るような、低い音がした。……違う、喉だ。


「と、とにかく! これ以上、学内の秩序を乱すな! 次は、警備隊として、実力行使も辞さん! お、覚えておけ!」


彼女は、それだけを一方的に捲(まく)し立てると、倒れた立て看板には目もくれず(!)、さっきまでの冷静沈着さはどこへやら、慌てたような早足で渡り廊下を去っていった。


「…………」

ぽつん、と残されたわたし。

打ったお尻が、じんわり痛い。

「……行っちゃった」

堅物で、怖くて、でも。


(助けてくれた手、硬くて、ゴツゴツしてたけど……すごく、かっこよかったな)

(あと、最後の顔。真っ赤で、なんだか……可愛かった、かも)


龍族は味覚が鋭敏で、刺激物(辛いものとか)に弱いって教科書に書いてあったけど、もしかして「心の匂い」みたいな『甘い刺激』にも、弱かったりするんだろうか?


また一人、わたしの『マルチスピーシーズ心理学』の研究対象(という名のハーレム候補?)が増えてしまった予感がする。


わたしは、倒れた立て看板を「よっこいしょ」と一人で起こしながら、今日だけで何度目か分からない、深いため息をつくのだった。

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