10曲目 ”解禁前”の特別ライブ
我が家の玄関で、自動照明が今日も俺を迎える。
さっと開錠を促すようにスマホをドアノブに近づける。
この紋所が目に入らぬか!!!
ドアが観念したように、ガチャリと機械音がした。
良かった。俺はこの家の子だ。
リビングではコノミは恋乃実に戻ってプリンを食べていた。
「あ!!おかえり、おにぃ!」
スプーンを口に咥えたまま、こちらに気が付くと元気いっぱいの声が飛んでくる。
恋乃実の笑顔が眩しい。
口の中は飲み込んでから話しなさい!と諭す大人たちもいるだろうが、恋乃実の場合はこれでいい。天真爛漫を絵に描き、雪さんに太陽、菩薩様と言わしめた可憐なアイドルだ。
そもそも、清楚さで我が妹は売ってないから、このくらい無邪気な方がいい。
イメージに
恋乃実が今日どんだけ疲れてるかくらい、あのステージを拝んでいれば想像に易い。
今はリラックスモード全開で、ぜひ明日から始まる激務に備えてくれればいいものの、ヲタクたちと騒ぎ散らかした駄目な兄貴にまで、そんな笑顔もったいない。
明日のファンサの為に取っておいてくれ。
「ただいま。ライブおつかれ」
全国のお兄ちゃん諸君。
可愛い妹は幻想だというデマカセはやめてくれ。
生まれてこの方一度も、恋乃実に「可愛くない」と思った瞬間がない。
それは妹がトップアイドルをしているからという珍しい家庭環境だからではない。
可愛かった恋乃実はなるべくしてアイドルになったし、努力してトップアイドルになれた。
心得が備わらずんばトップアイドルになれずってやつだ。
用法が正しいかは後で部屋に戻ってコッソリ調べる。
間違いだったら教えてくれ、言い直すから。
「ちょっと待って!」
恋乃実が俺の第二声を静止して、おでこに手を当てて何かを考えている。
俺はこの光景、恋乃実が何をしているのかわかるが、諸君も見守ってほしい。
額じゃないぞ?おでこだ――同じ意味だが。
「ステージから向かって右側……スタンド席、ちょっと上の方だったねぇ?赤色見えたけど、たまたま周りに赤色が少なかったから覚えてるかも!!どう?」
帰ったら妹に聞いてみようと俺が口走っていることを覚えているか?
そして本日、コノミからいただいてしまったレスが幻でないか答え合わせをすることができた。
どうだろうか、アイドルと目が合うっていう感覚は決して幻想などではないのだ。
感謝感謝。
「正解!」
「やったっ!」
家に帰ると日本のトップアイドル、コノミは俺の妹。
いや、俺の場合、俺の妹がたまたまトップアイドルになっただけ――
この言い回しはテストに出るぞ?諸君。
◇◆◇◆
時刻はガラスの靴の魔法が解けるくらい――
明日はコノミは朝一番から新アルバムのゲリライベント回り。
メンバー全員が一人ずつ全国に散って、突発の販促活動を実施する。
そんなに遅くまで起きていて大丈夫か?と思ったが、リビングのテーブルに家族団らんしているだけ。
だが、「ネットに出てない情報」が否応なしに聞えてくるのだ。
――俺のケツは椅子に根を生やした。
「でね~、レナちゃんが一個多く食べちゃったの!ノアちゃんは気にしてないみたいだったけど、あれは食べたい時の顔だと思うから。お母ぁさん、またあのレモンのフィナンシェ買ってきてほしい!」
「は~い。今度は沢山用意しておくわぁ。ノアちゃんが悲しまないようにねぇ」
「うん!ありがと!」
これが、我が家の母娘の会話である。このおっとりした母ちゃんにこの娘あり。
妹は愛情たっぷりにスクスク育ってしまった結果、反抗期すらない。
おとぎ話もいいところかもしれない。
そしてこのフィナンシェのくだりは喋っちゃいけない情報。
どれだけネットの海をサーフしても出てこない機密情報。諸君も秘密で頼むぞ?
「今日は新曲歌ったんだろぅ?お父さんも聴きたかったなぁ」
「え!今から歌おうか??」
しょぼくれて仕事から帰ってきた父さんの目に色が戻る。
「いいの?疲れてない?」
「一曲だけだもん!さぁ!ソファー!ね??」
父さんは恋乃実に連れ去られてしまった。
これが我が家の新曲を聞き逃した父さんだけが受けられる特権――
生みの親と育ての親なんだから、このくらいは許してあげてほしい。
「じゃあ、いくね~!」
恋乃実の声がリビングに響く。恋乃実がコノミになる。
もちろん、今日のライブで初解禁された楽曲は、まだ世間で自由に聴けるように音源化されていない。
アカペラでたった一人の観客に笑みを向けると単独ライブが始まった。
俺は、聞き逃してしまった歌詞を脳裏に焼き付ける。
明日の雪さんとのイベント回りの話題にするために。
◇◆◇◆
「恋乃実は関東近郊って思ってる」
兄と妹なら何ら不思議でない言葉。
ファンとアイドルであれば問題が出てくるので「実の妹」へ向けて発した。
「おにぃにも言えないんだ~。残念!」
さすがはトップアイドルの妹だ。
本当に口を割ってはいけない情報には歯止めがかかる。
でも、今日はその高い壁を越えてゆかねばならぬ。許してくれ、恋乃実よ。
「車で走って、首都高使える場所で絞り込める……お店を回りまくるって読んでるから~朝イチはやっぱり遠い23区外の場所かな?だとすると……」
「駄目だよ!!それ以上は!!!」
恋乃実が手で顔を隠す。完全に目が泳いでいる。
「新宿と原宿は、夜に回すとごった返して大変だから流石に昼かぁ?でも、渋谷はさすがに行くだろう?」
「いえない!いえないって!おにぃちゃん!!!もうやめてぇ~~!!??」
何も手を出しているわけでは無いのだ。
このくらいの意地悪くらい、可愛い妹に対する兄の特権だろう。
「じゃあ、にらめっこしよう。お昼に行きそうな、店名。言っていくから」
「負けないもん!!!」
正直で真っすぐに育ってくれた妹の顔に、「昼に新宿でイベントを実施する」と書いてあった――
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